お金が不要の世界? | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

リアルでも、ここ(アメーバ)でも、大切な人とのお別れがあり、今日は心に穴があいている。

さみしい心。
ブログかくのも、よそうかと思った。
どうせ実益のない内容。
でも、精神状態がよい時でも、よいことは書けていない。
そういう意味では、何も失うモノがなく、ただ思いついたことを書くことができて気楽だといえる。

だから今夜もヘンな事書き散らしますが・・・見過ごしてください。

『三途の川』について。


今日は、私が大好きだった叔父の告別式だった。

住職さまが「これから故人は仏さまの世界のほうへ旅立ちますが、この世との境界を越えていきます…。泳いで渡ることも、歩いて渡ることもできない川をわたるのです」と言った。


これって「三途の川」だよね。

「渡し船に乗るので、船賃のかわりになるものを」と言って、叔父の手に何かを握らせた。

それは…六文銭が描かれた紙だった。

(火葬されるので、燃えるものでないと棺にいれてはダメだそうだ)

六文銭をもっていないご遺体は、船に乗れないのだろうか?

そんなことないと思う。

見送る側が、納得しやすいような形をとっているだけだと思う。


つづいて葬儀社の方が、シキビ(植物)をたくさん持ってきて、「この葉っぱを枝から離して、棺の中にいれましょう」と言った。

「お金のような役目をして、故人の旅を守ってくれます」という説明があった。

「お金なんだー」と言いながら、みんな1枚でも多く棺にいれようとしていた…


わたしの子どもが、小声で「死んでもけっきょくお金なんだね」と言った。

ううっ、どう答えたらよいのやら(;^_^A


儀式だから…遺された人々(つまり、この世の人々=死後の世界を知らない人々)の感性でやってるだけなんだよ~


叔父は、自由な心でいたい人だった。

生と死の境界をこえて、叔父は、ますます自由になったんだと、私は、そう思いたい。

からだを持たなくなり、お金も不要になって、俗世間からとうとう解放されていったんだと思いたい。