風の日は 風の中を

風の日は 風の中を

~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。


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第47回「悠々自適」句会に参加して、いろいろな学びがありました。

私は、今回の句作は最後まで楽しむことができず、「なぜだろう?今までは楽しみながら作ってきたのに。。。」という思いがありました。

俳句を作る過程を楽しめなかった原因。句会の終了後に判明しました。

私は、自分の力量では突破しにくい無理な道筋を歩いていたようです。

 

句会の締め括りとして、悠人さんは『いい題材と、それにピタッとはまる季語が見つかれば、秀逸な句に出会える』とおっしゃいました。この言葉を聞いて、夏井いつき先生も以前、同じことを言われていた!という記憶が蘇ったのです。

新聞か何か、紙媒体で読んだ記憶です。うろ覚えですが以下に記します。

 

日常の中で心ひかれる出来事に出会ったら、それを手帳にメモする。後日、それが『俳句の種』になることがある。

(夏井先生が、おっしゃっている「俳句の種」とは「季語とは関わりのないワンフレーズ」を指します) 

 

俳句の種にピッタリの季語を探しているうちに歳時記と仲良くなり、「こんなに美しい日本語があったのか」と、新たな発見がある。それが俳句作りの楽しみのひとつ。

 

夏井先生のお話、おおよそ上記のような内容でした。

このお話がよみがえり、今回、自分が道すじを間違えていたことを知りました。

 

じつは今回、詠みたい景に出会った瞬間に自分の中で季語を確定していました。「季語以外のワンフレーズ」より先に季語を決めてしまったのです。

実力のある人なら、季語を入り口に俳句を作ろうとしても、ちゃんと作れるのでしょうが、私には難しい道のりでした。作りながら「苦しいなぁ」と感じましたが、苦しさの原因がわからず、無理な挑戦をしているという自覚はありませんでした。

 

自分の投稿句を以下に記します。

 

水澄めり空海の突く杖の跡

 

「水澄む」という季語が即座に頭に浮かんだ場所。そこは「杖ノ淵」(じょうのふち)という地名です。

空海が杖で突いたところから、清水が湧き出し、淵となったという伝説の地です。

湧水地の水の透明度の高さ。。。水底の石や鯉の姿がくっきりと見えます。ふと気づくと「いかに水が澄んでいるか」を描写した句を作っていました。

「季語を説明する句になっている!」と気づいたとき、自分にガッカリしました。今、句会で学んでいることは『季語と、それ以外に距離がある』という事なのです。それなのに季語の説明をするということは、季語に、どんどん近づいてしまっています。駄目な方向に進んでしまったことがわかり、描写の句は捨てました。

 

しかし「水澄む」の季語に執着してしまい、この季語をあきらめることはできませんでした。困りきった私は「空海」に縋ることにしました。

空海の杖で水が湧き、現在も淵が澄んでいるので、空海と季語の因果関係は、大ありです。でも空海がこの地を訪れたときから膨大な時間が流れています。「時間的な距離がある」と言い訳しながら無理やり仕上げたこの句。

選をくださった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。

弘法水の伝説は、日本各地にあるので、その空海の知名度によって、この俳句も救っていただいたのだと思います。

 

 

小鳥来るリハビリ室のコンサート

 

このリハビリ室には南側に大きな窓があり、そこから庭の樹々や小鳥の姿を見ることができます。

実際に「小鳥来る」状況が視界にあったわけですが、私の心に浮かんでいたのは小鳥ではなく、もっとサイズの大きな鳥が大空を飛んでいくところでした。このイメージは、リハビリ室を訪れた歌手が披露した歌からもたらされました。

 

「鳥渡るリハビリ室の唄うたひ」が最初の形です。

「唄うたひ」は歌手という意味です。ご本人が自己紹介のとき、そう言われました。

しかし、俳句の中でこの表現だと「リハビリの唄を皆で歌っている」というふうに受けとられてしまうのでは?と心配になりました。「プロの歌手が現れた」とわかってもらうために、下五を「コンサート」に変えました。

