星野洋品店(仮名)

星野洋品店(仮名)

とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

第24回は天正7年(1579年)秋から翌年正月まで。荒木村重の有岡城と別所長治の三木城の陥落が対照的に描かれました。やたらと凝った絵作りをする演出家でした。カメラがグルングルンと回ったり、無意味に竹中半兵衛カラーの布が干されていたり、毛利家ではむやみに蝋燭を灯していたり。黒沢映画でも目指してるん?

 

安芸国から摂津国まで

出典:れきちず

 

本作では完全に無視されていますが、元亀元年(1570年)から織田信長と本願寺との間で石山合戦が進行中です。瀬戸内海航路を押さえる毛利氏は、石山本願寺(今の大阪城のあたり)に海路で支援をしていました。信長は播磨を獲得することで、毛利ー石山本願寺間の陸路・海路を切ってやりたいわけです。ちなみに備後の鞆の浦では、将軍 足利義昭が元気に手紙をばらまいてるぞ。うざ。

 

ところが東播磨一帯を治める別所氏が離反してしまう。将軍 足利義昭が上洛した折、別所氏は信長の呼びかけに応じて将軍に謁見し、それ以降10年ほど信長に従っていました。当主の別所長治がまだ若かったため、後ろ盾が欲しかったという事情もある。しかし播磨西部攻略のためにやってきた羽柴秀吉は、「別所は信用できない」と言わんばかりの態度で反感を買ってしまいます。播磨守護 赤松氏の血を引く別所氏のメンツってものがわかってないんだよ。

 

長治もすでに成人したことだし、成り上がりの織田ごときにペコペコする必要はない。摂津の荒木村重・石山本願寺と連携して毛利の援軍を待てば、信長に対抗できるはず。しかし備前・美作を治める宇喜多直家が織田方につき、宇喜多への対処に手を取られた毛利からの援助は期待できなくなった……というのが天正7年(1579年)秋の状況。

 

 

本作ではまたもや無視されていますが、有岡城の包囲が長引くにつれ、荒木村重をそそのかして謀反を起こさせた中川清秀・高山右近までもが織田方に降ります。お前らが暗黒JK……じゃなくて、安国寺恵瓊を引きこんだからこうなったんだろうが! 村重は怒っていい。

 

なぜか有岡城攻城戦にまぎれている(三木城におらんでええんか?)小一郎は、10カ月たっても士気高く戦っている城兵に不審を抱き、兵糧の横流しを摘発しました。カネに執着がある設定が久しぶりに生きたね。

 

「銭で命は買えぬ!」とかっこいいことを言って裏切り者を買収し返し、小一郎は村重の側室 だしに手紙を届けさせました。だしは村重を説得し、投降が決まりかけましたが……。

 

茶碗をうっかり落とし、破片で指先を切ってしまった村重は、信長の冷ややかな目を思い出してしまいました。信長がさ、もっとにこやかな人物ならよかったのかな。茶器をもらうとホイホイ赦しちゃう人なんだけど、顔が怖いよね~。パニックに陥った村重はさらに茶碗を割り、破片をかき集めた手は血まみれになり、とうとう残った茶器を担いで有岡城から逃亡しました。

 

最新の研究によると、村重は海沿いの尼崎城まで落ちのびて嫡男の村次と合流しました。そこで本願寺や毛利と連絡を取ろうとして果たせず、さらに西の花隈城(神戸市)に入りました。抗戦を諦めて毛利へ亡命したのは、有岡城を出てから約一年後のことです。

 

史実では村重が尼崎城にいた際に織田方との交渉が行われ、村重が投降すれば有岡城は無血開城されるはずでした。しかし村重の抗戦の意志は固く、有岡城に残されていた家族や家臣はすべて処刑されました。だし役の山谷花純さんは、2022年『鎌倉殿の13人』の せつ役に続き、夫のせいで小栗旬さんに殺される役となってしまいました。朝ドラ『らんまん』では丹羽長秀と再婚して幸せになってたはずだけど。

 

 

 

一方、三木城は後世「干殺し(ほしごろし/ひごろし)」を呼ばれる状況になっています。有岡城の陥落で東からの補給路が断たれ、南の海岸からの補給路は羽柴勢が砦を築いて丁寧にふさぎました。この工事の経験が中国攻めの際の水攻めに生きるのに、作中ではスルーされています。

