断捨離という言葉が、広まって、「捨てる」ことの意味を考えさせられた。
捨てられない理由のひとつとして、捨ててしまうことで、それをもう一度つかう「可能性」を捨てることになるので、それが良いと思えなくて結果「処分保留」になる、ということがあるのではないか?
モノを捨てる以上に、「可能性」を捨てるのって勇気がいるよね。
で、全然ちがう話にスライドするようだけど、今日は子どもの部活の話。
わたしの子(男子ふたり)と縁のあった学校では、部活をしている子を「部活生徒」、運動部にも文化部にも所属しない子を「一般生徒」とよんでいた。
「一般生徒」の数は、中学になると、極端にすくない。
部活をすることのほうが一般的な感じだ。
部活を通して、学ぶことが多いのは事実だから、がんばってる子は応援したいと思う。
↑この気持ちは嘘じゃない。
でも、いちばん正直な気持ちを書くと、「部活頑張りすぎて、心身ともすり減らすなんて、ばかばかしい。うちの子にそんなことさせたくない!」と私はずーーっと、そう思っていた。
そう考えるだけあって、私自身、学生の時は、部活で自分をすり減らしたりしないよう、いつもそっちのほうに神経つかう子だった。もちろん運動部では万年補欠。
ひとことで言うとアンチ体育会系。
でも、うちの子たちは、小学校から運動部に入り、内心「いやだな~」と思っていた。
自分がアンチだからって、子どもが運動を楽しむ権利を奪ってはいけない。それはわかっているけど、母親の場合、子どもの部活はほとんど自分の問題。
「親の責任で部活をさせる」という空気があり、練習試合など、びっしり付き添うことになっていた。(強制)
休日などない。早朝から日暮れまで、どっかの運動場、体育館で過ごす。嫌だった。
でも、よそのお母さんは、ちゃんとされているので、しかも団結されているので、ひとりだけ浮いた行動はいけないと思い、表面上とけこんでいるふりをする。
うちの子は、なぜか、いつも学校中でいちばん厳しい部と縁があり「かんべんしてよ」と思っていた。
「つらかったらやめよう!」と息子にささやいているところを父親(私のダンナ)に見つかり、すごく怒られたこともあった。
子どもの足をひっぱるなんて、ひどい母親だと、思われるだろうが、その時の指導者は鬼のような人で、体罰・暴言もひどかった。そして私のダンナは体育会系なので、鬼コーチを全面的に支持し、「ぜったいグチを言うな」とか、子どもに言っていた。体育会系の世界では、そういう態度が普通なんだろうけど、どこにも逃げ場がないなんて、おそろしい世界だと思った。
そして昨年度の話だけど、コーチが「やる気がない奴、いますぐやめろ」と言った。
息子の頭に「やめようかな~」という考えが浮かんだみたいだった。
そしたら息子の親友のA君がほんとに退部してしまった。
A君は、キャプテン候補で、学校の成績も良い人で、やめる理由がわからない。
でもA君は去ってしまい、あと転校した人もいて、うちの子がキャプテンになってしまった…
私は、その知らせをきいて、へたりこんだ。
キャプテンの親は、保護者会で部長の役をする、というしきたりがあって、まずその役がまわってくることはないとふんでいたのに…私がこんなだから、神様は罰をあてるのかな?
部を去ったA君のお母さんから、「ほんとにごめんなさい」と言われた。A君のお母さんは、悪くないのに。
ただ、私が保護者会・部長という役を重荷に感じる人間だということを察している人だった。
アメーバにきて、うれしかったのは、自分のお子さんに対し「部活に燃えたりしなくていい!」と言い切るお母さんに出会えた事!ひとりだけど(笑)
私たち親子が、やめたい…と思っていた時、同じ部の体育会系のお母さんから喝をいれられた。
「ぜったい、やめたらいけない。そんなことしたら子どもの可能性つぶして、一生後悔する。A君(やめた人)なんて、ずっと後悔するんだからね」というような事を言われた。
そして一年以上たった今、そのとおりでしたと、ここに書くことができたなら、美しい終わり方だと思うけど、現実は、そうでもなかったよ
うちの子は、べつに部活やりとおせてよかった、とは言っていない。
運命だったのかなーと言っている。(やめるタイミングを失った状況であり、選択の余地がなかった)
今日、A君のお母さんとひさしぶりに会って話したんだけど、あの時、思い切ってやめてよかったと言っていた。A君は、自分で決断し、やめた後は「石にかじりついても、この道を正解だったといえるようにしなくちゃ」という思いで、勉強をがんばってきたそうだ。
A君は、あの時点で、「部活を継続する可能性」を捨てた。そのあとの道を正解にするしかない、という思いがあったから、捨てたことにより新しい世界が開いたんだね。
こういうことは、一般化できることじゃないんだ。
部活をやめたことを後悔している人だって、いるとは思うけどね。
「部活をすることが正しい」というような、道がひとつしかない、そんな閉塞感がいやだった!これが本音。