星野洋品店(仮名)

星野洋品店(仮名)

とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

本稿の地図は地理院地図を一部改変したものです。画面左上の「地図」ボタンから「陰影起伏図」を選択すると本稿と同じ地図が見られます。写真は写真ACから。

 

 

濃尾平野は断層が作った巨大な湾を木曾三川(揖斐川・長良川・木曾川)と庄内川が運ぶ土砂が埋め尽くして形成されました。下の地図だと、犬山城から西、そして南西へと流れる木曾川がうっすらと写っています。これだけの面積を真っ平らにするために、どんだけ土砂を運んだのやら。

 

真っ平らな中で、少しでも高いところを探して城を建てるのですが、濃尾平野南部の清須城は海抜10mないんです。新川を堀代わりにしているとはいえ、少々心もとない。ちなみに現在の清須城復元天守は新川南岸に建てられていますが、信長の清須城は川の北岸です。

 

濃尾平野


第5回で信長が移転した先は小牧山城。太田牛一の『信長公記』によると、信長は家臣らを引きつれて小牧山の北東6kmの二宮山に登り、清須から二宮山に移転すると告げたそうです。家臣たちは豊かな清須を捨てることに反発しましたが、代案として清須により近く交通の便が良い小牧山への移転案が出されると、素直に従ったそうです。二宮山か小牧山かの二択を示すことで、清須に残るという考えを吹きとばしたんですね。信長、策士だな。

 

小牧山と二宮山

 

拡大図を見ると、ほぼ真っ平らな中で小牧山がポコッと出っ張っているのがわかります。海抜85m、周囲との比高は60mほどあり、なかなかの防御力です。削平して5段の曲輪が作られているのですが、信長の時代にはそこまでの工事はしてないでしょうね。4年しかいなかったし。

 

小牧神明社から見上げた小牧山城

 

東に600mほど離れた小牧神明社から小牧山城 模擬天守を見上げるとこんな感じ。第5回時点(1563年)から21年後の天正12年(1584年)には小牧・長久手合戦が起こり、徳川家康が小牧山城を占拠することになります。豊臣秀吉と徳川家康が直接対決した最初で最後の合戦です。2023年『どうする家康』では、小牧山城の堀を改造し、ひそかに長久手へ出撃……てなことをしてましたね。『豊臣兄弟!』ではどんな描き方になるんでしょうか。

桶狭間の合戦からちょうど1年後の永禄4年(1561年)5月、美濃の斎藤義龍が死去し、まだ数え14歳の嫡男 龍興が跡を継ぎました。これを好機と見た信長は美濃南西部に進出したものの撃退されました。一方、今川方に捨てられた故郷 岡崎城を取り返した松平元康(徳川家康)は、桶狭間合戦後は1年ほど織田方と争いましたが、救援を送ってこない今川氏真に見切りをつけて、織田方と停戦しました。

 

それぞれ背後を固めて対美濃・対今川に専念したい織田信長と松平元康は、永禄5年に至って盟約を結ぶことにしました。世に言う清須同盟ですが、元康が岡崎を離れて清須まで来たという事実はなかったと思われます。それでは絵面がつまらないので、ドラマ上は戦国三英傑のそろい踏みとなりました。アツい。この3人が誰も主演ではないってところがまたアツい。

 

足軽組頭から2年で馬廻衆に出世していた藤吉郎は、信長の命令で元康を国境まで送ることになりました。その際、茂みに人影が見えたと嘘をついて人を遠ざけ、藤吉郎は元康に質問しました。松平さまみたいに偉くなるにはどうすればいいんですか? そんなことを聞かれても、もともと有力な武家の嫡男だったので、って感じですが、元康は親切に答えました。

 

「信長殿を信じる事じゃ。そして誰にもできぬことをやってのける。恐れず、己を信じて突き進むのじゃ。大事なのはここ(真心)じゃ。熱意が人を動かし、勝敗を決する」

 

大名になる秘訣を知って藤吉郎はよろこびましたが、元康は、

「すべて逆のことを言うてやったわ」

と陰で爆笑していました。性格悪いな~。さすが黒タヌキだよ!