次に「鳥渡る」が写実でなくイメージであることをわかってもらうには、どうしたらいいのだろう?という問題が出てきましたが、解決できませんでした。

窓から小鳥が見えるのだから「小鳥来る」の季語にしようか?とチラッと考えた瞬間、自分でも驚くほど強く「鳥渡るの季語を捨てたくない!」という気持ちが沸き起こりました。

どうしてそこまで「鳥渡る」に執着してしまったのかというと、小鳥と違ってダイナミックなイメージがあるからです。

リハビリを頑張っている方々への力強いエールになっていると感じながら、大空を飛ぶ鳥の歌を聴いていたからなのです。

 

結局、「リハビリ室」を動かせないのなら、調和するのは「小鳥来る」の方ということになり、「鳥渡る」は、あきらめました。執着していたので、あきらめるとき涙が出ました。

季語を入り口にした句作で苦しみましたが、柔軟性に欠けるから

苦痛が大きくなったのでしょうね。

才能がある方は、発想の転換が上手いので、とらわれが少ないのではないかと周囲を見て、そう思います。

 

 

山粧ふ大名庭を舟めぐり

 

この句も季語を先に決めてから作った句ですが、先の2句に比べると苦しまず「すんなり」できました。

。。。と思っていたのは自分だけで、季語を先に決めて作った弊害が微妙に滲み出ていたことが後で判明しました。

 

上五の季語は、「庭」を修飾しているのでは?との指摘をAさんからいただきました。

Aさん、その通りです!粧ふ山は、紫雲山という名前で大名庭園の背景になっております。大名庭園の名称は『栗林公園』です。

 

つまり、この句は上五で切れていません。

その事に全く気づかないまま投稿している私。

 

季語を入り口に俳句を作ることは、実力がないと難しい。このことを今回、身を持って知ったわけですが、なぜそうなのか、すでに教えていただいておりました。(教えていただいたのに忘れていました。すみません)

 

悠人さんの句会は藤田湘子先生の本をテキストにしておりまして、湘子先生は「取り合わせの句」(二物衝撃の句)を、まず学んでいこう、と導いてくださっています。

季語を入り口にすると「一物仕立ての句」を目指すことになりやすく、こちらのほうはハイレベルな世界なのです。


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悠人さんのblogで第47回「悠々自適」が開催されました。

 

今回の兼題は「や」以外の切れ字を使うこと。晩秋から初冬の、さまざまな景を楽しませていただきました。

 

選句した8句を掲載させていただき、季語と「それ以外」の響き合いを味わいたいと思います。

さるぼぼさんという方が、いつも秀句を出されるのですが今回も出句すべてが素晴らしく巻頭を飾られました。

 

 

冬ぬくし砂場に残る城ふたつ  さるぼぼさん

 

砂の城を作った子ども達は、すでに立ち去っていますが「ふたつ」から、あたたかさを感じます。持ち帰りできないから残していったけど一生懸命に作ったのでしょうね。その気配が愛おしい砂の城。季語との調和がみごとです。

 

 

だまし絵の階段登り続け冬   さるぼぼさん

 

以前、美術館で見たM.C.エッシャーの版画の階段が目に浮かびました。だまし絵を見た時は「面白いなぁ」としか思いませんでしたが、この俳句に出逢って「人生って、だまし絵の側面があるかも」という気持ちになりました。騙されるというより、自分の主観が事実とズレている場合がありますものね。

「冬」で締めたのは「冷静になり客観性を持った」という意味なのかな?と想像しました。

 

寒暮なり青き灯続く滑走路  さるぼぼさん

 

「青き灯続く滑走路」は、鮮明に映像化出来るワンフレーズですね。

季語のほうは、「暮」は、ともかく「寒」は映像化しにくい感じですがワンフレーズと相まって、その場の状況がしっかり伝わってきました。

 

