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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。


4日は、元旦に転んで入院してしまったという
101歳、明治生まれの祖母のお見舞いへ。

生きているというだけですごいのだ、
ということを改めて目の当たりにしました。

ゆっくりでもよいので、良くなってもらいたいです。


101歳の祖母のことを考えるとき、
同じ年代の尊敬する女性として、
篠田桃紅さんのことをよく考えます。


篠田桃紅さん⬇


「もし墨も紙もこの世になかったら、
 やっぱり何かで草の葉に泥水をつけてでも何かをつくるかもしれません。
 形を生み出したい、線を引きたい。そいう衝動が私の中にあるのです」

と仰る書道家、美術家の方です。

※過去に書いた篠田桃紅さんについての記事

 没入 ~ 篠田桃紅さん ~

 没入 ~ 篠田桃紅さん(2)玄色 ~
 贈り物を「包む」
 手ぬぐいのようにやわらかに包む
 芋づる式楽しみ。

                    

作品                                                       


        




その篠田さんが、昨年の11月末に銀座三越で作品展を開かれていました。

そこに美智子皇后陛下が来場されたとのこと。

私は行けなかったのですが、そのときのことが
作品展を開催したギャラリーの記事になっていました⬇

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金箔の200号の大作『百』は『皇后様に是非ご覧頂きたい。』と
桃紅女史の希望により急遽展示することになりました。
百寿をひかえ百本の白い線によって描かれたこの作品は、
光の束のようでもあり、光り輝く炎のようでもあり、
まさに篠田桃紅の『今』を物語る心象風景です。

美智子皇后陛下を尊敬し、いつも居間に皇后様のお写真を飾っている桃紅女史。
このお二人の再会に居合わせることが出来て、私共にとりましても大変光栄なことです。
少しでもお二人に束の間の貴重なお時間をお過し頂きたい、そんな一心でした。

美智子様のお母様がご存命なら、桃紅女史とほぼ同じお歳頃。
皇后様はお母様と生前交友のあった桃紅女史に亡きお母様の
お姿を重ねあわせていらっしゃるのではないか、そんなことを勝手に想像していました。

『私は一本の線を引くために生きています。』と桃紅女史は語り、
『筆がお導きになるのね。』とお答えになった皇后様のお答えに、
桃紅という美術家を心から理解してくれているお方だとおもいました。

桃紅女史がお別れのご挨拶に『これが皇后様にお目にかかれる最後になるかもしれません。』
とおっしゃいました。
確かに99才の桃紅女史にとっての一日は私共とは比べものにならないくらい大切で、
一日一日が真剣勝負です。
日々を大切に生き、いい作品を一枚でも多く残したい、桃紅女史のそんな想いが過ぎりました。

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旧満州にて生まれ、独学で書を学び、1950年代に単身渡米されたというパワフルな方。

「一本の線を引くために生きている」という言葉が

何ともシンプルです。


シンプルだからこそ、

力強く、

継続性があり、

「筆が導いてくださる」

というレベルにまで達するのだと

感じさせられます。



明治生まれのパワフルな女性を見て、

99歳になっても、101歳になっても、

前を向いて生き続けたいと思いました。





3日は、諸々の環境整備の後、夜は姉夫婦と新年会。



突然ですが、

2013年はこんな年にしたいと思いました!!!⬇⬇




ご存知の方もいらっしゃるでしょうか?

この写真に映っているのは、なんと「雲」です!!

オランダ人アーティストBerndnaut Smilde氏によりつくられたcloud in room".


湿度、温度、光を調節し、
フォグマシン(霧発生装置)を用いて

室内につくられた
人工的な雲です。

TIME誌の「2012年最高の発明品」の一つに選ばれています。




「え、こんなこともできちゃうんだ!」と思ってもらえること。

「何、ナニ!?」と「!」や「?」を沢山思ってもらえること。

思わず「クスリ」としてしまうこと。

ArtとScienceのようにいまは異分野と言われている領域をまたぐこと。

人や技術の可能性を感じてもらえること。




そんな場作りをイメージしてやっていきたいと思います!!