 

しかし、元康の処世訓としては興味深いところですね。信長を信じず、自分も信じず、無茶を避けて慎重に進む。熱意以外の力で人を動かせ。

 

 

 

永禄6年(1563年)、信長は本拠地を清須城の北東12kmの小牧山に移しました。次の攻撃目標 犬山城と清須城のちょうど中間です。濃尾平野は尾張ー美濃国境をなす木曽川まで、ビックリするほど真ったいらなのですが、小牧山だけはポコッと85mも出っぱっています。お城にぴったりの地形です。

 

信長は結局4年しかいなかったのですが、城の南側に広い城下町が整備され、商人らも移り住んでいたようです。きっと尾張コロシアムもこの城下町にあったんですねぇ。

 

大河ドラマ名物となりつつある尾張コロシアム。初出は2023年『どうする家康』で、家督継承前の信長が郎党を鍛えるために作ったもののようで、丸太を組んだ正方形の檻という感じでした。『豊臣兄弟!』ではすでに尾張ほぼ一国を治める大名となった信長が新本拠地 小牧山に建設したので、八角形の洒落たデザインです。

 

 

犬山城攻略を前に、ここで御前大試合が開催されました。ここで活躍して点数を稼ごうと、藤吉郎は弟 小一郎(クレジットでは、すでに「木下小一郎長秀」になってる!)を使って、試合の差配役 武田佐吉を動かしました。佐吉役は村上新悟。2016年『真田丸』で美声で直江状を朗読した直江兼続役の人です。

 

御前大試合を盛り上げて信長に喜んでもらうためと称して、小一郎はトーナメント表に小細工するように武田佐吉をそそのかしました。優勝候補 前田利家には強敵を、兄 藤吉郎には弱敵を当て、決勝戦でふたりが対戦すれば、疲労の少ない藤吉郎が勝てるかもしれない。

 

しかし、点数を稼ぎたいのは犬千代こと前田利家も同じ。信長お気に入りの同朋衆(どうぼうしゅう。技芸をもって主君に仕える者)とつまらぬ争いになって斬り捨ててしまい、追放されていたのです。桶狭間と対美濃戦で手柄を立てて復帰を許されたものの、妻お手製の漬物でも何でも使って上を目指したい。

 

藤吉郎は普段から使い慣れた木太刀を使うとか、それを取り落として素手で勝負するように挑発するとか、あれこれ工夫しましたが、「槍の又左」と称される猛者にはかないません。「まいった」の声が聞こえぬふりで、利家は藤吉郎を殴りつけて気絶させました。観戦していた寧々は「卑怯」と怒ってたけど、先に卑怯なことをしたのは藤吉郎だし。利家の妻 まつも笑ってるよ。

 

 

 

木下兄弟の小細工は武田佐吉によって信長にバラされてしまいました。その密告以前に、信長は気づいていたようですね。信長は「戦わずして勝つ」という兵法に沿った策だと笑って、木下兄弟を許しました。しかし、しくじりを償うために、鵜沼城主 大沢次郎左衛門の調略を命じました。

 

木曽川南岸の犬山城は織田一族の織田信清のものでしたが、信清は桶狭間合戦のときに信長を助けず、美濃斎藤家に通じています。信長は目障りな犬山城をなんとかしたい。そのためには犬山城から木曽川を渡ってすぐの鵜沼城が寝返ってくれればありがたい。鵜沼城から西に20km進めば、斎藤家の本拠 稲葉山城(岐阜城)です。


 

木下兄弟は姉婿 弥助と妹婿 甚助を使い、大沢次郎左衛門が信長に通じているという噂を流してから鵜沼城に乗りこみました。大沢はすでに斎藤龍興から疑われて心が揺らいでいたこともあったのか、木下兄弟に会いました。会っちゃダメだよ。その兄弟は口八丁手八丁なんだから。

 

大沢はふたりに会ったうえで追い返そうとしたものの、寧々を妻にするために手柄を立てたいと馬鹿正直に訴える藤吉郎の熱意に心を動かされてしまいました。織田信長は強くて大きい男だと言う。尊敬する主君 斎藤道三は自分に似ている信長を気に入っていたようだった。病がちな妻 篠を人質として稲葉山城へ入れるよう要求されているけど、断って織田方に寝返ってしまおう。

 

「ここ(真心)が大沢次郎左衛門を動かしたのだ」と松平元康の言葉(大噓)を噛みしめながら、小一郎は大沢を連れて小牧山城に帰還しました。しかし、前田利家が従者の荷から毒を塗った苦無(くない。投げナイフ)を発見しました。えー、まさか奥さんの篠さんが『べらぼう』で毒使いだった映美くららだから?