 

三木城の西と北は羽柴勢の陣地と土塁が取り囲んでいます。兵糧入れを試みた毛利軍は撃退され、三木城から打って出た別所勢も激戦の末に敗退しました。信長の嫡男 信忠は三木城を力攻めにして皆殺しにしろと命じましたが、そこに現れたのが有岡城から救出された小寺官兵衛でした。元気そうで何より。

 

幽閉前はクラシカルな大袖付きの腹巻を着けていた気がしますが、当世具足に換装しています。え~、肩の丸みにフィットする当世袖なんかつまんないよ! 防御より装飾重視の大袖をバッサバッサ、ガッチャガッチャと翻してくれよ! ……ごめん、もう言わない。

 

官兵衛は幽閉中に視野が広がったようです。荒木村重から意見を求められたときは(現在公開中の映画『黒牢城』のパク……オマージュ?)、精神の均衡を崩しているように見えましたが、耳に残る竹中半兵衛の声と松寿丸を支えに生きのびました。以前の彼なら皆殺しに賛成しただろうに、播磨の民の心情まで考慮し、名門 別所氏の名誉を守る形での決着を進言しました。

 

父 信長の意向を気にする信忠も官兵衛の見解を認め、天正8年正月、別所長治ら別所一門の切腹と引き換えに城兵は助命されました。有岡城を見捨てた荒木村重とは大違いですね~、と言いたいところですが、それは天下人になったあとに豊臣秀吉が言いつくろったことで、じつは城兵を殺しちゃってたという説も出ています。皆殺しは織田勢のお家芸。

 

 

 

とりあえず三木城攻防戦は終結し、小生意気な小寺官兵衛は軍師 黒田官兵衛に生まれかわりました。作中では例によって説明されませんが、官兵衛の父は主君 小寺政職の養女と結婚して小寺の名乗りを許されましたが、もとの氏は黒田でした。

 

黒田氏は佐々木源氏の子孫がどうとか言ってるけど、たぶんでっちあげで、出自がよくわからない。そんな家が西播磨の有力者である小寺を名乗れるのは名誉なことだったのです。しかし小寺政職は信長に反旗を翻し、三木城が陥落するころに御着城(ごちゃくじょう。姫路城の東)を捨てて毛利に亡命しています。もはや小寺姓がありがたくなくなったから、黒田姓に戻した、という話でした。

 

 

さて、3年がかりの播磨攻略を終えた羽柴秀吉に対して、丹波方面を担当していた明智光秀はどうなんでしょうか。こちらも大変な苦闘だったと聞き及びますが、第24回のラストカットには不穏な文言が差し挟まれました。本能寺まであと二年。あ……。

「『豊臣兄弟!』の世界では、美しくないと軍師になれないの?」

というネットの書きこみを見て笑ってしまいました。それはむしろ逆で、中国の講談では天才軍師は「美人」と相場が決まっています(中国語の書き言葉では、男女ともに美人と形容する)。

 

枕詞みたいなものです。奈良と言ったら「あをによし」、志賀/滋賀と言ったら「ささなみや」、天才と言ったら「衣に堪えぬ」。実物がゴツいおっさんだろうとヨボヨボのジジイだろうと、天才軍師たる者は一律に「婦人のごとし」と形容します。

 


紀行で紹介されていた『豊鑑』は、竹中半兵衛の息子 竹中重門が書いた竹中家の歴史書です。中国史に詳しい重門は、若くして病死した父 半兵衛を中国の講談の慣習に従って「婦人のごとし」と形容しました。重門は6歳で父と死に別れて発病してからの父しか知らず、本当に「婦人のごとし」と見えていたんだと思います。これが元ネタになって、江戸時代に書かれた軍記もので半兵衛が天才軍師とされてしまうのです。江戸時代の書き手は、みんな中国の講談本を読んでますから。

 

