星野洋品店(仮名)

星野洋品店(仮名)

とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

いやぁぁぁ! 秀次ぅぅぅ! 小吉秀勝も生まれたぁぁぁ! 茶々! 茶々! 万福丸もいるぅぅぅ! あああああ!

 

 

 

先を知っていると、どんよりしてしまう回でした。表面上は楽しげな一家団欒だけどねぇ。茶々を抱っこする藤吉郎がキモいよ。30歳以上の年の差があるってことが生々しく感じられちゃってヤダー。

 

それから浅井家嫡男 万福丸。生母は諸説あって、お市説を採るなら、お市の嫁入りは本作の設定より数年前ということになります。名もなき側室説もありますし、浅井長政の前妻説もあり。長政は南近江の主 六角氏ゆかりの女性と結婚していましたが、織田信長と同盟して六角氏を倒すにあたって妻を実家に帰しています。

 

 

 

工事現場大好きっ子 織田信長はみずから采配を振り、足利義昭のために建てた二条御所に藤戸石を運ばせました。台車の上に乗ったら余計に重くなる気がするけど、指揮者が上に乗ったほうが引手の気合が入っていいらしいですよ。藤戸石は源平合戦の勝利の証として岡山県倉敷市から都に持ち込まれたもので、天下人が持つべき石なのだとか。

 

庭石運びというと、北宋の徽宗皇帝(1082-1135 在位1100-25)の花石綱(かせきこう。貴重な植物や石の輸送船団)が思い出されます。徽宗は庭づくりが趣味で、一軒家ほどもある庭石をいくつも運河で運ばせたため、台船の引手として徴用された民の怒りを買いました。これがきっかけで反乱が起き、あれこれあった末に北宋は滅亡しました。

 

最終的に北宋を滅ぼした金軍は、縁起の悪い庭石をすべて黄河に放りこみました。もったいない。太湖石という珍しい石で、いまでは採集禁止になってるんですよ。表面が風化してボコボコと穴が開いているのが見どころ。

 

豫園の太湖石

 

幸いなことに、藤戸石は京都市伏見区の醍醐寺で保存されています。すでに滅びかけていた室町幕府の生き死にが、庭石ひとつで左右されたりはしませんし。新将軍 足利義昭は意気軒昂で、明智光秀は生きる意味を与えてくれた義昭を全力で支えるつもりのようだけどねぇ。大人しくしといたほうが生存率が上がると思うんだよ~。手紙を書きまくっちゃダメだよ~。

 

信長のほうもあんまり将軍を敬ってはいないようです。二条御所に抜け穴を作って、それを将軍に知らせないのはイカンだろ。しかし、抜け穴に気づいた明智光秀が壁をぶち破ったのは笑いました。気づいたことは伏せておいたほうがいいだろうに、壁に大穴……。

 

 

 

面倒くさいことこの上ない京都奉行の務めを忠実に果たしている藤吉郎と小一郎は、久方ぶりに岐阜に戻りました。都での女遊びが寧々にバレた藤吉郎は大ピンチでしたが、小一郎は大いに増えた家族を眺めてぼんやりしていました。

 

寧々の妹 ややは浅野長吉(のちの長政。浅野内匠頭の先祖)を婿に取った。姉のともにはふたりめの男の子が生まれた。藤吉郎宅の隣に住む前田利家・まつ夫妻は子だくさんでにぎやかに暮らしている。でも小一郎は兄や母に背中を押されても先へ進めない。

 

小一郎は都で買ってきた美しい櫛を直の供養塔に供えました。小牧山から岐阜へ供養塔を移していたんですねぇ。その時すれちがったのは笠で顔を隠した男。奥のお堂から出てきたのはその男と密会していたらしい若い女。誰でしょうね。陶芸の修行のためにイギリスへ行った吉岡里帆でないことだけは確かですが。

 

 

転機は主命という形で降ってきました。信長に呼び出された小一郎は、西美濃三人衆 安藤守就の娘との結婚を命じられました。おお、竹中半兵衛と相婿ってことになるね。史実の羽柴秀長の正室は詳細不明としか言えないので、これもアリかなと思います。織田家中に組み込まれて日が浅い安藤家と信長のお気に入りの弟猿 小一郎とが姻戚になれば、政治的意味が大きい。

