星野洋品店(仮名)

星野洋品店(仮名)

とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

『光る君へ』の放送休止で心に穴が開いてしまったあなたには向かないようなドラマをご紹介。

 

テレビ大阪制作『まったり! 赤胴鈴之助』

 

半世紀以上前、子供たちを中心に絶大な人気を博した少年剣士漫画「赤胴鈴之助」の“その後”を完全オリジナルストーリーでドラマ化。鈴之助が江戸時代からタイムスリップした令和の時代で、まったり過ごす日常をコメディタッチで描く。


主演の尾上松也による持ち込み企画だそうです。65年前に亡父 尾上松助が演じた赤胴鈴之助を令和によみがえらせたかったのだとか。亡くなられたお父さまもきっと喜んでいらっしゃることでしょう……たぶん。

 

なにしろ、すでに中年になった少年剣士が令和の東京にタイムスリップしたものだから、剣士としてやることがないんですね。刀を振り回したら銃刀法違反だし、倒すべき敵もいないし、いちおう剣士だから刀以外のものを持ちたくないし。おなじくタイムスリップしていた兄弟子 雷之進から小遣いをもらい、お気に入りの喫茶店でダベったり、個人的な恨みで必殺技をブチかましたり。

 

令和の鈴之助ははっきり言ってしょうもない奴です。凛々しい少年剣士の面影はどこにもない。ダラダラした日常が流れる中、背後では恐ろしいんだか馬鹿馬鹿しいんだかわからない陰謀が進行していました。最終回はちょっと吹いたわ。あんたが黒幕かい!

 

『鎌倉殿の13人』最終回で隠岐へ流された後鳥羽上皇さまがこんな風に転生したのかと思うと、涙を禁じえません。どうぞ何も考えずに尾上松也の顔芸をお楽しみください。NHKBS『大富豪同心』に主演した中村隼人のトンチキ演技も見られますよ。令和の世にネッカチーフを巻いてる人なんているんですね。

『光る君へ』での彰子は、打っても響かない感じが『源氏物語』の女三の宮のようだとネット上で言われていました。子役時代もずっと寝ていたり、客にちゃんと受け答えができなかったり、母と祖母に「言葉が遅い」と思われたりしていました。

 

道長と頼通・教通兄弟による摂関政治を「実質的には上東門院 彰子による院政だ」と言う学者もいるくらいですから、このままってことはないのでしょうけど。まひろが家庭教師として彰子を皇室のゴッドマザーへと育てるんだとしたら、任は重くして道は遠そうです。

 

 

『光る君へ』では、道長も倫子も「入内は女性を不幸にする」という考えでしたが、穆子ママの〈左大臣の妻講座〉によって方針転換。出家したはずの中宮が内裏に入って懐妊するという異常状態が引き起こした邪気を祓うため、彰子をいけにえにするという決断でした。

 

一条天皇の譲位・三条天皇の即位を当面防ぐためには、致し方ないでしょう。春宮 居貞親王の母は道長の同母姉 超子ですが、すでに死去していて影響力がない。また、居貞親王の第1皇子の母は藤原北家 小一条流出身で、九条流の道長とは縁が薄い。代替わりによって道長が権力を失えば、つぎは右大臣 藤原顕光(道長のいとこ)、ついで内大臣 藤原公季(道長の叔父)が首座になってしまいます。実資さんが『小右記』でさんざん無能呼ばわりしている人たちですやん……。

 

彰子の裳着で流れていたのは、一条天皇即位式のときと同じパイプオルガンでした。子どもが政治の犠牲になるという象徴なのでしょうか。裳着の腰結い役は詮子女院。彰子の後見人になるという意味なので、一条天皇が彰子をないがしろにしたら、詮子女院が怒鳴り込んでくるってことです。うわー。

 

 

一条天皇が尼さんのはずの中宮 定子を内裏に連れ込んで大殿籠ったのは史実です。この時点の日本では女性が正式に尼になることはできず、〈尼姿の人〉に過ぎないので、ぬるっと俗人に戻ってもいいっちゃいいんですけど、尊敬できる振舞いとは言えません。髪を切って仏教徒丸出しの姿で、三種の神器が安置された神道の聖地たる内裏に居座ってほしくもないし。

 

仏教そのものが絶対ダメってことではないんです。国家鎮護のために利用することはしますし、平安時代に入って神仏習合(日本の神々は仏が仮の姿をとって現れたものという考え方)が流行しますし、また個人的には皇族が仏教徒であっても問題はない。

 

じっさい、清涼殿の北には仏間がありますし、清涼殿の中には僧侶の詰所があります。しかし仏教用語を忌むので、仏間は黒戸(くろど。戸が煤で黒くなったあの部屋)と言い、僧侶の詰め所は二間(ふたま。3×6メートルの空間)と言ってボカします。喪中の中宮が宮中祭祀が行われる際に職の御曹司に移るのも、服喪が仏教的な行いと考えられていたからです。