そもそも論として、日本の戦国時代に中国史で言う軍師はいません。いるとしたら陰陽師とか僧侶といった、占いや外交交渉を行うために従軍している非戦闘員が軍師と言えます。竹中半兵衛にしろ黒田(小寺)官兵衛にしろ、自領から徴兵して参戦する義務を負う小領主で、大将の顧問として作戦を立案するのが仕事だったわけじゃない。

 

ただ、両兵衛はいわゆる境目の住人で、ふたつの勢力のあいだを泳ぎ回って諜報・調略を行うことを期待される立場ではありました。その一環で大将に献策することはあったでしょう。

 

 

 

第23回は天正6年(1578年)秋から翌年春(史実では10月)までのお話。謀反を起こした荒木村重は明智光秀の説得に応じないばかりか、光秀の本能寺ゲージを上げやがりました。やーめーてー! 映像史上もっとも悲しげな光秀をこれ以上悲しませないでー!

 

村重と付き合いの長い黒田官兵衛(ややこしいので、ここからは黒田氏で通す)は、竹中半兵衛の制止を振り切って有岡城に向かい、案の定捕まりました。だから言ったのにさ~。このときノリノリで官兵衛の首を切って織田方へ送りつけようとしたのは高山右近。お前、それでもキリシタンか! そしてお前、来週は……やめとこ。

 

村重は官兵衛を幽閉し、「官兵衛が信長を裏切った」と噂を流させました。激怒した信長は人質となっていた官兵衛の嫡男 松寿丸を殺せと命令し……と展開しましたが、そんなことはあるわけがない。

 

じつはこのとき、黒田家の主君 小寺政職が毛利に寝返っています。黒田一門衆は主君と縁を切って信長にあらためて誓紙を提出し、織田勢として参陣を続けています。この状況で松寿丸を殺したら、黒田勢も毛利についちゃうよ。

 

 

織田信長が松寿丸の殺害を命じたという話は、一次資料では確認できません。どうやら江戸時代になってから、黒田・竹中両家が口裏を合わせて作り話をしたっぽい。織田信長を貶めれば点数を稼げると考えてのことでしょう。史実は、人質としての重要性が増した松寿丸を、長浜より遠い美濃で竹中家が預かることになった、というあたりかと思われます。

 

でもまあ、黒田・竹中両家がそう主張してるんだから、乗っかってやろうぜ。信長大激怒! それでいい。一時停止して信長から秀吉に宛てた手紙を読んでみたところ、「荒木の件は言語道断。官兵衛の嫡男 松寿丸を殺せ。官兵衛離反については、秀吉に責任はない」などと書いてありました。あー、「松寿丸を殺さないと責任を問う」ってことだね~。殺さざるを得ないね~。

 

竹中半兵衛は「病死した子どもを身代わりにして松寿丸を助ける」と称して長浜に向かいました。ここから先は菅田将暉劇場でした。菅田将暉をはじめとする俳優陣の演技力で、いろんなものを押し切った感。最後は播磨戦線崩壊の大ピンチを竹中半兵衛の調略が救いました……というエンディング。

 

調略されたのは備前・美作(現 岡山県)を支配する宇喜多直家。演者は八津弘幸脚本の『半沢直樹』で小木曽部長だった緋田康人さんです。小木曽部長はいかにも小悪党でしたが、今回の宇喜多直家も小悪党風味。毛利方についていたのに、生野銀山の銀をいっぱいもらって、あっさり転びました。もうちょい稀代の謀略家感を出せよ!

 

生野銀山を確保するために竹田城を奪うよう提案したのは竹中半兵衛。半兵衛の策は、ここまで見越した深謀遠慮だったのです。子どもを助けようと懸命になる羽柴家の人たちとともに、もっともっと知略を尽くしたかったのに、竹中半兵衛は志半ばで斃れました……。

 

 

 

 

 

 

 

 

この先に悪口を900字ほど書いたんだけど消した。楽しんで観ている人に水を差すこともないかなと思って。エピソードだけがあってストーリーがないタイプのドラマって、好きじゃないんだ。すくなくとも、日本で唯一の長編ドラマ枠である大河ドラマでやることじゃないと思ってる。

 

楽しんでいないわけではないのでブログは続けますが、公式の説明不足を補うために二次創作みたいな書き方になってしまっているのがしんどい。このブログで何度か紹介している小学館『サライ』の連載もだいぶしんどそうです。「三木城の干殺し」の話をしたかったんだろうなぁ。