 

冗談はさておき、信長は小一郎に大沢次郎左衛門の処分を命じました。いや、大沢が死んだら、人質として鵜沼城に残っている藤吉郎が殺されますけど? 大沢の息子は血気盛んな感じだったし。小一郎、どうやって信長を説得する?

 

 

……というところで次回は衆院選挙開票速報のためにおやすみ。不意打ちの衆院解散だったので狙った脚本じゃないんだけど、とんでもないところで1週開くなぁ。

今週の松平元康/徳川家康はなんだか愛らしかった。いつもの癖で爪を噛もうとして、手袋をしていることに気づいたり。せっかく運んだ兵糧を織田方に奪われるのを惜しみ、少しでも食ってやろうとしたり。中の人が左利きなので、右手ではちょっと食べづらそうでしたが。今後も面白キャラとして殺伐とした戦国時代を和ませてほしいものです。

 

 

 

孫子の兵法では「勢」を重視します。大将のもとで兵の心がひとつにまとまれば、大きな破壊力を生み出せる、という意味です。そのために、大将は家臣にギリギリまで情報を与えないほうがいい。うかつに、

「5日後に出陣するから準備しておけ」

などと言ってしまうと、家臣のあいだで議論百出して収拾がつかなくなるんです。

 

「え、野戦? 籠城かと思ってた」

「だよな。籠城なら那古屋城か」

「いや、清須城でしょ」

「清須まで下がると、熱田の港を放棄することになるけど」

「待て待て、殿が野戦だと言ってたじゃん」

「頭おかしくね?」

「あたおかな殿の首を獲って、今川に駆けこんじゃう?」

なんて流れになったら死にますよ?

 

どうせ採るべき作戦はひとつだけ。野戦で今川本隊を壊滅させる以外、織田信長が独立大名として存立する道はない。援軍が来る見こみもなく籠城して今川勢の撤退を待っていたら、北の美濃から攻めこまれるかもしれない。完全に統一されたわけでもない織田家が再分裂する恐れもある。

 

信長は出陣するともしないとも、和睦するともしないとも言わずに宴を開きました。そして松平元康が大高城に兵糧を入れて鷲津砦・丸根砦を攻撃し始め、決戦が避けられない段階になってから清須城を飛び出したんですね。ここまで来ては、家臣たちも信長を追って出撃せざるを得ない。しびれを切らした佐久間盛重は、今川方への投降を決意しちゃってたけど。

 

 

もちろん、そこに至るまで何もしていなかったわけじゃない。裏切る様子を見せた佐久間重盛を利用して丸根砦をわざと今川に明けわたし、重盛の首桶GPSで今川義元の本陣の位置を特定しました。信長の意を受けた梁田政綱が裏でずっと動いてたんですね。

 

鳴海城の東の善照寺砦に入ってから南東の中島砦に移ったのは、今川の別動隊を鳴海城方面に引きつけ、今川義元の本陣を手薄にさせる策。そして先週の放送で小一郎から「トンビが低く飛ぶのは雨の前触れ」と学んでいたことから、火縄銃を濡らさないで済みました。

 

智謀を尽くし、勝ち目をいくらか作ることができた信長は、今川義元を見事討ち取って歴史上稀なジャイアントキリングを成しとげました。貴重な情報をもたらした梁田政綱に褒賞を約束して帰すと、信長は床に大の字に寝転がって笑いました。勝とうとはしたけど、ここまでの大勝を予想していたわけじゃない。妹 お市が言うとおり、悪運が強かった。そして、雨が降るという天の啓示を読みとっていたのは、あの足軽……。

 

 

 

その足軽兄弟は、桶狭間の戦場で城戸小左衛門の命を狙っていました。大将のもとで兵の心がひとつにまとまるのが「勢」だって言ったよね? 同士討ちなんか狙うんじゃねーよ! 落ちていた弓を拾って城戸の背に向けた藤吉郎でしたが、小一郎に阻止されました。

 

槍の名手である城戸小左衛門を失えば、合戦に負けるかもしれない。そうしたら自分たちも生きて帰れない。いつか城戸を顎で使えるほど出世することを目標に、藤吉郎は復讐をあきらめました。敵兵と交戦する中、飛んできた一本の槍が敵兵を倒しました。投げたのは、憎き城戸小左衛門。

 