 

仏教はしょせん新興宗教ですから、仏教伝来以前から続く宮中祭祀のほうが優先されるべきです。たとえば、現代の皇族が新興宗教のペンダントをつけて公式行事に出席してたら、「宮中祭祀はちゃんとやってるんですよね???」と不安になるでしょう? だから忌み言葉まで使って仏教感を消そうと頑張っているのに、仏教の尼僧っぽい姿で内裏に入るなって話なの。しかも大殿籠るなんて、「中宮が内裏を邪気で穢したから、天譴(てんけん。天罰)が打ち続く災害となって現れた」と言われても仕方がない。一条くんが目を覚ましてくれるといいんですけどね。

だんだん佐々木蔵之介がキャバクラの客に見えてきたぞ。

「いや~、若いコとしゃべると、オジサンも若返っちゃうな~」

とか言いつつ、キャバ嬢に化粧道具や季節のフルーツを貢いでる。若いと言ったって、まひろはすでに30近く。中学生くらいの子どもがいてもおかしくない年齢ですが。

 

そしてどうせ貢ぐなら、より若いコのほうがいい。佐々木蔵之介……ではなく宣孝は、近江国司の娘らしき女を連れて同伴出勤……じゃなくて、清水寺にでも詣でたのでしょうか。まひろより若い女に絹を買い与えるところをまひろの弟 惟規に見られてしまいました。惟規、わざわざ告げ口すんなよ……。

 

清水の市でついでに買った絹を持参した宣孝に、まひろはかわいくない態度をとってしまいます。アカンで。おじさんが若いコに求めるのは、結局かわいげなんだから。咎められた宣孝はまひろの元カレの件を持ち出して地雷を踏み、火鉢の灰を浴びせられました。

 

『源氏物語』31帖「真木柱」では、髭黒の大将と呼ばれる人物が若い玉鬘(たまかずら)を娶ったため、髭黒夫人が髭黒の大将に香炉を投げつけるシーンがあります。べつに嫉妬に狂ってというわけではなく、夫人にとりついた物の怪が夫婦仲を悪くするためにやらせたことなのですが。

 

夫人の勧めで玉鬘のもとに出かけるための支度をしていたところ、装束に香を焚きしめるために使った香炉をまだ熱い灰ごと投げつけられたわけです。その時点までの髭黒の大将は物の怪憑きの夫人を憐れんで大切にしていたのですが、さすがに呆れて夫人に会わなくなってしまい、夫人は娘を連れて実家に帰ります。

 

まひろと宣孝はどうなっちゃうんでしょうね。個人的な手紙をほかの女に見せたことにしろ、貧しい民への態度にしろ(宣孝のほうが当時の標準だけど)、どうにも価値観が合わなさそうです。合わなさをあえて追及しないことが愛しむということだと、いとさんは言います。まひろは石山寺に詣でて宣孝とうまくいくように祈ると言い出しました。しかし、石山寺には……というところでおしまい! 次回は1週飛ばして14日の放送。ちなみに、8月11日もオリンピック中継によって休止です。

 

国政選挙やスポーツイベントで放送が飛ぶのはよくある話です。それに働き方改革でスケジュールがキツいらしく、『鎌倉殿の13人』のときも終盤に1週休みがありました。低クオリティのものを放送するよりは、しっかり休んで面白いものを撮影してほしいものです。

実資さんは第25回でも怒ってました。怒ってない回のほうが珍しいけど。〈主上はまた職の御曹司に行った。中宮は恥知らずだ〉と日記に書き殴り、「非難すべし! 非難すべし! 非難すべし!」と怒鳴り散らすので、オウムが「スベシ!」という言葉を覚えてしまうほど。オウムの声は種崎敦美から山村響に交代。別のオウムなのかな。

 

定子の出家は、なんとなくなかったことになっています。出家してないから離婚ではないという主張です。それはそれでいい。そもそも正式な儀式を経た出家ではなかったから。しかし、勅命に逆らって伊周&隆家を匿ったのは公務執行妨害です。

 

儒教的価値観では親兄弟をかばうのが自然で、責められるべきではないとされますが、中宮は国母(こくも)です。国民の母、全女性のお手本となるべき存在なのに、勅命に逆らうのはどうなのさ。法の人である実資さんとしては、問題の多い中宮を廃して新たな中宮を立ててほしいでしょう。

 

臣下たちの思惑なんぞおかまいなしに、一条天皇は職の御曹司で大殿籠り。史実の一条天皇は日が暮れてから職の御曹司に渡り、夜明けには内裏に戻っていたようですが、ふたりの新女御をほったらかしちゃいけないよ。

