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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。

8日は、尊敬する経営者の方にランチをご一緒させて頂きました。

色々お伺いしたいことがありすぎて

的を得ないご質問ばかりしてしまったのですが、、

私の一つひとつの言葉や質問をよく確認して、

本当に丁寧に一つひとつお答えいただき感激しました。


「コミュニケーション力の大切さ」は腐る程、様々な場面で言われますし、

そのためのスキルやテクニックも溢れんばかりに言われています。


でも、その方とお話していて感じたのは、

そうしたスキルやテクニックを超えた空気でした。


目の前の人に対して誠実に応えようという姿勢と、

ご自分の人生を最高に楽しみながら生きているという自信や余裕があいまって

素晴らしいコミュニケーションの時間が生まれていたと思いました。


自信や余裕は今はまだない分、目の前の相手に対して誠実に応える姿勢だけは、

いまから、一瞬一瞬で忘れないようにしたいものです!!

本日はふと珍しく見たTVで「津波そして桜」という
ドキュメンタリーを見ました。




『Waste Land』で2010年米アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞に
ノミネートされた、ルーシー・ウォーカー監督による、
東日本大震災での津波被害にあった人たちを追った、
40 分の短編ドキュメンタリー作品です。

<「津波そして桜」予告動画>
http://www.youtube.com/watch?v=PGFvFn0Tj5s



息をのむ映像の連続で、一瞬も目が離せないこのドキュメンタリーの中で、

特に印象深かったシーン、言葉があります。

それは、自分の住んでいた家が、町が、耕していた畑が

津波で飲み込まれた日から一週間後、

ある男性の方が、海辺で小さな植物の芽を見つけたというのです。


「植物が出ていたんだ。

 植物ががんばっているんだから自分たち人間もがんばらなきゃ、と思った」


特に抑揚をつけるわけでもなく、淡々と画面に向かって発せられた

この言葉は本当にすごいと思いました。


同じ情景を見たとして、植物が目に入ってくるかどうか。

入ってきたとして、それを自分とひもづけてがんばろうと思えるか。


自分であれば途方に暮れるしかないように思ってしまいます。


その男性のご家族や知人、友人がどうなったのかはドキュメンタリーには

直接は描かれていません。でも大切な人やものを失ったのは間違いありません。


そのような状態の中で、植物を見て、自分の元気に転換できる。


あるものをみたときに、どう捉え、どう自分と結びつけるか。

その結びつきを豊かにできるかどうかが、

人生を左右するといっても過言ではないのではないかと思います。



日々、接している人やもの、情報に対して、

あの男性が津波1週間後の海岸の植物を見たのと同じように見ることができれば

1日1日をもっと大切にできるはずです。



津波1週間後の海岸の植物。

忘れないでおきたいです。


本日は終日自宅にて仕事。


先日、昨年の歌舞伎俳優、中村勘三郎さんに続き
市川団十郎さんの訃報がありました。


そのことについて書かれた本日の朝日新聞の天声人語に、
歌舞伎界を支える大物2人の早すぎる死を指して

「歌舞伎界の神様は昼寝でもしていたのか」

という一句がありました。



早すぎる死を悼む心、
故人に対しての深い尊敬の念、
故人が歌舞伎界全体を背負っていたことへの賛歌、
が、ぎゅっとつまった表現だと読んでいて震えました。


どうしたらこんな一句が出てくるのか、
と疑問に思って朝日新聞のWEBサイトを見てみました。


<天声人語について:名物コラムの舞台裏>
http://tenjin.asahi.com/about/history.html

東京・築地市場の目の前にある朝日新聞東京本社。大勢の記者がせわしなく行き交う報道局から一つ階を上がると、しんとしたフロアの一角に論説委員室がある。その一番奥、隅田川を見下ろす窓辺のデスクで、天声人語は生み出される。

 いま、その席に座るのは、福島申二(しんじ)、冨永格(ただし)の両論説委員。2007年4月から交代で書いている。ともに55歳。福島論説委員は社会部を経て、イラク戦争の開戦時はニューヨーク勤務。9・11テロ後の米国社会や大統領選を報じた。冨永論説委員は経済部を経て、ブリュッセル支局で欧州統合、ユーロ導入を取材。パリ支局長も務めた。