Wow!!⬇⬇




2日は終日家にこもって読書。



なぜ、あのガムの包み紙は大きいのか
 ドラッカーに学ぶお客様を幸せにする会社の作り方

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大先輩より薦めていただいた1冊です。

「人を幸せにする社会をつくる、それがマネジメント」

というコンセプトのもとに書かれた1冊で、

本を読み進めていきながら、以下の5つの問いを

順に考えていく構成となっています。


1.[Why]何のための事業なのか?

2.[Who]誰のための事業なのか?

3.[Value]事業の対象となる人のメリットは何か?

4.[Result]事業の対象となる人にどんな変化が起こればいいのか?

5.[Plan]具体的にどのように進めていくか?



文章はとても読みやすいのですが、

実際に考えながら読み進めていくと、、、

1ページごとに止まります。



例えば、

1.[Why]何のための事業なのか?

について。

まず書くことはすぐにできます。

ですが、満たすべき3つの条件、

①ニーズがあるか?
②強みを活かす
③事業の価値を信じているか?

を考えていくと、

あやふやなところがゴマンと出てきます。


書き出していくことで

「なんとなく」思っていることが沢山でてきて、

自身が持っている一次情報の少なさに直面し、

むむむ、、と止まってしまいます。


去年、何度心の中で唱えたか分かりませんが、

やはり、書くことは力なり、だとしみじみ実感。。


考えをブラッシュアップするために読んでいるので

目的にばっちりそっています。


頭と心に汗をかく、一大・脳内トレーニングですが、

1枚1枚の花びらを重ね合わせてできるこの花のように

一歩ずつ積み重ねていきたいと思います。



2013年になりました。

元旦は、こじんまりと家族でおせちを食べ、その後初詣へ。
あとは、大晦日に引き続き、読書と環境作り。


その合間、一冬前の記事ですが、こんな記事を興味深く見ていました⬇

スウェーデンから転入して来た子の冬休みノートを見て感じた
これからの日本の教育に必要な事



この記事を書かれた方は小学校の教職員の方のようですが、
その方の学校では、冬休みの宿題で、夏休みの自由研究と同じように、
「冬休みノートの作成」というのがあるそうです。

多くの子が、漢字や計算ドリルの復習、日記、作文、読書記録などを
行う中、スウェーデンからの転入生の生徒さんが取り組んだのは
「意見文」だったそうです。
保護者の方がテーマを設定し、それに対する自分の意見を英語で書いたものです。

まず、テーマが、秀逸です。

「1.週末を友達と過ごすことの良い面と悪い面について、
    あなたの経験をもとにあなたの考えを書いてください

 2.東北大震災の復興に向けて、日本が取り組む必要があると思う事を3つ、
  どうしてその取り組みが必要なのか理由とともに書いてください

 3.あなたは日本から惑星αへの平和の大使として派遣されることになりました。
    そこで、大使として向こうに持っていく道具を3つ選んでもらいます。
    3つ道具を選び、なぜその道具が必要なのか長官を説得するための手紙を書いてください」


Wow・・・!


しかも、その子の意見というのが、例えば3.について、


「持っていく道具3つは、
 ①惑星αと英語の翻訳機・・・絶対にコミュニケーションが必要だから
 ②日本の食糧の種・・・向こうの星が貧しい状態にあるかもしれないし、食糧を増やしていく事は必要だから
 ③ビデオなどの科学技術がつまった装置・・・お互いの科学技術があれば、お互いにより豊かな生活が実現できるようになるから」


Woooow・・・!