 

一条天皇が政務をおろそかにする間に、安倍晴明の予言通り災害が頻発しています。天災は君主の不徳ゆえに起こるとされます。鴨川の堤防に近い為時邸も大水の被害に遭い、片づけを終えたまひろは『白氏文集』巻四を広げます。曰く、「宮中の人とばかり話していては、宮門の外で民が苦しんでいても聞こえない」。

 

続くくだりで、白楽天は中国の悪王の名を列挙します。西周の10代 厲王(れいおう。人でなし王の意)は、諸侯に背かれて都落ちし、都に戻ることなく死にました。秦の二世皇帝 胡亥は陰謀によって即位し、失政を続けて殺害されました。隋の煬帝は大運河の建設と度重なる高句麗遠征で国力を浪費し、民の反乱を招いて殺害されました。

 

日本は中国と違って王朝の交代は起きませんが、天皇が廃されることはあり得ます。57代 陽成天皇(868-949 在位876-884)は、かずかずの乱行を理由に退位させられました。三種の神器の封印を解いて中身を見たとか、手ずから人を殺したとか、祭司王として完全にアウトな逸話が伝わっています。

 

作中時間が998年で、陽成院の崩御が949年ですから、わりと最近の話です。先代 花山天皇も(一応)自発的な出家&退位ですが、イレギュラーな形の退位です。天皇の地位って、そんなに安定的なものでもない、と世間は思っているわけで。一条くんも、あんまり暴走しないほうがいいと思うよ~。

第25回は、為時・まひろ親子が紙漉きを見学するところからスタート。現代の紙漉き職人による実演でした。

 

 

為時は寒い時期に手を水に浸す職人を気の毒がっていましたが、寒くないとダメなんですよね。紙の繊維が沈殿するのを防ぐために、写真のトロロアオイの根などから採った糊を水に混ぜるのですが、これが大変腐りやすい。農閑期でもある冬場にやるのが合理的なんです。

 

余分に納税された越前和紙を為時パパは村長に返そうとしましたが、断られてしまいました。返されても困るんだよね。現代と違って紙の需要が役所とお寺にしかない。山間の村から販路を開拓するのも難しいので、全量を引き取ってもらうのが一番ありがたいんです。

 

つーかね、国守ってのは儲けを上級貴族に献上するものなわけで。それを見越して余分に紙を納めさせるんですよ。黙って受け取り、黙って献上! これがまた国守に選んでもらうための重要ポイントですよ、為時パパ。

 

 

今後の身の振り方を考えるために越前から都に戻ってきたまひろ。ウニを食いまくったおかげで、乙丸もいい人を連れ帰ることができました。そして為時邸には、いとさんのいい人が! いとさん曰く、

「みな歌がうまい男がよいとか、見目麗しい男がよいとか、富がある男がよいとか、話の面白い男がよいとか申しますけど 、私は何もいりません。私のいうことを聞くこの人が尊いのでございます」

……えーと、「宣孝みたいな男はやめとけ」ってことかな???

 

いとさんの好みはさておき、宣孝おじちゃんは嬉しげにまひろの帰京を出迎え、弟 惟規をガン無視し、催馬楽(さいばら。当時の流行歌)「河口」を歌いました。〈娘を垣根で囲っても、その娘は垣根から出てきて、ボクと寝ちゃったもんね~〉という内容です。佐々木蔵之介でなければ許されないセクハラソングですが、いずれ『源氏物語』33帖「藤裏葉」で引用されることになります。

 

ついで、宣孝おじちゃんは元カレ 道長にご挨拶。やはり、かつてまひろと一緒に散楽を見ていた若者が道長坊ちゃんだと気づいてたんだな。マウントされた道長は、結婚祝いを贈らせ、仕事に打ち込むしかありませんでした。

 

祝いの品を運んできた百舌彦は、出世して服装が変わっていました。水干に上括り(じょうくくり。ひざ下でひもを結びとめる)の小袴から、狩衣に下括り(げくくり。足首でひもを結びとめる)の指貫へ。足が汚れるような仕事は部下に任せられるようになったってことです。貧乏していたころの為時パパより、よっぽどパリッとした格好です。左大臣さまの一の従者ともなれば、たいした威勢ですなぁ。

 

贈り物に添えられていた手紙は、「末永くお幸せに!」という内容で、しかも代筆でした。何を期待してたんだよ、まひろ。あの廃邸でお別れのキスをして、「越前で生まれ変わりたい」と言ったじゃないか。いまさら道長も廃邸に呼び出したりはしないよ。百舌彦の言うとおり長い月日が流れたのだから、忘れえぬ人への思いを抱えながら幸せにおなりよ。末永いかどうかは知らんけどさ。