 

しかし安藤守就に呼び入れられた娘は……あのお堂で密会していた女だ! だけど、密会にしては顔を隠そうともしていなかったし、小一郎と目が合っても動じた様子がなかった。なにかワケあり? いずれにせよ、嫁に取りたいような女じゃないよな~。

いやー、浅井家の先代 久政が不機嫌そうだなとは思っていましたが、まさか幼稚な嫁いびりをするとはねぇ。お市が信長に礼状を書いていれば、「浅井の内情を織田家に知らせる気か」とネチネチ。信長からの京土産である鏡をこれ見よがしに焚火へ投げこませる。『小公女セーラ』でも、ここまであからさまなイジメは見たことがないよ!

 

しかしヒーロー浅井長政は炎に手を突っこんで鏡を救い出しました。足で蹴るとかすればよさそうなもんだけど、お市の大事なものを蹴ることはできなかったのかなぁ。いずれにせよ、ろくに目も合わせてくれなかった お市が心を開いてくれてよかったね。長政が渡せなかった土産の鏡もお市が受けとって使ってくれてるようだし。

 

……でもさ、すべてが長政の策略だったら怖いよね。お市と仲良くなるために、わざと鏡を焚火に投げこませ、自ら救出する自作自演だったりしてさ。こんなひどい疑いをかけるのは、10年くらい前のドラマの再放送を見てたら、浅井長政役の中島歩さんが2作続けて連続猟奇殺人犯だったせいです。どんなに誠実な役を演じていても、一抹の不安を拭いきれない。

 

 

 

 

三好三人衆を撃退した信長を、戦国のボンバーマンこと松永久秀が訪ねてきました。わずか20mを進むうちに2回も襲撃される嫌われっぷりに、信長も大爆笑。このふたり、1996年大河ドラマ『秀吉』では、豊臣秀吉と石田佐吉(のちの三成)でした。

 

松永久秀は、主君 三好長慶の身内をつぎつぎに暗殺して長慶を精神的に追いこんで死なせたとか、13代将軍 足利義輝を暗殺したとか、東大寺大仏殿に放火して全焼させたとか言われて、極悪人扱いされています。しかし、いずれも濡れ衣のようです。

 

久秀は三好長慶に忠実に仕えており、将軍暗殺も久秀が奈良に隠居した後に三好三人衆と久秀の息子 久通がやったこと。その後久秀は三好三人衆と対立して奈良の街で合戦になってしまい、大仏殿が焼失しました。おそらくただの失火でしょう。

 

 

名物茶器コレクター久秀は、信長に九十九髪茄子(つくもがみなす)の茶入れを献上しました。茄子形というのは、なで肩の丸っこいタイプの茶入れです。高価な茶器と引き換えに、大和一国の支配を認めるよう求めました。公方さまではなく、信長に。室町幕府の権威が下がりきってるもんねぇ。

 

 

信長は副将軍就任を断る代わり、堺での権益を将軍 義昭に求めたと言われています。権威なんか一銭にもならんからな。自治都市 堺を支配する商人集団 会合衆(えごうしゅう/かいごうしゅう)から矢銭2万貫文を取りたてよと、信長は藤吉郎に命じました。それにしても2万貫文(20億円か)とはすごい金額です。単純計算だけど、4万石の大名の年貢収入1年分だよ? ポンと出せる額ではない。

 

 

松永久秀の案内で訪れた堺の街は、たしかに2万貫文を支払えそうなくらい栄えていました。南蛮渡来の品々も多く取引きされ、ドラゴンフルーツを皮も剥かずに丸かじりしている人がいました。腹を下しても知らんぞ。

 

茶人としても知られる今井宗久(スマホを持ってる秀吉だった人だ!)は信長に従うのが時の流れと考えて協力的でしたが、津田宗及やタイムマシーン3号は新参の信長に乗りかえる気にはなれないようです。矢銭2万貫文を差し出せば、代わりに鉄砲300丁を買い上げて儲けさせてやる、という脅しまじりの提案にも薄い反応しかしません。それどころか……。

 

 

 

