史実の道兼さんの話 | 星野洋品店(仮名)

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とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

第1回ラストで殺人事件を起こしたときは、一体どうなることかと思いましたが、藤原道兼が惜しまれつつ退場しました。「平民なんぞは、殴って気晴らしをする道具」と言っていたのに、疫病患者のための救い小屋を国費で建てようとするなど、ずいぶん変わりました。

 

父の関心を求めて空回りし、父を亡くしてようやく自分の足で立てるようになるまでを、玉置玲央が舞台俳優らしいやや大仰な芝居で表現していました。道兼の自分探しの過程で犠牲になった為時一家には気の毒なことでしたが、まひろが母の形見の琵琶で弔うことで、忘れはしないけど赦すという前向きな気持ちを示せたのはよかったと思います。

 

 

史実の藤原道兼公の話をしておきますか。通称は粟田殿(あわたどの)。東山の粟田に別邸を構えたところからそう呼ばれます。この別邸を娘のお妃教育のために美しく整えていたのですが……。

 

嫡妻(ドラマには出てこない)とのあいだに生まれたのが、4人続けて男の子だったんです。ふつうは嬉しいことだよ? でも摂関政治の時代だから、嫡妻腹の娘を皇后に立てて(側室腹の娘が皇后になるのは難しい)、生まれた皇子を天皇にして、その摂政になるという回りくどいことをしなければ、完全な権力を握れない。

 

結局、嫡妻腹の娘が生まれたのは彼の死後のこと。また、側室(道兼を置いて出ていっちゃった藤原繁子)とのあいだの娘が道兼の死後に入内しますが、皇子女を生めませんでした。以後、道兼の子孫は没落し、孫の代以降は公卿を出せませんでした。

 

このように道兼さんという人は、努力がいっさい実らない人なんですよね。人生の二択をぜーんぶ外しちゃうというのか。二択なんだから適当に選んでも半分は当たるだろうに、ぜんぶ外す。そんな人です。『光る君へ』では、父 兼家が道兼に汚れ役を押しつけましたが、それがなくても幸せにはなれなかった人なんだろうなと思います。

 

 

ところで、『鎌倉殿の13人』のセクシー八田知家は、藤原道兼の子孫を自称しています。道兼の子孫は没落しているので、勝手に名乗っても文句を言われることもないわけですが。とすると、戦国最弱武将こと小田氏治も道兼さんの子孫ってことになります。よかったね、道兼さん。自称とはいえ子孫たちは、21世紀のネット上で人気者だよ。