 

冬浅しダムに重なる逢瀬の地  ひょうたん機さん

 

建設されたダムの周辺が景勝地であることは珍しくないと思います。「ダムに重なる逢瀬の地」の言葉から、景勝地を連想しました。もしかしたら紅葉が美しいのでは?という想像も浮かびます。

しかし「冬浅し」という季語。「逢瀬」にはロマンスの香りが漂いますが「過ぎ去ったこと」として、おさえた表現を選ばれたのでしょうか。

でも大切な思い出ですよね。素敵な俳句です。

 

 

白障子水かげろふの顕つ朝  悠人さん

 

この句も頭の中で映像化したときの景色の美しさ、明るさが際立っています。

「白障子」「水かげろふ」「朝」、これらの言葉が初冬のやわらかな光線を描き出しました。

この句に出逢って「障子がなぜ冬の季語なのか」やっとわかった気がします。障子は一年を通して使われ年末に張り替えるから「冬」なのかなと思いこんでいました。

それだけではなかったようです。障子は体感としても、また視覚的にも冬をあたたかくする役割を持っていたのですね。

 

 

開くなり骸のそばの冬薔薇  笑い仮面さん

 

墓地で開花した冬薔薇に出会ったのでしょうか。

花の美しさに目を向けるより、あえて死の影にふれてみたのですね。そこに奥行きが生まれ「秘められた物語があるのでは?」と想像させられました。

 

 

夕露ぞ風の伝へり葉のしだれ  寿々さん

 

露と植物。自然界のひそやかな動きを格調高く表現されました。

上五の最後に「ぞ」が使われたことに惹かれました。「強調する」はたらきがあると習った気がしますが、これまで自分は正岡子規の俳句でしか見たことがなかったのです。素敵ですね。

 

 

銀杏散る小窓に届く背の温み  静可愛さん

 

小窓から銀杏を眺めているのは小さいお子さんでしょうか。背伸びしている小さな後ろ姿が浮かんできました。

この子の可愛らしさと金色の銀杏の葉。小窓があたたかい色に染まりました。

 


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この記事は、先月末の韓国の判決と、2007年に日本で出版された本について書いています。

両者に全く関係は無いのですが、自分にとっては共通するものがあり、ひとつの記事に書くことにしました。

 

まず韓国の「徴用工判決」ですが、これが報じられて1週間。日本側からは強い批判が起き、ついに日本単独で国際司法裁判所へ提訴となりました。

 

韓国が「日本企業に賠償命令」という判決を出すのではないか、と予想する意見を以前から沢山、目にしてきました。

韓国は反日姿勢を打ち出すことを「愛国心」と呼ぶ国です。そういう国民情緒を納得させるために、日本に罪ありと認定する訳ですね。

しかし、歴代大統領で日韓条約をひっくり返した人はいません。文大統領も、それだけは、しないのでは?と私は考えていたのです。見事に予想を外しました。。。

(司法には独立性があるはず、という意見がありますが、今回の判決に関わった人の大半が大統領の指名を受けた人たちなのです。文在寅の意向を反映していると思われます) 

 

 

1965年。日本は韓国に5億ドルを一括で支払っています。経済協力資金という名目でしたが、これをもって韓国政府自身が国民に必要な補償を行うというのが協定の内容です。

長い年月、国家関係の基本となっていたものを破壊する行為は、韓国自体にリスクをもたらすと当然予想がつくのに、なぜ?