永禄12年(1569年)の年明けを信長は岐阜で過ごし、将軍の側近たちも多くが所領に帰ったその隙に、阿波から戻った三好三人衆が六条堀川の本圀寺を襲撃しました。13代将軍 義輝暗殺の折に二条の御所は焼け落ちてしまい、義昭は本圀寺を仮の御所としていたのです。

 

下京南部

出典:れきちず

 

この地図は1800〜1840年ごろのものなので東本願寺がありますが、本圀寺の位置関係は信長のころとだいたい同じだと思います。本圀寺はいろいろあった末に昭和44年に山科区へ移転しています。当時は本圀寺あたりが京都の南西端で、南と西は田んぼです。本圀寺は水堀を巡らすなどの防御施設があったので、仮御所に選ばれました。

 

 

織田家が買い上げるはずの鉄砲は、三好三人衆に売られてしまいました。会合衆め! そして三人衆に加勢していたのは、美濃国主だった斎藤龍興。稲葉山城落城後は木曽川伝いに伊勢へ逃れ、さらに流れて三好三人衆の庇護を受けていたのです。元気そうで何より。

 

将軍 義昭は果敢にも敵の矢に身をさらして兵を鼓舞しました。「ヘナチョコ過ぎて将軍の器ではない」と明智光秀に言われちゃった2020年『麒麟がくる』版の義昭とは大違いだな。しかし平地の平城でしかない本圀寺での抗戦には限界がある。自らがオトリになって味方が脱出する隙を作ろうする義昭を小一郎が止めました。

 

三好三人衆に2度目の将軍殺しの汚名を着せたところですぐに忘れられる。百姓にとっては誰が将軍でも同じこと。侍は潔く死ぬのが美学だろうが、百姓は泥水をすすっても来年の豊作を期して生きのびるだけ。民の暮らしを守る資格と責任がある将軍なら、どうか無様に生きのび、豊作を、平和をもたらしてほしい。

 

将軍を守りきれなかったら、信長と兄に大目玉を食らうと言う小一郎に、義昭は表情を緩めました。こやつに命を預けてみよう。しかし、こんなことになったのも、三好の祟りかもしれぬ。本圀寺は三好家が篤く信仰した寺で、信長から「接収しない」という確約を得ていました。なのに将軍御所にされちゃってたんですね。これは信長が悪い。

 

三好の祟りという言葉をヒントに、小一郎は一芝居打つことにしました。三好三人衆に「三好家ゆかりの本圀寺を焼いたら、東大寺大仏殿が焼失したときのような悪評が立つ。将軍がここを出ると言っているので、それを待ってほしい」と僧侶に化けて嘘をつきました。同席していた斎藤龍興は何かに気づいたようです。そうだよ、稲葉山城の抜け穴から出てきたアイツだよ!

 

とりあえず時間を稼いだけど雪が激しくなり、斎藤龍興が「寺を燃やして暖を取ろう」と雑なことを言いだしたその時、織田方の援軍が到着しました。その大将は、矢銭を取り立てに堺へ行っていた藤吉郎。カフェインの覚醒作用でひらめいたのは、銭さえ払えば何でも揃う堺で傭兵を集めることでした。数は100人ほどと少なくても、公方さまと小一郎が殺される前に駆けつけるんだ!

 

三好三人衆は慌てて逃げだしました。公称1万の大軍だったそうですが、実数はもっと少なかったと思われます。堺より南の和泉国から密かに上陸したとはいえ、あまりに多いと都に着く前に察知されたでしょうから。ほかの部隊も接近しているだろうし、ここはいったん退却だ。

 

 

小一郎が敵に囲まれながらも落ちついていたのは、藤吉郎が必ず来ると信じていたからか。家督争いを避けるための慣習で幼いころに出家させられたため兄との思い出はなく、妬みしかないと言う義昭は、木下兄弟がうらやましくなったのでしょうか。あの兄弟を自分のものにしたいと言い出しました。お? おおお?

 

会う人全員に好かれるのは主人公補正ってものですが、義昭が信長よりも木下兄弟に好意を持ってるってことはさ、今年の本能寺は四国説ではなく、義昭&秀吉黒幕説なの? おおお、面白くなって参りました! 義昭が北条義時の直垂を着ていただけのことはあるな! 陰謀上等だ!