12歳でこの意見が出てくることに、
そして、こんな問いかけを自分の子どもにできる保護者の方に、
初期教育の理想型を垣間見た気が致しました。


きっとこの子は、自分で考え、意見を持ち、周囲と強調しながら行動し成果を出す人に
育ってゆくことと思います。いや、むしろ、すでにそうなのかもしれないです。


間接的な情報ではありますが、この「意見文」ノートから読み取れる
初期教育のエッセンスを洗いだしてみると・・・

・よい面と悪い面をセットで考え、多面的な考え/大局観/他者への配慮を育む

・自分の経験とひも付けさせて考えることで、受け売りではない考えを育む

・文字に書くことで、その場の思いつきではない考え・意見を育む

・「あなたはどうするか?」を問うことで、当事者意識・主体性を育む

・「社会問題についてあなたはどうするか?」問うことで、自分が社会に対して
 何かしうる存在であることを意識あるいは無意識的に理解する

・いまここにはない世界について問うことで、想像力を育む

・物語風にすることで、楽しみながら考える=考えるのは楽しいというマインドセットを育む

・自分とは違う組織、コミュニティととの関わりを問うことで、協調性を育む

・説得するのではなく、させてみることで、自主性と論理性を育む



などなど。まだまだ、内容的なエッセンスはもっとありそうです。


そして、このエピソードを読み、何より心を動かされたのは、
保護者の方が誰でも持つであろう、子どもの将来を思う気持ちや期待を、
この意見文ノートのような、

「生きる力を育む問い」

として包んで、子どもにプレゼントしている点です。



もし、自分に子どもができたとして、
こんなに楽しく、かつ子どもの力になる「問い」がつくれそうかというと・・・
皆目自信がありません。。。。


が、それこそがチャンスかも!?

自分の子どもにこんな教育を受けさせたいと思う親、
あるいは、
自分はこんな教育が受けたいと思う子どもは
沢山いるかもしれません。



誰に対して、自分は、どのような強みを活かして何ができるか。
12歳の子に負けず、私も楽しみながら真剣に考え、見つけていきたいと思います。


31日も家にこもって読書やら環境作りに取り組んで

夜は家族で団欒。


あまり普段と変わらないといえば、変わらない年末ですが

「節目」を感じさせて頂いたのは松井秀喜選手の引退会見です。


以下、やや長文ですが思わず引用してしまいました⬇
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えー私、松井秀喜は、本日をもちまして、
20年間に及びましたプロ野球人生に区切りをつけたいと思い、
20年間応援してくださったファンの皆様、そして報道関係の皆様、
感謝の気持ちを伝えたくおもい、このような記者会見を開かせていただきました。

この決断に至った一番大きな原因としましては、

今年のシーズン、3か月くらいしかプレーができなかったですけど、
少し今までにない初めての形でのスタートになりまして、
マイナーリーグからスタートしまして、メジャーリーグにあがり、
そこで、最初は多少結果もでたんですが、その後、たくさんのプレーする機会をいただき、
非常に重要な試合の時は大体クリーンナップという形で出させていただいたにもかかわらず、
結果が振るわなかった。そのことが一番の大きな要因だと思ってます。

僕が10年前にメジャーリーグに挑戦するときに、
命がけでプレーし、メジャーという場で、力を発揮するという気持ちで、
この10年間やってきましたが、さきほどもいいましたが、
結果がでなくなったことで、その命がけのプレーが、ここで一つの終わりを迎えたんじゃないかと思ってます

僕の野球人生を、ぱっと振り返りますと、
北陸の小さな町で生まれ育ち、
そこで野球を始め、地元の高校に進学しまして、
小さいころからの目標だった高校野球で甲子園にでるという目標を達成することもできたましたし、
そこで注目していただき、高校3年の時のジャイアンツからドラフト1位で指名していただくという、
長嶋監督にくじを引いていただき、ジャイアンツ入団するという、すごい光栄なことだったと思ってます。

そしてジャイアンツでその長嶋監督に出合い、
日々、毎日のように、二人きりで指導していただき、
その日々が、その後の僕の野球人生のって本当に大きな礎になったと思ってます。