本当は豊臣兄弟に槍を当てるつもりだったと嘯く城戸でしたが、本心なのかな。兄弟の恨みを買っていることに気づいていて、戦闘に集中しろと説教してくれたような気もします。その真意を知る暇もなく、城戸は敵兵の矢に斃れました。天界に比べれば人の世の命は短く儚い。永遠の命などあるはずもなく、現世に執着する必要もない……信長の好きな幸若舞『敦盛』の一節です。

 

 

藤吉郎は城戸の死体から父のお守りを取り返し、城戸の腰にくくりつけられていた敵の大将首を自分の手柄として申告しようとしましたが、小一郎に止められました。父から手柄を奪った城戸と同じことをすれば、藤吉郎も同じような死に方をするかもしれない。

 

城戸の手柄だと正直に申告した藤吉郎を信長は足軽組頭に取り立て、「木下藤吉郎秀吉」という名乗りも与えました。吉が二つも入っている、吉運を呼ぶ名です。そして雨を予見した小一郎を近習に取り立てました。武家の子弟は小姓→近習→奉行と累進していくものです。小百姓からすごい出世だ!

 

しかし、小一郎は「荷が重すぎる」として断りました。信長は人事を尽くして天命を待った。兄 藤吉郎は信長が勝つと信じて疑わなかった。そういう強い思いが本当に天運を呼びこむのだ。負けると思いこんでいた自分に、信長の直臣になる力はない。

 

「兄に従い、兄とともに殿にお仕えしたい」

小一郎の言葉が信長の記憶を刺激しました。『豊臣兄弟!』の物語がはじまる前年、永禄元年(1558年)のこと。信長は病と偽って弟 信勝をおびき出して誅殺しました。かつて謀反を起こした信勝を一旦は赦したものの、信勝の家臣だった柴田勝家から「再び謀反の恐れがある」という密告があり、殺さざるを得なくなったのです。

 

兄に逆らいつづけて死んだ弟を持つ信長は、当時の慣例に逆らってもお市を手元に置かずにいられないんですね。お市が男であればよかったのに。否、男だったらやはり兄に逆らうんだろうか……。

 

近習の職の代わりに銭を望んだ小一郎に、信長は気前よく50貫文を与えました。江戸時代初期だと1貫文(銭1000枚、または960枚)=米1石=金1両=約10万円という換算なのですが、戦国時代の1貫文は7万5千~30万円と諸説あります。仮に10万円とすると、50貫文で500万円。ワァオ。実家をフルリフォームできるね。そりゃ小一郎は乙女化するし、重臣たちはドン引きするわ。足軽へのボーナスなんて、1貫文でも十分だと思うよ?

 

信長はさらにあの草履も兄弟に片方ずつ投げ与えました。

「草履は片方だけでは何の役にも立たん。互いに大事にせよ」

豊臣兄弟はふたりでひとつ。目先の利益に流されがちな藤吉郎を視野の広い小一郎が諫める。臆病で立ちすくみがちな小一郎を大胆不敵な藤吉郎が引っ張る。このコンビネーションが崩れる時、それは……。

中村区が名古屋市西端なら、緑区は南東端。緑区の南端にあるのが今回の焦点となる大高城で、当時は伊勢湾沿いでした。ここから海路で半日北上して熱田の港を急襲されると厄介なので、今川領になったまま放ってはおけない、というのが永禄3年(1560年)旧暦5月の状況です。新暦で言うと6月半ば、すでに梅雨入りしていたでしょうか。

 

緑区あたりはもともと織田家に従っていましたが、まだ若い信長を頼りないと見て今川家に寝返ってしまい、大高城とその北の鳴海城は長らく織田-今川の係争地となっています。尾張一統を果たした信長は両城を取り戻すべく今川との停戦を破棄し、大高城と鳴海城のあいだに鷲津砦、大高城の東方に丸根砦を築いて今川領との連絡を遮断しました。

 

今川義元としても、救援を求める大高城・鳴海城を放っておけない。嫡男 氏真に家督を譲って駿河・遠江を治めさせ、自分は三河・尾張を担当するつもりで出張ってきました。小具足(こぐそく。完全武装から鎧・兜を省いた格好)姿ですらなく、直垂姿でしたねぇ。まだ尾張ー三河国境を越えていない地点とはいえ、未来人の目にはちょっと油断しすぎな気がしなくもない。

 