 

前回、信長が「稲葉山城を岐阜城に改める」と言ったとき、藤吉郎は「縁起のいい名前ですな!」とか言ってたけど、学のない藤吉郎にはぜったいわかってないよね。

 

岐は中国 陝西省の岐山から。流浪の民だった周民族が二股に分岐した山(岐山)のふもとに定住してから大発展し、約800年続く周王朝を建てたことから、大変縁起がいい名です。800年のうち、半分以上は虫の息だったのはヒミツ。

 

阜は山東省の曲阜から。泗水という河の屈曲部にある丘(阜)という意味の街です。前王朝の商(殷)を倒した周の武王の甥に当たる伯禽が建てた魯国の都であり、孔子の故郷でもあります。孔子が魯国では受け入れられずに諸国を流浪したのもヒミツだ。

 

 

縁起がいいんだか悪いんだかよくわかんない岐阜のお城下で、ぼくの母方の一族 星野家(仮名)は手広く商売を営んでいました。亡くなった祖父がよく「他人の土地を踏まずに隣町まで行けた」と自慢しておりましたね。

 

ええ、お察しの通り、祖父の成人前に曽祖父が連帯保証人のハンコをポーンと押してしまい、一家離散。その後は残った財産を元手に、一族それぞれが小さな商店を営むだけになってしまいました。当ブログの名の由来になった星野洋品店(仮名)もそのひとつです。ちなみにぼくの父方の曽祖父も連帯保証人をやっちゃってます。みんなも実印を押すときは、よぉく考えてから押そうネ! 

 

 

 

モータリゼーションの進行で名古屋に客を取られて見る影もない岐阜市と違い、信長の経済政策によって栄えはじめた460年ほど前の岐阜を訪ねてきたのが、妙に声のいい従者を連れた明智光秀でした。従者は清元節の清元栄寿太夫さんですよね。一声で判りました! 二代目 尾上右近=七代目 清元栄寿太夫です。

 

岐阜城で信長と面会した明智光秀の後ろに控えた従者が着ていたのは、『鎌倉殿の13人』で小栗旬……じゃなくて北条義時が身に着けていた直垂だよね? その直垂を着て、ライバルをあらかた倒したり、二代将軍 頼家をやむなく暗殺したりしてた。縁 起 で も な い。

 

軍師 半兵衛が見破った従者の正体は、室町幕府13代将軍 足利義輝の実弟 義昭でした。兄を殺害した三好三人衆を倒して都に入り、征夷大将軍の職を継ぐために協力してくれる大名を探しているのだとか。

 

将軍の補佐をするのが管領 細川家で、三好家はその家臣で、三好三人衆は三好家の家臣。時とともに権力が下降するのは歴史の必然ですが、こいつらに信長を「成りあがり」と見下す資格はないだろ、と思っちゃうね。

 

 

信長は「天下布武」を引き受けました。「天下」はアバンタイトルと作中で説明された通り、将軍が統治すべき五畿内(山城・摂津・和泉・河内・大和)のこと。武をもって五畿内を静謐にし、七道(五畿内以外の日本全土)も平和にするために、とりあえず近江を抜けて上洛しなきゃならない。

 

そのための人質が信長の妹 お市でした。北近江の浅井長政に嫁がせ、浅井とゆかりのある越前 朝倉氏、信長の同盟者 徳川家康との連合軍で南近江の六角氏を倒そうというのです。

 

人質含みの婚姻は女人の初陣。兄 信長のためなら、夫となる男の寝首を掻いてくれようぞ。意気ごむ お市は藤吉郎を呼び出しました。藤吉郎は寧々の機嫌を損ねるわけにはいかなかったため、弟猿 小一郎が出向きました。猿兄弟のどちらでもよかったみたい。

 

夫となる浅井長政への書状を代筆しろという命令が お市の不安の表れと察した小一郎は、「長政は温厚な美男子だ」と口から出まかせを言って慰めました。お市の好みから外れていたから逆効果だったけど。

 

そもそも、夫に愛され、子をなすという女の幸せをお市は求めていない。望みは兄のために武勲を挙げること。小一郎はお市の武運を祈りました。でもさ、浅井長政はいい人だよ。浅井を織田と同盟させるという武功を立てた上に、夫に愛されるという幸せを得られると思うんだ。……まあ、長政の父 久政が不機嫌そうだったのは不安要素ではあるけど。