 

 

書寫山圓教寺(しょしゃざん えんぎょうじ)は康保3年(966年)に性空上人が創建した天台宗の寺院で、花山法皇の帰依を受けて発展しました。歌人の和泉式部も性空上人宛てに歌を贈っています。

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき  遥かに照らせ 山の端の月

 

「仏の道を知らなければ、煩悩から煩悩へとさまよい続けるのが人の常だ」と『法華経』では教えているそうですね。どうかお上人様のお力で、私の行くべき道を照らしてお導きください。

花山法皇にせよ和泉式部にせよ、いかにも「煩悩から煩悩へ」って感じの生きざまでしたなぁ。

 

 

播磨国

れきちずを一部改変

 

天正5年(1577年)、羽柴秀吉は播磨攻略をあらかた終えて、姫路城の北北西7kmの書寫山に陣を構えました。姫路は街道が集まる好立地で、播磨全域を監視することができます。おかげで圓教寺は寺領を接収されるわ、仏像を長浜へ持ち去られるわ、柱に落書きされるわで、エライ目に遭いました。

 

先日放送されたNHK BS『英雄たちの選択』で磯田道史先生が、

「秀吉は魚が針をすっかり飲みこむ前に釣竿を上げるようなことばかりしている」

と呆れていました。人心を落ち着かせなきゃならない局面で、傍若無人に振舞っちゃダメだよ。

 

翌天正6年(1578年)に至って、三木城の別所氏が離反してしまいました。8つの支城を破壊する、破城を拒むなら人質を出せ、というのでは、別所氏が織田家に強い不信感を持つのが当然だわね。

 

 

一方で尼子勝久・山中鹿之助幸盛主従が守る上月城も毛利の攻撃にさらされます。こっちは予想通りでしょ。上月城落城時に自害していた者たちの死骸を国境に晒し、毛利に滅ぼされた尼子氏の生き残り 尼子勝久を上月城主にしてるんだから、挑発された毛利が出てきて当然。

 

山陰地方を支配した尼子家が毛利家によって滅ぼされたのち、尼子本家の生き残りは毛利の臣に収まっています。尼子本家によって粛清された分家の血を引く勝久が還俗し、尼子復興運動を展開しましたが、単独での復帰を諦めて織田家を頼っている状態。大名としての滅亡から十年余が経ち、いまさら山陰の人たちも尼子の復帰を望んでいません。

 

腹背に敵を受けては対処しきれない。ちなみに先週獲得した竹田城も毛利に奪われます。信長の指示は上月城を見捨てて三木城の別所氏に対処すること。軍師ふたりも信長の正しさを認めました。信長にとって尼子主従の利用価値は小さい。壮絶に討ち死にして毛利勢を削ってくれれば嬉しい、それが信長の感情なんだと思います。

 

 

しかし秀吉は尼子主従に強い思い入れがあったようです。新撮回想(『どうする家康』でさんざん批判された手法……)で明かされたところによると、かつて尼子主従に粥をふるまい、謡を聞かせてもらって仲良くなったんだそうです。へー。

 

尼子主従を見捨てたストレスから秀吉は不眠症になり、階段から落ちて記憶喪失になってしまいました。歴史劇としては斬新な展開ね。圓教寺の摩尼堂に遺された落書き(羽柴小一良内 高井丁助)と小一郎の早死にを結びつける作劇なのは理解しましたが。

 

 

でもねぇ、秀吉のストレスを感じる「当たり判定」がよくわからんのよ。上月城を落とした時に城兵と女子どもが全員自害したのは、秀吉が信用されてなかったからだよね? 史実として知られるところでは、城内の女子どもは秀吉の命令で殺されて晒された。でも本作では投降しても許されないと思って勝手に自害した死体を半兵衛の提案で晒しただけ。いずれにせよ秀吉の責任による死なんだけど、直接殺すのがアウトで間接的ならセーフ?