 

理解できない私の前に「理由」のようなものが示されました。

「日本人との違い」について韓国人が語っていたのです。

要約すると

日本人は他人の立場に配慮する。

韓国人なら、「自身の利権を最優先する」

「他人の立場を配慮して、利権を逃すのは馬鹿」

ということでした。

 

なるほど。韓国人でなくても利権重視の人は沢山いますね。ビジネスの場面は、そうでなくてはならないでしょう。

また一国の大統領なら、国益を考えて当然。

 

しかし、今回の件、上手くいってないんじゃないですか。

利権を優先するなら、従来通り国際条約に関しては守っているほうが無難だったのでは。

他国に配慮しない!と言い張って、国際社会で孤立してしまったら結局、利権も残らないと思うのですが。

 

文在寅は前政権が倒れたことをフランス革命にたとえていました。ロベスピエールのような役割を覚悟されているのでしょうか。

 

 

次に「母地獄」。

月に1度開催される悠人さんの句会「悠々自適」に、先月以下の俳句が投稿されました。

 

無患子や修司の歌の母殺し  あ〜すけさん

 

寺山修司がその作品中で繰り返し「母の死」という虚構を作り上げたことに触れています。

 

虚構とはいえ「母殺し」をおこなった修司の事情。その母(寺山ハツ)の実像を明らかにしたのが以下の本です。

 

 

田中未知さんは、20歳のときに寺山修司にスカウトされて彼の秘書となり、以後16年間、寺山を支え続けた女性です。

 

寺山修司の最も近くにいた人でありながら、この本が出版されるまでの20数年間、田中未知さんは沈黙を守っていました。

沈黙が長きに渡った理由は、田中さんが知り得た状況が、あまりにも凄まじいものだったからではないでしょうか。

「母地獄」以外の章にも凄まじい内容があり、実名で「意義申し立て」されている著名人が複数います。

が、「寺山ハツ」の凄まじさが突出しているのは間違いありません。

 

田中さんと寺山は、相手の過去を積極的に知ろうとするカップルではなかったようです。寺山修司の子ども時代については、寺山自身が語った「あの人(寺山ハツ)はこの僕を鋏で殺そうとした人ですからね」という一言が、書かれているくらいです。(この一言でも十分凄まじいですが)

あとは実際、田中さんの目の前で起こったことばかり。当然、寺山修司は成人。というか、世に才能を認められた人になっていました。

一言でいうと「わが子を私物化する母」です。所有物なので息子に「人格がある」「立場がある」という事は考慮されません。

理不尽過ぎる要求の数々に対し、田中さんは、寺山に一度でいいから、「お母さん、それはできません」と断って欲しかったと

書かれていますが、寺山は黙々と従っていたようです。

断ったら別の地獄が展開される事を察知していたのでしょう。

寺山ハツの異常心理は「入院するレベル」と診断されましたが、入院することなく、息子の修司が先に亡くなってしまいます。

 

「母地獄」を引き継ぐ羽目になった田中さんは、上映の予定だった寺山の映画2本の仕事をこなした後、国外へ転居しました。

 

その前に、「息子の持ち物を売り払え」と迫る寺山ハツのために、資料として残すべきものを田中さん自身が買い取る形をとりました。そして寺山記念館へと全て残していくのです。

まるで、莫大な資本を朝鮮半島に残して統治を終えた日本のようではないですか!

 

寺山ハツは一度だけ外国にいる田中さんに電話をかけてきたそうです。「ありがとう」や「ごめんなさい」は、最後まで口にすることは無かったようです。

「仕事は嘘と駆け引きでやるもの」と主張していたという寺山ハツ。「他人の立場を配慮して利権を逃すのは馬鹿」という言葉を肯定しそうな女性です。利権追求に夢中で人間関係が崩壊しても平気。

 

田中さんのこの本を「暴露本」のように思った人もいらっしゃるようですが、私自身は価値のあるものだと思いました。

「母地獄」に苦しんだ寺山修司が、母親とは生き方が対極の女性・田中未知さんに出会えて本当によかったです。

 

寺山本人は以下のように表現しています。

 

未知、きみは固有名詞じゃない。ぼくとの共通名詞である。一緒につくった一つの存在です。ー寺山修司

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