その出会いに関しましては、僕にとっては本当に大きなものでしたし、
長嶋監督には、感謝してもしつくせない気持ちでいっぱいです。

ジャイアンツでも、10年間で3度日本一になることができましたし、
大変、日々、幸せな充実した時間をジャイアンツで過ごさせていただきました。

僕が外野のセンターにコンバートされるときに、
長嶋監督から、ジョー・ディマジオのような選手を目指せというようなことばをいただいて、
その当時の僕はまだジョー・ディマジオ、もちろん名前は知ってましたけど、
ヤンキースというチームがどのようなチームなのかイメージになかったんですけど、
その言葉がずっと僕の頭の中に残り、
1999年のオフだったと思うんですけど、
その年は日本シリーズ進出できず、少し時間ができて、
ニューヨークのヤンキースの試合を一回でいいから見てみたいと思って、
来たんですが、そこで見たヤンキースのゲームが僕にとっては大きな運命だった気がします。

やはりヤンキースタジアムでヤンキースの選手の放ってる空気といいますか、
そしてヤンキースタジアムの雰囲気、本当にこれは一言で表せないくらいの衝撃を受け
その3年後に自分がフリーエージェントになるのはわかってたんですけど、
そこで3年後にこのチームにほしいといわれるくらいの選手になりたい、
その気持ちで、ジャイアンツの四番バッターとしてやっていくんだという気持ちでやってきました。

そして3年後に、10年前ですけど、運よくヤンキースに行かせていただき、
まぁ当時は本当に悩み、移籍するということに対して苦しい思いもしましたが、
あこがれのヤンキースのユニホームにそでを通して、七年間もプレーできたということは、
僕にとっては本当に最高の出来事であったし、本当に最高な日々でした。

ヤンキースの一員として初めてヤンキースタジアムでプレーした日のこと、
そしてヤンキースの選手として、最後にヤンキースタジアムでプレーしたことは、
おそらく一生忘れることなく、僕の心の中にずっとありつずけると思います。

その後も、エンゼルス、アスレティックス、そして今年のレイズと、
一年ずつでしたが、プレーする機会をいただき、
なかなか力になりきれない部分もありましたが、
素晴らしいチームでプレーできたことは僕の人生にとって、
非常に大きな意味のあることだったと思います。

ここ1年、2年くらいからですね、
成績も若干下がり気味になってきまして、
5、6年前くらいから両膝の調子もあまりよくない時期があって、手術もしまして、
体力的にも多少下り坂の中で、手術した後もなんとか騙し騙しやってこれたと思いますが、
今日こういう形で、皆様にご報告することになりました。

この20年間、本当にたくさんのファンの方に応援していただき、
それが僕の大きな力になりました
そして、素晴らしい指導者の方と出会い、素晴らしいチームメイトと一緒にプレーすることができたこと、
僕にとってはおそらく一番大きな誇りなんじゃないかなと思います

今後につきましては、まだ本当に(引退を)ハッキリ決めてから時間がたっていませんので、
今後につきましてはまだあまり決めておりませんが、
少しここでゆっくりしながら、今後のことは考えていきたいと思っています。

本当に20年間、ファンの皆様、
暖かい声援をくださり、ありがとうございました。

以上です。
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野球好きという訳でも、現役時代にファンだった訳でもないので、

何か松井選手について語ることなどとてもできませんが、

記者会見での表情を拝見しながら、思わず

分が将来、節目でお世話になった方々へ感謝の気持ちを伝える際に、

自分の生き様をこんな風に真摯に語れたらいいな、と思いました。



命がけでプレーをすること、

プロとして結果をごまかさずに受け止め、判断すること、

日々、毎日の練習がその後の大きな礎となること、

何気なくかけてもらった一言、頭から離れなかった一言が転機のきっかけとなること、

「生」「ライブ」の体験から衝撃を受けること、

憧れのチームから欲しいと言われる人間になることを目指すこと、

一生忘れない経験を積み重ねること、

沢山の人に応援してもらうこと、

すばらしい師と出会い、すばらしいチームメイトとプレーすることを一番の誇りとすること。




松井選手はいま、38歳。

10年後に松井選手ほどとまではいかずとも、

厚みのある人になれるよう、

まとまった時間の取れる年末年始、

色々と考えと活動を深めてみようと思います。