 

尼子主従を見捨てるのは同じ鍋の粥を食った仲だからアウトなのね? 信長の命令を無視して助けられるものではないから、秀吉には間接的な責任すらないのに。むしろ武士らしく切腹した尼子勝久を讃え、往生際悪く戦い続けようとした山中鹿之助を悼むくらいで十分な気がします。武士になって20年以上が過ぎ、城持ち大名になっても百姓マインドが抜けていないという表現なのでしょうか。敵の死ならセーフ、味方はアウトという単純な判定かもしれんけど。

 

 

 

 

正直な話、羽柴兄弟が出てくる場面は無理なホワイト化のせいでつまらないと思って観ているんですが、ふたりがいないところは面白かった。竹中半兵衛から黒田(小寺)官兵衛への軍略家の魂の伝授。主家を見限り、大勢力につく。2つの勢力を争わせた挙句に独立する。

 

竹中半兵衛は途中まで実行したけど、羽柴家の与力になったところでストップした。コミュ障の戦場マニアでしかなかった半兵衛を小一郎が仲間として受け入れてくれたから。そして、半兵衛には最後まで実行するだけの時間がないから。

 

官兵衛は四の五の言って敗勢の碁の対局をうやむやにしました。半兵衛は時間を贅沢に使える官兵衛を妬ましく思ったようです。官兵衛は己の能力に自信があり、豊かな未来があることを疑っていない。その未来を羽柴家のために使わせたい。だから賭け碁に誘って「お前ごときの考えはまるっとお見通しだ!」と圧力をかけたんだ。

 

 

半兵衛が病に倒れる一方、記憶喪失から復帰した秀吉のもとに、荒木村重謀反の報が飛びこんできました。あらあら。配下が毛利と通じていると疑われ、信長に呼び出された村重は、潔白の証として持参した饅頭を全部食わされました。『べらぼう』じゃないんだから、饅頭で毒殺はしないったら。

 

一生懸命饅頭を食べる村重を見ていて、1988年大河ドラマ『武田信玄』を思い出しました。信玄の側室 お湖衣(おこい。史実の諏訪御寮人)が正室 三条夫人のいやがらせで山積みの団子を食わされるんですよ。「いしいし(御所ことばで団子のこと)」という言葉が今でもトラウマ。ちなみに三条家の子孫が「三条家の女性があんな下品なことをするわけがない!」と怒ってたらしいよ。

 

 

よく見る浮世絵通りに脇差に突き刺した饅頭も食わされ、すっかり饅頭が怖くなった村重でしたが、ほうほうの体で帰り着いた有岡城にはもっと怖いものが待っていました。与力の中川清秀と高山右近が呼び入れたのは、毛利家の外交僧 暗黒JK……じゃなくて、安国寺恵瓊でした。ほんまに配下が毛利と通じとったんか。今年はここで落語家枠を消化。演者は立川談春です。

 

本作ではきれいさっぱり消されてるんですが、織田家と本願寺との石山合戦がこのときも進行中です。村重は有岡城(JR伊丹駅付近)から直線で14kmの石山本願寺(大阪城のあたり)と連携すれば、信長に背くことができるわけです。じっさい中川清秀の家臣が本願寺に兵糧を横流ししたという噂があったし、信長が警戒するのも無理はない。

 

というわけで来週は有岡城攻防戦となるわけですが、その前に官兵衛は余計なことを言いがちなところと全部表情に出ちゃうところを直したほうがいいよ。竹中半兵衛から勝手に後継指名を受けたんだから、羽柴家の役に立ってくれなくちゃ。1年も離脱するとか、ありえないし。

松永久秀が爆死したのが天正5年(1577年)10月10日。羽柴勢が播磨へ出陣したのは同10月23日。妻とイチャついている暇もない。ちなみに明智光秀は丹波(兵庫県東部から京都府中部)を攻めています。うまくいくといいですね。

 

兵庫県南西部を占める播磨国は、毛利と織田のあいだでイケメン三成のように引っ張りダコ。両勢力の関係は悪くなかったのですが、毛利が前年の天正4年に将軍 足利義昭を備後国 鞆の浦に迎え入れたために決裂しています。手取川の合戦も松永弾正の謀反も、義昭将軍のお手紙に応じた結果なのよね。将軍さま、大人しくしててよ。

 

播磨国

れきちずを一部改変

 