 

婚礼を終えた お市は、柴田勝家に小一郎への伝言を託しました。嘘から出た実。長政はほんとうに温厚な美男子だった。こんな立派な夫の寝首を掻かなくてはならないかもしれないのは不幸なこと。小一郎がいらん予言をしたせいだ。

 

憤る勝家に、お市は「お前と結婚した方がマシだったかも」と笑いました。えー、そーゆーこと言っちゃダメだってば、小悪魔め。勝家はしどろもどろになってるし、予言がまた実現しちゃうぞ。実現しないほうがいい予言だぞ。

 

 

 

永禄11年(1568年)9月、信長は岐阜城を発して近江に入り、宇多源氏の名門 六角氏を秒殺しました。マップに数秒間アイコンが表示されただけで消えた六角氏が気の毒です。摂津(大阪府北部)芥川城にいた三好三人衆は阿波へ退去し、14代将軍 足利義栄も都合よく病没、足利義昭が将軍宣下を受けることになりました。おめでと。

 

信長は各大名に書状を送り、新将軍 義昭に拝謁するよう求めました。大名たちの反応が面白かった。徳川家康は「対今川戦に手を取られていなければ、尾張・美濃を攻略するチャンスだったのに」とボヤキ。「永遠の清洲同盟」も危ういものですな。この時点で織田家を倒すとか、織田領の一部を奪うとかいうことは無理筋ではある。しかし、そういう妄想を楽しむ習慣を持っていたからこそ、本能寺の変に即応して甲斐・信濃を掠め取ることができた、という表現なのでしょう。

 

謙信・信玄は有名な自分の旗の前でカッコつけ。朝倉義景は書状を燃やそうとして思いとどまり、アチチってなってました。そういう優柔不断なところが、足利義昭に見限られた原因だよ。長宗我部元親が酒を飲んでたのは、高知県人が酒飲みで有名だから? 珍しく元親がキャスティングされたということは、今年の本能寺は四国説ですか。

 

荒木村重は饅頭を食べてた。饅頭を手で持って食べられるのは幸せなことだよ。松永久秀役は竹中直人さん。高嶋政伸さんとセットで豊臣兄弟に見えてしまうのが困りもの。届いた書状はほったらかしで、唐物の天目茶碗を愛でていました。かたわらには平たい茶釜もあったようです。今年は名物茶器を爆破しないでね。

 

 

信長は各大名の反応を見ていました。天下布武は通過点。真の望みは天下一統、日本統一! おお、今どきの信長像としては珍しいですね。当ブログの第1回感想で「道路をまっすぐに通すのは、天下を統一する者の発想」と書いたのですが、ほんとに統一が望みだったのか~。日の本六十余国のうち二国しか持ってない段階では誇大妄想に思えるけど、天下人になるにはある種の狂気が必要だよね!

中国では軍師を形容するとき、「不勝衣 ブションイ」と言います。衣に堪えぬ。着物の重さに負けてしまいそうなくらい華奢な、ってことです。そこまでひ弱だと日常生活にも支障がありそうだけど、黒田長政をかばいきれるのか?

 

「今孔明」と称される竹中半兵衛重治が本格的に登場しました。見た目は不勝衣的美人。しかし、中身は『三国志抄 諸葛亮伝』に憧れて自分から三顧の礼を要求するトンチキ野郎! いいねぇ。実に菅田将暉だよ!

 

前世は『鎌倉殿の13人』の源義経。佐竹征伐で、「砦の後方から崖を登ればいい。俺の郎党ならできる!」と主張したけど、実行する前に佐竹の砦が調略で陥落してしまい、むくれていました。半兵衛は生まれる前から山上の城を攻略する方法を考え続けていたんだね。

 

半兵衛の居城だったのが、美濃西部の菩提山城。菩提山から南西に4km下った平地が関ヶ原。そこを抜ければもう近江です。近江から攻め込まれた場合は菩提山城が第一防衛ライン、美濃三人衆の北方城・曾根城・大垣城が第二防衛ライン。作中では特に説明されなかったけど、北方城主 安藤守就は菩提山城主 竹中半兵衛を婿に取って防衛ライン間の結束を固めていたのです。

