第24回は天正7年(1579年)秋から翌年正月まで。荒木村重の有岡城と別所長治の三木城の陥落が対照的に描かれました。やたらと凝った絵作りをする演出家でした。カメラがグルングルンと回ったり、無意味に竹中半兵衛カラーの布が干されていたり、毛利家ではむやみに蝋燭を灯していたり。黒沢映画でも目指してるん?
出典:れきちず
本作では完全に無視されていますが、元亀元年(1570年)から織田信長と本願寺との間で石山合戦が進行中です。瀬戸内海航路を押さえる毛利氏は、石山本願寺(今の大阪城のあたり)に海路で支援をしていました。信長は播磨を獲得することで、毛利ー石山本願寺間の陸路・海路を切ってやりたいわけです。ちなみに備後の鞆の浦では、将軍 足利義昭が元気に手紙をばらまいてるぞ。うざ。
ところが東播磨一帯を治める別所氏が離反してしまう。将軍 足利義昭が上洛した折、別所氏は信長の呼びかけに応じて将軍に謁見し、それ以降10年ほど信長に従っていました。当主の別所長治がまだ若かったため、後ろ盾が欲しかったという事情もある。しかし播磨西部攻略のためにやってきた羽柴秀吉は、「別所は信用できない」と言わんばかりの態度で反感を買ってしまいます。播磨守護 赤松氏の血を引く別所氏のメンツってものがわかってないんだよ。
長治もすでに成人したことだし、成り上がりの織田ごときにペコペコする必要はない。摂津の荒木村重・石山本願寺と連携して毛利の援軍を待てば、信長に対抗できるはず。しかし備前・美作を治める宇喜多直家が織田方につき、宇喜多への対処に手を取られた毛利からの援助は期待できなくなった……というのが天正7年(1579年)秋の状況。
本作ではまたもや無視されていますが、有岡城の包囲が長引くにつれ、荒木村重をそそのかして謀反を起こさせた中川清秀・高山右近までもが織田方に降ります。お前らが暗黒JK……じゃなくて、安国寺恵瓊を引きこんだからこうなったんだろうが! 村重は怒っていい。
なぜか有岡城攻城戦にまぎれている(三木城におらんでええんか?)小一郎は、10カ月たっても士気高く戦っている城兵に不審を抱き、兵糧の横流しを摘発しました。カネに執着がある設定が久しぶりに生きたね。
「銭で命は買えぬ!」とかっこいいことを言って裏切り者を買収し返し、小一郎は村重の側室 だしに手紙を届けさせました。だしは村重を説得し、投降が決まりかけましたが……。
茶碗をうっかり落とし、破片で指先を切ってしまった村重は、信長の冷ややかな目を思い出してしまいました。信長がさ、もっとにこやかな人物ならよかったのかな。茶器をもらうとホイホイ赦しちゃう人なんだけど、顔が怖いよね~。パニックに陥った村重はさらに茶碗を割り、破片をかき集めた手は血まみれになり、とうとう残った茶器を担いで有岡城から逃亡しました。
最新の研究によると、村重は海沿いの尼崎城まで落ちのびて嫡男の村次と合流しました。そこで本願寺や毛利と連絡を取ろうとして果たせず、さらに西の花隈城(神戸市)に入りました。抗戦を諦めて毛利へ亡命したのは、有岡城を出てから約一年後のことです。
史実では村重が尼崎城にいた際に織田方との交渉が行われ、村重が投降すれば有岡城は無血開城されるはずでした。しかし村重の抗戦の意志は固く、有岡城に残されていた家族や家臣はすべて処刑されました。だし役の山谷花純さんは、2022年『鎌倉殿の13人』の せつ役に続き、夫のせいで小栗旬さんに殺される役となってしまいました。朝ドラ『らんまん』では丹羽長秀と再婚して幸せになってたはずだけど。
一方、三木城は後世「干殺し(ほしごろし/ひごろし)」を呼ばれる状況になっています。有岡城の陥落で東からの補給路が断たれ、南の海岸からの補給路は羽柴勢が砦を築いて丁寧にふさぎました。この工事の経験が中国攻めの際の水攻めに生きるのに、作中ではスルーされています。
三木城の西と北は羽柴勢の陣地と土塁が取り囲んでいます。兵糧入れを試みた毛利軍は撃退され、三木城から打って出た別所勢も激戦の末に敗退しました。信長の嫡男 信忠は三木城を力攻めにして皆殺しにしろと命じましたが、そこに現れたのが有岡城から救出された小寺官兵衛でした。元気そうで何より。
幽閉前はクラシカルな大袖付きの腹巻を着けていた気がしますが、当世具足に換装しています。え~、肩の丸みにフィットする当世袖なんかつまんないよ! 防御より装飾重視の大袖をバッサバッサ、ガッチャガッチャと翻してくれよ! ……ごめん、もう言わない。
官兵衛は幽閉中に視野が広がったようです。荒木村重から意見を求められたときは(現在公開中の映画『黒牢城』のパク……オマージュ?)、精神の均衡を崩しているように見えましたが、耳に残る竹中半兵衛の声と松寿丸を支えに生きのびました。以前の彼なら皆殺しに賛成しただろうに、播磨の民の心情まで考慮し、名門 別所氏の名誉を守る形での決着を進言しました。
父 信長の意向を気にする信忠も官兵衛の見解を認め、天正8年正月、別所長治ら別所一門の切腹と引き換えに城兵は助命されました。有岡城を見捨てた荒木村重とは大違いですね~、と言いたいところですが、それは天下人になったあとに豊臣秀吉が言いつくろったことで、じつは城兵を殺しちゃってたという説も出ています。皆殺しは織田勢のお家芸。
とりあえず三木城攻防戦は終結し、小生意気な小寺官兵衛は軍師 黒田官兵衛に生まれかわりました。作中では例によって説明されませんが、官兵衛の父は主君 小寺政職の養女と結婚して小寺の名乗りを許されましたが、もとの氏は黒田でした。
黒田氏は佐々木源氏の子孫がどうとか言ってるけど、たぶんでっちあげで、出自がよくわからない。そんな家が西播磨の有力者である小寺を名乗れるのは名誉なことだったのです。しかし小寺政職は信長に反旗を翻し、三木城が陥落するころに御着城(ごちゃくじょう。姫路城の東)を捨てて毛利に亡命しています。もはや小寺姓がありがたくなくなったから、黒田姓に戻した、という話でした。
さて、3年がかりの播磨攻略を終えた羽柴秀吉に対して、丹波方面を担当していた明智光秀はどうなんでしょうか。こちらも大変な苦闘だったと聞き及びますが、第24回のラストカットには不穏な文言が差し挟まれました。本能寺まであと二年。あ……。