播磨の調略はもともと摂津の荒木村重が担当していましたが、あまりうまくいってはいませんでした。しかし羽柴勢が着くなり、小寺政職の臣 小寺(黒田)官兵衛が播磨全土の調略をほとんど済ませた状態で姫路城を献上しに来ました。「織田家の筆頭家老である(大嘘)羽柴秀吉が播磨に乗りこんでくるから、織田家に従って毛利に対抗すべきだ」と噂を流して人心を動かしたのだとか。

 

策士だね。それも自分の才を鼻にかけるタイプの策士だ。石田三成と仲良くなれなさそう。竹中半兵衛も微妙な顔をしています。副音声では、「半兵衛と官兵衛、視線バチバチ」と解説されていました。

 

それでも半兵衛は小生意気な官兵衛を育ててやるつもりのようです。

「攻城戦では城兵に逃げ道を作ってやると、自他ともに損害を少なくできる」

という『孫子』にある問題に正しく答えられるか試していました。官兵衛は数え32歳。半兵衛はそれより2歳ほど年上なだけなので、「後継者」と言うほどの年齢差はないんだけど、ね。

 

黙って官兵衛の自慢話を聞いていた半兵衛は、新たに臣従した者たちから人質を要求しました。三木城の別所氏が寝返ると、長浜への退却ルートを失うから。まずは小寺官兵衛が嫡男の松寿丸を差し出しました。のちの黒田長政だ。竹中家でかわいがってもらうんだよ……。

 

 

 

播磨平定をほぼ終えた羽柴秀吉が織田信長への報告のために播磨を離れようとすると、両兵衛が止めました。官兵衛はもう少し播磨に残って様子を見るべきだと言い、半兵衛は毛利の油断を突いて備前・美作国境の上月城を奪取するべきだと進言しました。さらには、北の但馬国に入ったところにある生野銀山を確保するため、15km北の天空の城 竹田城を落とすべきだと。果敢な積極策だけど、なにか焦りを感じる建言でもありますねぇ。どうした、半兵衛。

 

 

上月城には秀吉が向かい、但馬方面隊は小一郎が大将となりました。長島の一向一揆をパスしたから、本作中では初めての大将ですね。まだ「無血開城」なんてヌルイことを言ってやがりますよ。前野長康の超視力で確認したところ(あの角度から竹田城を見られる場所はどこも1km以上離れてるんだが)、竹田城内の井戸は長らく使われておらず、じきに水切れで開城させられそうです。

 

風雲!たけし城……ではなく、竹田城の足元には円山川が流れており、川の水が温かく山から降りてくる空気が冷たい秋には、川面から立ちのぼる水蒸気が霧となって竹田城を包みます。篝火を焚いて空気を温め、川霧が立たないようにしてやれば、城兵が霧に紛れて水を汲みに来られない、というわけですね。そもそも気象条件が整わないと見られない光景ですし、篝火くらいの火力でどうなるものでもないとは思うけど。

 

藤堂高虎がデカい図体で水汲み場を探り当てると、小一郎は篝火を消させました。翌朝、羽柴勢が撤退したかと思って川霧の中を降りてきた城兵を捕らえると、小一郎隊は城兵に変装して竹田城に潜入しました。

 

水桶に群がる城兵を押しのけても水を飲もうとした城主 太田垣輝延でしたが、変装していた羽柴勢に捕らえられました。刺し違えてでも羽柴兵を倒せと喚く城主を、小一郎は思わず殴りつけました。あ、鼻血。「無血開城」じゃなくなっちゃった!

 

太田垣輝延役は仲野太賀の実父 中野英雄でした。オープニングで名前を見たときには、「あ、お父さんが出るんだ」と思っていたのですが、その後すっかり忘れてしまい、「このチンケなオッサンは何なんだ?」とムカつきながら鑑賞してしまいました。「親父にもぶたれたことないのに!」ならぬ「息子にぶたれたし!」でしたね。

 

 

 

チンタラと時間をかけた竹田城攻城戦でしたが、但馬国主 山名氏が力を失い、但馬国の国衆が毛利派と織田派に分かれて争っていたおかげで援軍が来ず、無事に終了しました。太田垣輝延は山名氏の本拠へ送られ、城兵たちは織田方に降りました。おめでと。

 

そこに前野長康が噂をもたらしました。上月城を攻め落とした羽柴秀吉が、女子供までも磔にして、西の国境に向けて死体をさらしたのだとか。毛利方の宣伝工作で流された噂? それとも秀吉がどうかしちゃったんだろうか?