 

菩提山城(濃尾平野北西部)

地理院地図を一部改変

 

小一郎は藤吉郎のはからいで、竹中半兵衛調略ミッションに奔走していました。こういう時は何も考えられないくらい体を動かした方がいい。直を守れずに落ち込む姉婿 弥助の代わりに蜂須賀小六を連れ、小一郎と藤吉郎は菩提山麓の庵に竹中半兵衛を訪ねました。

 

半兵衛は3年前に少人数で稲葉山城を落とし、主君 斎藤龍興を敗走させています。合戦マニアが本当の城攻めをやってみたくなったんだろか。義父 安藤守就のとりなしで死を免れ、居城だった菩提山城の麓に蟄居中です。しかし、北方城で遭ったのが半兵衛だと、なぜわかったんだろ。平服で戦場をうろつく変態さんとして有名なのかな。


竹中半兵衛の庵は戸口に仕掛け矢、室内には詳細な小牧山城の模型。ああ、織田を倒す気マンマンだ。蟄居中の身でも、義父 安藤守就を通じて策を実行していたんだね。

 

最初の訪問で、半兵衛は安藤守就が来ないうちに帰れと三人をうながしました。次回の手土産に雉を要求したのは、織田方につく話を聞いてやってもいいという意思表示であり、罠でもあるのでしょう。龍興の間者がどこに潜んでいるかわからないこともあって、軍師の思考は曲線的でメンドクサイ。

 

2度目の訪問で半兵衛は仕掛け矢を改良しており、「城で待っている」というメッセージが残されていました。「このくらいの罠をかいくぐれないようでは、私を調略できませぬぞ」ってことかい?

 

現在の菩提山は竹中半兵衛の居城跡として観光地化され、ハイキングコースが整備されていますが、三人は苦労して麓からの比高250mの菩提山を登りました。菩提山城で待っていた半兵衛は、おのれでも引くレベルの合戦マニアであると説明し、どうしても織田家に迎えたいなら、諸葛孔明と劉備の三顧の礼よろしく、もう一度来るように言いました。またこの山を登るのか~。

 
麓の庵まで下りた三人を待っていたのは、安藤守就の手勢でした。ここらでは雉より獣肉が好まれるので、山上の半兵衛に雉を届けに行った猟師であるという嘘がバレてしまい(半兵衛の罠かッ!)、三人は安藤守就の北方城に連行されてしまいました。というかね、美濃弁と尾張弁は微妙に違うので、普通に言葉づかいでバレると思うよ。美濃弁ネイティブのうちの母いわく、美濃弁のほうが尾張弁より高貴な響き、なのだそーです。

 

 

北方城には美濃三人衆が勢ぞろいしており、驚いたことに織田方に下りたいと申し出ました。北方城で小一郎が口から出まかせに言った、「信長さまは新しい面白き世をつくる」という言葉が胸に刺さってしまったのだとか。

 

もともと成り上がりの斎藤家を美濃の国衆は良く思っていない。道三・義龍は強力なリーダーシップで美濃をまとめてくれたから従う意義があったけど、幼主 龍興を盛り立てていくほどの義理は感じていない。

 

「家康が清須同盟を破ってしまえばよいのに」などと平気で口にする龍興は、信義の価値がわかっていない。祖父 道三や父 義龍が理想とした強く新しき国をつくり、ほかの大名と渡りあって守っていけるわけがない。ちなみに清須同盟は信長の死によって強制終了するまで約20年間存続しました。

 

 

そして三度目の訪問。安藤守就も連れて菩提山を上る途中、藤吉郎は抜け穴を見つけました。前に菩提山城で会ったとき、半兵衛の着物が汚れていないことに気づいていたのです。しかし抜け穴の先の菩提山城に半兵衛の姿はありませんでした。織田方にはつきたくないってこと?

