今回は天正4年(1576年)1月から同5年の話。天正3年には従三位 権大納言 兼 右近衛大将に叙任され、信長は朝廷公認の天下人として「上様」と呼ばれる身になっています。冒頭で織田信長は嫡男 信忠に家督を譲ると宣言しました。集まっていたのは重臣と織田の一門衆、信長の三男 信孝と、甥に当たる信澄。信長がやむなく誅殺した信勝の息子です。おやおや、信長の次男 信雄がいませんねぇ。本能寺の変以降の重要人物なのに。
尾張・美濃は信忠に支配させ、信長は琵琶湖南東岸の安土に移ることにしました。築城の総奉行は丹羽長秀。手伝いに駆り出された藤堂高虎は石垣の積み方に一家言あるようですが、現場監督を怒らせ、つまみ出されてしまいました。
しかし、のちに小一郎のやり方から学んだのか、相手のやり方をいったん受け入れてから意見を言うようになりました。頭の固いジジイだって説得できる可能性はあるし、城はひとりでは建てられない。高虎の成長ぶりに、丹羽長秀も目を細めます。人が守る城ではなく、人を守る城を建てる。戦場で敵を倒すだけが武士の本分じゃないんだ。
出典:地理院地図を一部改変
琵琶湖岸に点在する内湖が昭和までにほとんど干拓されてしまったため、現在の安土山は田んぼの中に浮かぶ丘、といった感じです。しかし、16世紀当時は内湖に突き出した半島でした。
かつて南近江を支配していた六角氏は、安土山のすぐ南東の観音寺山に城を築きました。麓からの比高が110mほどしかない安土山よりも200mほど高くて防衛的です。しかし信長は城下町を水運によって発展させることを重視して安土に築城しました。内湖が堀になるから、防御も弱くはないし。山城なんかただの飾りです。時代は平山城!
出典:れきちず
小一郎のもとにお慶が嫁入りしたのがおそらく永禄12年(1569年)。その後8年間ほったらかされていた案件がやっと動きました。「子は嫌いだ」とか言っていたお慶には、稲葉山の合戦で戦死した夫との間に息子がいたのだそうです。なぜその存在を隠そうとしたのか、本作ではお慶の父という設定の安藤守就が知っていたのかいないのか、なんだかよくわからん話ですが、野暮なツッコミはやめておきます。
お慶の息子 与一郎は、北近江の宝久寺村で祖父 堀池頼昌と祖母 絹に育てられていました。すでに織田信長が天下人になった世で織田への憎悪を教え込まれ、仕官の当てもなく武士の心得を学ぶ日々。密かに宝久寺村を訪ねていたお慶も、義父母に気づかれぬように見守ることしかできない。
ひとりならなにかの拍子に我に返ることがあるけど、家族という狭い人間関係のなかでは、互いに牽制しあって身動きが取れなくなることがある。膠着状態を打ち破ったのは、お慶としばしば密会していた旅姿の男 村川竹之助でした。堀池家に仕える侍だったんですね。真相を知らされた小一郎は宝久寺村を訪ね、与一郎を養子にしたいと申し出ました。
直を亡くしたとき、小一郎は死にたかったけど死ねなかった。小一郎が万事円満の世を作るほうに賭けた直を勝たせるために。お慶が死ねない理由が息子なら、そばにいさせてやりたい。縁あって夫婦になったふたりだから、なんなりと力になろう。
与一郎の祖父母も苦しんでいました。真っ先に寝返り、斎藤家が滅びる原因になった安藤守就が憎い。守就の娘 お慶が与一郎を連れ出そうとしたことも許せない。息子の忘れ形見を取り返そうとお慶の肩に斬りかかった頼昌でしたが、そのせいで太刀を抜けなくなっていました。武芸を鍛えたのは女を斬るためではなかったはず。それも、息子の嫁を。
上座から堀池家の人々を見おろしつづけていたわが子 頼広の具足を、絹は払いのけました。こんなものは息子じゃない。息子はいつもやさしく笑っていた。身内が苦しむように望んだりしない。
いつまでも憎み続けるのは辛い。生きることは変わること。憎しみが薄れることだってある。変わってしまった自分を受け入れ、楽になっていいんだ。まして幼い与一郎には無限の未来がある。頼昌は与一郎に「お前はどうしたい?」と尋ねました。
与一郎の望みは矢で柿を射ち落とし、母と祖父母にあげること。織田の武者を射殺すために教わった弓の技を、皆を喜ばせるために使いたい。堀池家はようやく織田への報復の執念を手放し、与一郎を長浜へと送り出すことができました。
史実の話をするなら、羽柴秀長と正室のあいだに生まれたのが与一郎だったそうです。しかし仮名(けみょう。通称)だけで諱が伝わってないことから、元服直後に死去した可能性があります。秀長の嫡男なら、何らかの役職に就いたり朝廷から官位をもらったりして、諱が記録に残るはずだから。だとすると……史実なんか変えればいいんだよ!
与一郎役の高木波留くんは、12歳にしてすでに大河ドラマ4作目の出演。『青天を衝け』尾高平九郎役、『光る君へ』懐仁親王(一条天皇)役、『べらぼう』柯理(蔦屋重三郎)役だそうです。みんな、あんまり長生きしてないな。蔦重の数え48歳が最長か。
与一郎は長浜で羽柴家の身内として可愛がられるようになったし、お慶も笑ってくれるようになった。万事円満じゃ!……と言いたいところだけど、そこに加賀へ出征したはずの藤吉郎が帰ってきました。凱旋でも敗走でもない帰還。柴田勝家と口論になったって、どういうこと?