 

……否、秀吉はどうもしていないのかもしれない。たくさん死なせないために少なく殺す。殺した死体は最大限に活用する。それが戦国時代の「正義の戦争」の在り方じゃないのか。いままでの『豊臣兄弟!』がおかしかったんだとしたら……?

 

朝倉氏を倒して越前を獲得すれば、緩衝地帯を失って越後の上杉謙信と対立せざるを得ない。係争地となるのは越中・加賀、そして能登。天正5年(1577年)閏7月、上杉謙信の攻撃を受けた能登 七尾城は、織田信長に援軍を要請しました。

 

柴田勝家を主将とする織田勢は、9月に入って加賀国南部を西流する手取川北岸に陣取ったものの、そのときすでに七尾城は落城していました。あらあら。上杉勢は援軍要請の使者や織田方の密偵をすべて捕らえて情報を遮断し、ひそかに手取川から目と鼻の先の松任城に入りました。

 

羽柴秀吉が独自にこの情報をつかんで撤退を進言したのに、柴田勝家が信じなかったため、羽柴勢は単独で長浜に戻った……というのが第19回ラスト。

 

手取川

出典:地理院地図を一部改変

 

江戸時代の加賀藩では金沢城から15km南西の手取川の架橋を禁じて金沢城の守りとしていました。手取川は山から平地に出てわずか13kmで海にそそぐ日本有数の急流です。山で雨が降れば瞬く間に増水し、渡河できなくなる。こんな危ない川で背水の陣を敷けば、下手すりゃ全滅する。雨が降る前に逃げようよ。

 

 

確実にわかっている史実は、手取川北岸で織田勢が敗北し、上杉謙信が「織田勢にボロ勝ちした」と自慢していたことだけです。一説には、羽柴勢が殿軍となって本隊を逃がし、そののち渡河した羽柴勢が本隊を手取川南岸に置きざりにして長浜へ帰ったとか。この説なら、秀吉が無断離脱で罰を受けなかったのもわかる。

 

本作では各種軍記もの準拠で、羽柴秀吉は手取川北岸で離脱し、残った本隊は戦死・溺死を合わせて兵の半分を失ったそうです。信長も激おこ。羽柴勢だけでも無傷で帰還するのが織田家のためと秀吉は考えたようですが、本隊がそんなに損害を出しちゃあねぇ。柴田勝家を殴ってでも連れて帰らなきゃダメでしょ。

 

比叡山の一件に続いて2度目の命令違反を赦すことはできず、信長は秀吉を安土の牢に放りこみました。いずれ死刑にすると宣言しながら小一郎をじーっと見ていたのは……助ける策を考えろってことだね?

 

丹羽長秀は柴田勝家への遠慮があり、敗軍の将である柴田勝家には口出しする資格がなく、明智光秀は足利義昭を巡る複雑な感情から薮蛇になりかねず、信長への取り成しを断りました。秀吉の妻 寧々は短刀を懐に安土に乗りこもうとしましたが、お慶の発案で家臣と家族一同の血判状を安土に届けることにしました。血判状を無視したら、無傷の羽柴勢で未完成の安土城を襲撃するってことですか? わくわく。

 

信長の心を動かしたのは直江状ばりのロング血判状×2ではなく、松永弾正久秀謀反の報でした。信長は久秀がそのうち背くとわかっていて、時間を稼いでいたのかもしれません。秀吉は牢を出され、久秀愛蔵の平蜘蛛の茶釜を差し出せば赦すという条件で、信貴山城に籠る久秀と和睦の交渉を行うことになりました。けっきょく襲撃はなしか~。つまんね。

 

 

 