 

 

 

永禄10年(1567年)秋、斎藤家家臣の調略をあらかた終えた織田信長は、いよいよ稲葉山城を囲みました。稲葉山城は麓からの比高300mと険峻なのはいいけど、平地が少なくて籠れる兵数が少ないから意外と落ちやすい。怯える斎藤龍興に声をかけたのは、蟄居していたはずの竹中半兵衛でした。どこから湧いて出た。

 

お得意の十面埋伏の計(至るところに伏兵を潜ませる策)で織田勢を翻弄する半兵衛。近江の六角氏・越前の朝倉氏に要請しておいた援軍が到着するまで粘れば勝機はある。しかし龍興は半兵衛を信じず(前回、稲葉山城を落としたのは半兵衛だし)、抜け穴から逃げ出そうとしました。

 

ところが抜け穴からは小一郎ら織田勢が姿を現しました。改築された菩提山城を稲葉山城そっくりだと安藤守就が評したことから、名探偵 小一郎は気づいたのです。これは稲葉山城攻略のための実物大模型なのだと。ならば同じ抜け穴もあるはず。

 

斎藤龍興は隙を見て脱出し、取り残された竹中半兵衛は「織田方の強力な策略と戦う方が楽しいのに」と思いつつも織田家に下ることになりました。

 

 

 

織田信長の悲願だった美濃攻略は成った。軍師 竹中半兵衛も味方についた。当面の仕事を片付けた小一郎の心の糸は切れてしまいました。直の供養塔の前に脇差、そして直が持たせてくれた六文銭のお守りを置いた小一郎。

「死ぬのか」

そう声をかけたのは、直の父 坂井喜左衛門でした。

 

直を中村から連れ出したがために死なせてしまったと謝罪する小一郎に、喜左衛門は銭を要求しました。直はお前のせいで父との賭けに負けるのだから、お前が負け分の銭を払えと。

 

直は喜左衛門と賭けをしていました。この世から争いはなくならない。それでも無駄な殺し合いはなくすことができる。皆と話し合い、万事円満だと笑える世を私の旦那さまならきっと作れると、騙されたくなる。へそくり500文を全額賭けたくなる。

 

小一郎が死ぬなら、あるいは侍をやめるなら、無駄な死はなくならない。小一郎のほかに、それを成し遂げられる者、成し遂げられると皆を信じさせてくれる者はいないのだから。

 

「その賭け、必ず直を勝たせてみせまする」

強く新しき国をつくるとか、新しい面白き世をつくるとか、そんな大仰なものじゃない。ただ直を勝たせたい。直が信じてくれたぶんだけ、小一郎も信義を返したい。

 

「お前が諦めたら、すぐに銭を取りに参るぞ。直とともにずっと見張っておるぞ」

藤吉郎に妻を奪われ、小一郎には娘を奪われた。どうにも許せない男であっても、直の望みをかなえるためなら、すべて飲み込んで応援しなきゃならない。喜左衛門の捨て台詞は、小一郎への精いっぱいの励ましでした。

大河ドラマでは激レア、同棲をはじめたばかりのカップルのイチャイチャ。

「起きろ、小一郎」

直は気の置けない幼なじみとして小一郎を起こしてから、武家の夫人らしく、

「おはようございます」

この幸せがずうっと続けばよかったけど、第8回のおわりで小一郎は叫びました。

「起きろ、直!」

 

 

正式に祝言を挙げるため、父 坂井喜左衛門に挨拶しておこうと考えたのが仇になりました。中村のあたりは日照りに悩み、水争いが起きています。上流の村が川を堰き止めて水を独占すると、下流の村はその堰を切ろうとする。戦国時代は農村に武器が普及しているから、村同士の合戦になることも珍しくない。刀狩りが必要だよ。というか、そういう争いが起こらないように調整するのが武士の役割だろ? 信長の怠慢だ。

 

水争いに巻きこまれた子どもをかばって、直は斬られました。父 喜左衛門は直のためにためらいなくわが身を投げ出した。直もとと様のような親になりたい。クソったれジジイと和解していたばっかりに、直は他人の子を守って命を落としました。他人の子だからって見殺しにしたら、それはもう直じゃない。喜左衛門が男手ひとつで精いっぱい育てた直じゃない。小一郎が好きになった直じゃない。

 

 

 

 