 天声人語には603文字分のスペースがある。そこに何を、どう刻むか。2人が大事にしているのは「できるだけ新鮮なニュースを題材にする」ということ。

 取り上げるテーマは、基本的に執筆の前夜か当日に決める。執筆中に大ニュースが起きれば、テーマを切り替えることもある。昨年3月11日には、執筆中に東日本大震災が発生。当然、一から書き直した。

 テーマが決まったら、起承転結を考える。

冨永格論説委員(左)と福島申二論説委員

冨永格論説委員(左)と福島申二論説委員

 天声人語は、五つの「▼」で区切られた六つの段落から成る。最初の段落は、読者をグッと引きつける「つかみ」で、筆者が苦労する最初の関門である。

 この段落の出来栄えがコラム全体の印象に影響する。2人は常々、印象的な言葉をメモし、机の引き出しにストックしている。

 第2~5段落では、その日のテーマの説明や、それにまつわる議論の紹介などが中心となる。

 最後の第6段落は、コラムの結論。「読後感」を左右するため、極めて重要だ。ニュース面に載っている解説記事の結論と同じでは面白みがない。どうやってコラムらしい余韻を残しながら締めくくるか。夕刻、筆者はパソコンを前に悩み、言葉を絞り出す。

 毎日、筆者が出勤すると、机には読者からの感想の手紙が届いている。毛筆によるお叱りの手紙があれば、励ましの絵はがきもある。文中で触れた詩や句、本に関する問い合わせも多い。「常連さん」のはがきが数日来ないと、「何かあったのかな」と気になる。

 一通一通に目を通した後、603マスと格闘する一日がまた始まる。



さらりと書かれていますが
「2人は常々、印象的な言葉をメモし、机の引き出しにストックしている」
という一節がまさに肝なのではと思います。

「印象的な言葉のメモ」は一体どれくらいの量がストックされているのか。

毎日30個集めていたとして、ご経験年数を考えたら、
数千どころではなく、1万、10万、100万という単位で
集められているのではと想像しました。

文字通り、十分な数の材料を集めた上で、最後に
「パソコンを前に悩み、言葉を絞り出す」
からこそ、冒頭のような珠玉の一句が生み出されるのでしょう。

アウトプットをひねり出すために、
日々、本当に文字通り十分な数の材料を集められているか。

単に読過ごす、聞き過ごすのではなく、
使うときに机から引き出せる形でストックをしているか。

改めて考えさせられた一句でした。

「歌舞伎界の神様は昼寝でもしていたのか」

忘れられない言葉です。


2日は終日「リアルサイエンス研究フォーラム」へ参加しました。


「科学教育」「わかる、から、つたえる、へ」といったキーワードに惹かれて

たまたま参加したのですが、

内容もさることながら、

そこに集まっていらっしゃる方々の層の厚さに驚かされました。


小学校、中学校、高校、大学といった学校関係の方から、

文科省の方々、研究職の方々、教育や放送などの企業の方々まで、

そうそうたるメンバーの方が全国から集まっていらっしゃいました。



この輪の中心で渦を巻いている方は、女性の方だったのですが、とにかくパワフルでした。

集まっていらっしゃる方々は、「気づいたら、がっつり巻き込まれていた」と口を揃えて仰るのです。

新しく会に参加した方は、古参のメンバーの方いわく、
「あーまた新しい被害者だ(笑)」とのこと。


当たり前ですが、口では「また呼び出されて大変なんだよー」といいつつ、

多忙な中でその活動に従事するのがとても楽しそうなのです。



そのエネルギーの源泉は、活動内容そのものの理念だけではなく、

やはりその渦を巻いている方の人間としての存在そのもののエネルギーだ、

ということが強く伝わってきました。


渦を巻くなら「俺は/私は被害者だー(笑)」と楽しく言って頂けるレベルを目指したいものです。

二月になりました。

今月から半年間、休職し、新しい学びのサービスを立ち上げるべくスタートします!!

色々あり、、一月末までで立つ鳥後を濁さず、という状態が作れなかったので、

本日も出社ですが、、、

やろうと思った瞬間に

「いまやる!まずやる!できるまでやる!」

の精神で一つ宣言です。

本日中に、有料のイベントを立ち上げて告知します。

そして、明日は第二の矢を放ちます。


今日も楽しい一日になりそうです!