松永久秀は最初の天下人とも呼ばれる三好長慶の忠臣で、長慶の甥で養嗣子の三好義継にもなるべく忠実でありたかったようです。元亀4年=天正元年(1573年)7月に将軍 足利義昭は挙兵し、すぐに信長によって京から追放されました。義昭はドラマでやっていた通り、秀吉に付き添われて河内国 若江城に一旦入り、そこから堺へ移りました。天正4年には毛利氏の庇護のもとで鞆(とも)に落ち着き、元気に御内書をバラまいていらっしゃいます。迷惑。

 

若江城主だった三好義継は信長に反旗を翻し、松永久秀も大和 多聞山城で呼応しました。三好義継は討ち取られ、久秀は多聞山城を明け渡すという条件で赦されました。でも、手塩にかけて整備した多聞山城を破壊され、認められたはずの大和一国の支配権をも高齢を理由に筒井順慶に奪われるのでは、久秀が2度目の謀反を起こすのも仕方ないよな。ちなみに支配権を認めてから剥奪するのって、信長は四国でもう一回やっちゃうんだよね……。

 

 

 

ここからは竹中直人劇場。贋作師の庶子として生まれ、おのれを父が作った偽物と思って生きてきた。出自があいまいな久秀を重用してくれた三好長慶のほうが、本当の父のように思えた。史実では久秀の方が14歳も年上だけどね。長慶から任された大和を立派に治めることが、おのれが本物である証。降伏しても大和を失うなら、生きている意味がない。

 

だが信長は久秀に生きてほしいと思っている。ともに長生きしましょう。羽柴兄弟の説得に、久秀が動きました。ふたつの平蜘蛛の茶釜のどちらが本物か見抜けたら、降伏してやってもいい。見抜けなければ、ふたりとも殺す。

 

突然始まった命がけの格付けチェックでしたが、小一郎の機転で本物を見抜き、偽物のほうは床に叩きつけて割りました。断面が白かったので陶製でしょうか。茶釜は鉄がふつうですが、陶器や金銀製もあります。

 

そもそも、日本で唐渡りの茶碗と呼んで有難がっているのは、大陸では汁物や飯を盛る生活雑器に過ぎないし、茶釜はただの炊飯器でしかない。高名な茶人が大枚叩いて買うから、なんだかよさそうに思える。その程度のものです。たいせつなのは、生まれよりも来歴。それが茶道具の世界です。

 

偽りもいずれまことになる。百姓だって侍になる。松永久秀は松永久秀、本物なんだ。久秀は説得に応じて降伏することにしました。家臣たちを先に下山させ、支度のために裏に下がった久秀でしたが、突然の爆発音が鳴り響きました。

 

慌てて駆けつけた羽柴兄弟に、久秀は「本物の平蜘蛛」は父が作った贋作だと明かしました。小一郎が叩き壊そうとしたとき、なぜ声を上げてやめさせたのかわからない。戦だらけの世にはもう飽きた。まがい物を愛でる信長を、あの世から笑いものにしてやる。

 

名物茶器を集めた部屋に火をかけ、久秀は「千秋万歳、万々歳」と長命を寿ぎながら火薬玉をばらまきました。ああ、これだよ。爆弾正と呼ばれる男の最期! 史実とか、本物とか偽物とか、そういうことじゃないんだよ。竹中直人を起用したなら、こうでなくちゃ。

 

 

 

爆発した信貴山城から命からがら逃げだした羽柴兄弟は、松永久秀が持っていたのは本物の平蜘蛛ではないと報告しました。信長は播磨攻めを担当することを条件にあっさりと兄弟を赦し、「本物の平蜘蛛」を与えました。やっぱり秀吉を助命したかったんだね。そして本当の本物の平蜘蛛は自分が持っていたんだね。

 

羽柴兄弟が何の気なしに茶釜の中を見てみると、古びた地図が収められていました。南朝の埋蔵金の地図! 松永久秀が大和を離れたくない理由として挙げていたのが、埋蔵金の伝説でした。兄弟を煙に巻く作り話かと思っていたら、少なくとも地図を手に入れたところまでは本当だったんだ。兄弟はいつか確かめに行こうと約束しました。

 

あー、だから小一郎は将来大和を所領にするの? でも、来年の大河の主人公 小栗上野介ならきっとこう言うよ。そんなカネがあったら、埋めたりせずに武器を買うわ!