伊周くんの直衣の話 | 星野洋品店(仮名)

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第16回では、藤原伊周が桜重ねの直衣を着ていました。桜重ねは表地が白、裏地は諸説ありますが赤・赤紫などで、薄いピンクに見えるものです。父 道隆や祖父 兼家が着ていた直衣は、天皇の服制に倣った参内用の直衣でしたが、伊周のは普段着っぽいですね。伊周が宮中で直衣姿だったことについて、公任が不快そうにしていました。うーん、伊周は正当な資格があって着てはいるんですが。

 

まず、参内する際は衣冠束帯(いかん そくたい)を着用する必要があります。束帯は昼装束(ひの そうぞく)とも言い、作中では宮中にいる男性のほとんどが着ている黒・緋・緑の正装です。

 

衣冠は束帯から下襲(したがさね。後ろに裾を長く引く内衣)と石帯(せきたい。飾石を縫いつけた革ベルト)を外し、袴を楽な指貫(さしぬき)に換えます。宿直(とのい。泊まり勤務)用に楽な恰好をしてるんですね。

 

しかし、従三位以上の人は雑袍勅許(ざっぽうちょっきょ)を受けて、普段着である直衣(雑袍)で宿直することも可能です。伊周は第16回(994年)時点で正三位 内大臣なので、勅許(天皇からの許可)はすでに受けていると思われます。

 

余談ですが、『鎌倉殿の13人』では、雑袍勅許を受けた源実朝が〈直衣始(のうしはじめ)〉として、鶴岡八幡宮に参拝していました。本来は勅許を受けたお礼を天皇に申し上げるのですが、朝廷の出先機関のような扱いを受けていた鶴岡八幡宮への参拝で代替したのです。実朝くんは京都に行きたかったろうなぁ。

 

 

公任たちが伊周の直衣姿を批判するのは、けっきょく「小僧のクセにナマイキだ!」ということなんですかね。彼らは伊周より8~2歳年長ですが四位に留まっていて、直衣での参内許可がない立場ですし。

 

また、彼らはそれぞれ「道隆より自分のほうが家格が上」と信じる根拠がある。道隆の息子 伊周なんぞ、敬う理由もない。母親が中級貴族の高階貴子ですし。

 

高階貴子はかつて掌侍(ないしのじょう)として宮中の女官勤めをしていました。清少納言は『枕草子』で、

「エライ人の娘でも、外で働いてみるべきだ。働いて得た経験が、夫の出世の役に立つ」

と語っているのですが、これは主君 定子の母が女官だったから、こんなことを言ってる。

 

普通の価値観では、

「身内以外の男に顔を見せて働いていた女を嫡妻にするなんて、とんでもない!」

と思うものです。F4(道長を除く)は保守的な連中なので、関白の嫡男であっても母が女官だった伊周にエラそうな顔をされたくないでしょう。ましてまだ数え21歳とあってはね。

 

ところで、じつはこの時点で弟 隆家も従三位なのですが、ちゃんと束帯を着ていました。父や兄のやり口に対して否定的であるという表現だったのかなと思いました。