今週の松平元康/徳川家康はなんだか愛らしかった。いつもの癖で爪を噛もうとして、手袋をしていることに気づいたり。せっかく運んだ兵糧を織田方に奪われるのを惜しみ、少しでも食ってやろうとしたり。中の人が左利きなので、右手ではちょっと食べづらそうでしたが。今後も面白キャラとして殺伐とした戦国時代を和ませてほしいものです。
孫子の兵法では「勢」を重視します。大将のもとで兵の心がひとつにまとまれば、大きな破壊力を生み出せる、という意味です。そのために、大将は家臣にギリギリまで情報を与えないほうがいい。うかつに、
「5日後に出陣するから準備しておけ」
などと言ってしまうと、家臣のあいだで議論百出して収拾がつかなくなるんです。
「え、野戦? 籠城かと思ってた」
「だよな。籠城なら那古屋城か」
「いや、清須城でしょ」
「清須まで下がると、熱田の港を放棄することになるけど」
「待て待て、殿が野戦だと言ってたじゃん」
「頭おかしくね?」
「あたおかな殿の首を獲って、今川に駆けこんじゃう?」
なんて流れになったら死にますよ?
どうせ採るべき作戦はひとつだけ。野戦で今川本隊を壊滅させる以外、織田信長が独立大名として存立する道はない。援軍が来る見こみもなく籠城して今川勢の撤退を待っていたら、北の美濃から攻めこまれるかもしれない。完全に統一されたわけでもない織田家が再分裂する恐れもある。
信長は出陣するともしないとも、和睦するともしないとも言わずに宴を開きました。そして松平元康が大高城に兵糧を入れて鷲津砦・丸根砦を攻撃し始め、決戦が避けられない段階になってから清須城を飛び出したんですね。ここまで来ては、家臣たちも信長を追って出撃せざるを得ない。しびれを切らした佐久間盛重は、今川方への投降を決意しちゃってたけど。
もちろん、そこに至るまで何もしていなかったわけじゃない。裏切る様子を見せた佐久間重盛を利用して丸根砦をわざと今川に明けわたし、重盛の首桶GPSで今川義元の本陣の位置を特定しました。信長の意を受けた梁田政綱が裏でずっと動いてたんですね。
鳴海城の東の善照寺砦に入ってから南東の中島砦に移ったのは、今川の別動隊を鳴海城方面に引きつけ、今川義元の本陣を手薄にさせる策。そして先週の放送で小一郎から「トンビが低く飛ぶのは雨の前触れ」と学んでいたことから、火縄銃を濡らさないで済みました。
智謀を尽くし、勝ち目をいくらか作ることができた信長は、今川義元を見事討ち取って歴史上稀なジャイアントキリングを成しとげました。貴重な情報をもたらした梁田政綱に褒賞を約束して帰すと、信長は床に大の字に寝転がって笑いました。勝とうとはしたけど、ここまでの大勝を予想していたわけじゃない。妹 お市が言うとおり、悪運が強かった。そして、雨が降るという天の啓示を読みとっていたのは、あの足軽……。
その足軽兄弟は、桶狭間の戦場で城戸小左衛門の命を狙っていました。大将のもとで兵の心がひとつにまとまるのが「勢」だって言ったよね? 同士討ちなんか狙うんじゃねーよ! 落ちていた弓を拾って城戸の背に向けた藤吉郎でしたが、小一郎に阻止されました。
槍の名手である城戸小左衛門を失えば、合戦に負けるかもしれない。そうしたら自分たちも生きて帰れない。いつか城戸を顎で使えるほど出世することを目標に、藤吉郎は復讐をあきらめました。敵兵と交戦する中、飛んできた一本の槍が敵兵を倒しました。投げたのは、憎き城戸小左衛門。
本当は豊臣兄弟に槍を当てるつもりだったと嘯く城戸でしたが、本心なのかな。兄弟の恨みを買っていることに気づいていて、戦闘に集中しろと説教してくれたような気もします。その真意を知る暇もなく、城戸は敵兵の矢に斃れました。天界に比べれば人の世の命は短く儚い。永遠の命などあるはずもなく、現世に執着する必要もない……信長の好きな幸若舞『敦盛』の一節です。
藤吉郎は城戸の死体から父のお守りを取り返し、城戸の腰にくくりつけられていた敵の大将首を自分の手柄として申告しようとしましたが、小一郎に止められました。父から手柄を奪った城戸と同じことをすれば、藤吉郎も同じような死に方をするかもしれない。
城戸の手柄だと正直に申告した藤吉郎を信長は足軽組頭に取り立て、「木下藤吉郎秀吉」という名乗りも与えました。吉が二つも入っている、吉運を呼ぶ名です。そして雨を予見した小一郎を近習に取り立てました。武家の子弟は小姓→近習→奉行と累進していくものです。小百姓からすごい出世だ!
しかし、小一郎は「荷が重すぎる」として断りました。信長は人事を尽くして天命を待った。兄 藤吉郎は信長が勝つと信じて疑わなかった。そういう強い思いが本当に天運を呼びこむのだ。負けると思いこんでいた自分に、信長の直臣になる力はない。
「兄に従い、兄とともに殿にお仕えしたい」
小一郎の言葉が信長の記憶を刺激しました。『豊臣兄弟!』の物語がはじまる前年、永禄元年(1558年)のこと。信長は病と偽って弟 信勝をおびき出して誅殺しました。かつて謀反を起こした信勝を一旦は赦したものの、信勝の家臣だった柴田勝家から「再び謀反の恐れがある」という密告があり、殺さざるを得なくなったのです。
兄に逆らいつづけて死んだ弟を持つ信長は、当時の慣例に逆らってもお市を手元に置かずにいられないんですね。お市が男であればよかったのに。否、男だったらやはり兄に逆らうんだろうか……。
近習の職の代わりに銭を望んだ小一郎に、信長は気前よく50貫文を与えました。江戸時代初期だと1貫文(銭1000枚、または960枚)=米1石=金1両=約10万円という換算なのですが、戦国時代の1貫文は7万5千~30万円と諸説あります。仮に10万円とすると、50貫文で500万円。ワァオ。実家をフルリフォームできるね。そりゃ小一郎は乙女化するし、重臣たちはドン引きするわ。足軽へのボーナスなんて、1貫文でも十分だと思うよ?
信長はさらにあの草履も兄弟に片方ずつ投げ与えました。
「草履は片方だけでは何の役にも立たん。互いに大事にせよ」
豊臣兄弟はふたりでひとつ。目先の利益に流されがちな藤吉郎を視野の広い小一郎が諫める。臆病で立ちすくみがちな小一郎を大胆不敵な藤吉郎が引っ張る。このコンビネーションが崩れる時、それは……。