永禄9年(1566年)の夏、墨俣城、というか砦の建設が三たび始まりました。しかし、これは敵の目を引きつけるためのオトリ。確かに墨俣は美濃路(東海道の迂回ルート)が長良川を渡る要地だけど、斎藤家の本拠 稲葉山城から遠すぎる。信長の真の狙いは墨俣の北8km、美濃三人衆の一角 安藤守就が守る北方城でした。信長って、自分の考えをギリギリまで明かさないよね。それが孫子の兵法だけどさ。

 

濃尾平野北部

地理院地図を一部改変

 

斎藤龍興は、工事をある程度まで黙認せよと命じました。賽の河原の石積みのように、完工間際に破壊してやるのが快感だそうです。お前は賽の河原の鬼か。川並衆が猿芝居で斎藤方の立ち入り検査をごまかしたこともあって、墨俣砦は着々と完成に向かいます。山中の庵に住む誰かさんが見抜いてたじゃん。今回の織田家はひと味違うって。

 

なぜ墨俣砦の工事が進んでいるのだとブチ切れる斎藤龍興に、美濃三人衆もドン引き。あんたの命令ですやん。やっぱりこのガキに美濃国主は務まらないのでは、という疑惑に苛まれながら、美濃三人衆は墨俣に出陣しました。

 

 

直が持たせてくれた握り飯をかじっていた小一郎は、藤吉郎とじゃれあううちに握り飯を落としてしまいました。直が握り飯の包みにくくりつけてくれたのは六文銭。死者が三途の川を渡る際の渡し賃です。死に支度をしておけば、かえって死なないというおまじない。握り飯を拾おうとして身を屈めた小一郎は命びろいしました。斎藤勢が放った鉄砲玉が、さっきまで小一郎が立っていた場所を貫いたのです。

 

藤吉郎と川並衆は斎藤勢と交戦しながら何かの樽を高い櫓に設置し、墨俣砦は完成しました。日が暮れてなお攻撃の手を止めない斎藤勢を限界まで引きつけて、藤吉郎たちは墨俣砦、否、墨俣城を捨てました。

 

「この城を覚えておる者が、この先どれほどおるであろうのう。たった一夜であったが、お主らとともに造ったこの城のこと、わしは生涯忘れぬ。よき城であった!」

 

墨俣一夜城は、木下藤吉郎秀吉が一夜限りの城主だった城。藤吉郎の放った火矢はあの樽の油に火をつけ、堀に流されていた油にも引火しました。なまじ堅固な城を敵に奪われ、再利用されると困る。墨俣城は一夜にして焼け落ち、歴史の闇に消えました。それでも墨俣が要地であったという記憶が200年後の誰かの想像力を刺激し、ロマンあふれる一夜城の伝説を生み出すことになるのです。

 

 

 

さて、墨俣はオトリで本命は北方城だ。美濃出身の森可成とともにガラ空きになった北方城を占拠するはずが、墨俣へ出撃したはずの城主 安藤守就が小一郎を待ち構えていました。これもあの庵の主の指示か。

 

お得意の舌先三寸で安藤守就を丸めこもうとする小一郎。 安藤守就がつい話を聞いてしまったのは、主人公補正……ではなく、斎藤龍興の資質に疑問を覚えていたからでしょう。兄の藤吉郎は信長が面白い世を作ると信じている……他国人にはなんのことやらって感じの説得です。藤吉郎が誰かは知らんけど、斎藤道三の娘婿である信長の話なら聞いてやらんでもないかな。

 

前野長康の機転で篝火が消え、小一郎は闇に紛れて北方城を脱出しました。モリリンこと森可成殿はご無事ですか? 逃げる小一郎が城門前ですれちがったのは、たいまつを掲げた平服の若者。

「あのぅ……此度の策はどなたが考えたのでありますか? 」

追手が迫っているため質問には答えられなかったけど、そもそもそんなことを敵(たぶん)に明かすわけないでしょ! ところでこの若者は、視聴者だけは知っているあの庵の主?

 

 

 

 

『豊臣兄弟!』第8回は、ここで終わればいいと思う。未来の天才軍師と出会い、俺たちの闘いははじまったばかりだ!……で8週打ち切りエンドでいいよ。三途の川の六文銭が必要なのは直のほうだったなんて、そんな事実は知らなくていいんだよ。