豪華な塗輿に乗っているのは、古いドラマだと「太りすぎて馬に乗れないから」とされましたが、もちろんそんなことはなく、朝廷・幕府にも重んじられる名家 今川家の権威を見せつけるため。途中で今川家らしく蹴鞠タイムを挟んでゆるゆると行軍するのは、織田方に考える時間を与えて震えあがらせるためです。戦わずして勝つ。孫子の兵法です。

 

今川義元の意図を信長も見抜いていました。ビビった素振りを見せたら負けだ。家臣たちに必要以上の情報を与えないのもまた孫子の兵法。家臣たちは動揺して寝返りを画策する者すらいるようですが、信長は宴を開き、優雅に曾我兄弟の仇討ちものの舞を見物しました。あんた、前世で曾我兄弟の従兄弟だったよな……。

 

 

 

織田家の大ピンチの裏で、豊臣兄弟が父の仇を討とうとしています。父 弥右衛門から敵将の首とお守りを奪った城戸小左衛門を殺そうというのです。でも、信長の側近である城戸を討つのは謀反だし、そもそも槍の名手に百姓兄弟がどうやって勝つんだよ。

 

どさくさまぎれに城戸を背後から討ちたいという超個人的な事情で、藤吉郎は信長に野戦を勧めることにしました。しかし柴田勝家に阻まれて信長に面会できません。越前北ノ庄城炎上ゲージがまた一段上がった!

 

城内をうろついていた藤吉郎は、城戸小左衛門のものらしき草履を見つけ、腹いせに売り飛ばすことにしました。そこに現れたのは自分の草履を探す信長。うん、鼻緒の柄が城戸のと似てるけど違うと思ってたよ。よく知られたあのエピソードよろしく、「温めておきました!」と草履を差し出したけど、あいにく今は旧暦5月。梅雨時に生温かい草履を履きたくないわ。

 

兄のピンチを弟が救いました。

「2時間以内に雨が降ると見たので、濡れないように懐に入れただけです!」

小一郎の言い逃れを信長は笑って許しました。あとでほんとに雨が降ったけどね。百姓の経験は侮れない。

 

去ろうとする信長に、藤吉郎は野戦を勧めました。信長が策を問うと、藤吉郎は小一郎に答えるよう促しました。兄が丸投げし、弟が策をひねり出すパターンだな。

 

しかし、小一郎は和睦を勧めました。百姓の発想で軽々しく和睦を勧める小一郎に信長は激怒しました。だよね。百姓は誰が支配者になっても同じだけど、侍なら負けるとわかっていても戦わなくてはならない時がある。降伏したら滅亡が待っているのだから。

 

 

信長に怒鳴りつけられて中村へ帰ることにした小一郎でしたが、今度は直に怒鳴られました。頭の回転が速くて先を見通せてしまう小一郎は、勝てない戦いを避けてきた。でも、悔しくなかったわけじゃない。下克上に魅せられて清須に来たんじゃないの? 誰にも馬鹿にされないくらい成り上がって、直と結婚できる身分になるためだったよね? 小一郎は藤吉郎が拾ってきた太刀を佩いて戦場に向かいました。

 

 

 

そのころ、今川方の将 松平元康(のちの徳川家康)が大高城の兵糧入れを成功させました。例の金ぴかの金陀美具足をまとっています。『どうする家康』の時も書きましたが、ぼくはあの鎧が蕁麻疹が出るほど嫌いでね。中途半端に西洋鎧の様式を取り入れてるところがイライラするの! 鎧と言えば大鎧! 式正の鎧! 御着背長! ……ゴメン、取り乱した。式正(しきしょう)の鎧と御着背長(おんきせなが)は大鎧の別称です。

 

でも、なぜか今回はそんなに嫌いだと感じないんですよ。前世で国際ロマンス詐欺をやっていた人が着けているせい? 「思ったほど敵の手応えがなく、うまく事が運びすぎている」と知性を感じさせる発言のせい? なんにせよ、最終回まで長いお付き合いとなるタヌキじじいですから、好きだと思えるのはいいことだ!

1559年(永禄2年)時点の織田信長の状況を確認しておきましょう。もともと尾張守護 斯波氏のもとで尾張上四郡を岩倉城の織田伊勢守家が、下四郡を織田大和守家が守護代として治めていました。織田大和守家の奉行だった織田弾正忠家は、主君である大和守家を倒して下四郡を手中に収めました。織田弾正忠家の当主となった信長が伊勢守家を倒せば尾張一統がほぼ成る、というのが第2回の背景です。あ、斯波氏は瀕死だけど存続してます。

 

織田弾正忠家と伊勢守家は互いの家督争いに介入するなどして関係が悪化し、決戦を避けられなくなりました。伊勢守家の本拠地 岩倉城は、信長の清洲城から北東へ徒歩2時間というところ。信長の目が北東方に向いているから、南の中村の治安が悪化しているんですかね。前回も触れましたが、中村は清洲城から徒歩1.5時間、馬なら15分というところです。こんなに近い距離で野盗がヒャッハーしてるのは、領主 信長の怠慢ですよ?

 

第2回では2組の野盗が中村を襲いました。一組目の野盗Aは前にも来た奴ら。人をさらうのは時間がかかるので、金目のものだけを奪って逃げるタイプです。貧乏人は抵抗さえしなければ安全。

 

二組目の野盗Bは野盗じゃないですね。鉄砲で武装し、そろいの黒覆面をつけていました。これはお市さまが言っていた、岩倉城の織田伊勢守家と連携した今川勢なのでしょう。信長の膝元で村を焼き、住民を殺戮して信長の権威を貶めることが目的。翌年に迫った鳴海城・大高城攻防戦(後世、桶狭間合戦と呼ばれることになる)への下工作です。野盗Aも今川方が工作の一環としてやらせていたんだとすると、野盗Bが野盗Aを全滅させたのは証拠を隠滅するためってことになるのかな。

 

 

 

 

第2回では、二組のきょうだいの関係が描かれました。信長の妹 お市が登場。ぱっつん前髪が可愛い13歳です。ちなみに演者の宮﨑あおいは40歳。お市は信長のお気に入り(自称)である藤吉郎を呼び出しました。レアな設定ですよね。気位の高いお市が下賤の生まれの秀吉を嫌っている、というのがよくある設定だけど。

 

お市が藤吉郎に面白い話をせがんだのは、退屈しのぎのためではなく苦しかったから。きょうだいの不思議な絆で、兄 信長の苦しみを察知したから。そのころ、信長は岩倉城を見事陥落させたのに、別に嬉しそうではありませんでした。

 

「じっとしていては欲しいものは手に入らぬ。自分の進む道は自分で切り開くのじゃ」 

そう言っていた信長でしたが、望んでいた尾張一統を達成することに喜びはなく、むしろ義務を果たしているにすぎないとでも言いたげな表情です。もう一人のきょうだいとの関わりの中で負ってしまった義務なのでしょうか?

 

 

一方、藤吉郎も弟 小一郎の苦境を察知しました。中村は今川が放った野盗に襲われ、小一郎は幼馴染の直とともに暴力の嵐が過ぎ去るまで隠れているほかありませんでした。無駄な抵抗をした信吉は首を落とされ、家々は焼き払われました。岩倉城攻防戦で行われた城下町への放火のような、敵の士気をくじいて終戦を早めるためという意味すらない、今川から織田へのちょっとした嫌がらせに過ぎない破壊。

 

時流に翻弄されるばかりの百姓なんかやめて侍になれと兄 藤吉郎から言われて迷う小一郎の背中を押したのは、母 なかの大嘘でした。高熱に苦しむ小一郎の薬代のために、藤吉郎は直の父 坂井喜左衛門の家から仏画を盗んだのだと。

 

薬代の借りを返すために(嘘だけど)、小一郎は藤吉郎に従って清洲に行くことにしました。一家の未来を祝福するように、朝日が昇りました。城持ち大名だなんてケチ臭いことを言わず、あの太陽のようになれ。母の言葉を胸に、小一郎と藤吉郎は旅立ちました。百姓のままでいたら絶対に結ばれることのない直を連れて。欲しいものを手に入れようと動くことが幸せにつながらなかったとしても、とにかく進まなくては。

 

見送る家族たちは、藤吉郎が語った願いの鐘の物語のように鐘を衝きました。衝くごとに民を救うための銭が生み出される鐘ではなかったけど、幸福への祈りをこめて。

 

ちなみに昨年末の『チコちゃんに叱られる』でやってたけど、鐘の残響が消えないうちに連打すると、鐘が割れるらしいよ。生み出されるのは銭ではなく破片……。お話が盛り上がってるところに水を差すようなことを書いてゴメン。でもチコちゃんをなかったことにはできなくてさー。