リアルでも、ここ(アメーバ)でも、大切な人とのお別れがあり、今日は心に穴があいている。
さみしい心。
ブログかくのも、よそうかと思った。
どうせ実益のない内容。
でも、精神状態がよい時でも、よいことは書けていない。
そういう意味では、何も失うモノがなく、ただ思いついたことを書くことができて気楽だといえる。
だから今夜もヘンな事書き散らしますが・・・見過ごしてください。
『三途の川』について。
今日は、私が大好きだった叔父の告別式だった。
住職さまが「これから故人は仏さまの世界のほうへ旅立ちますが、この世との境界を越えていきます…。泳いで渡ることも、歩いて渡ることもできない川をわたるのです」と言った。
これって「三途の川」だよね。
「渡し船に乗るので、船賃のかわりになるものを」と言って、叔父の手に何かを握らせた。
それは…六文銭が描かれた紙だった。
(火葬されるので、燃えるものでないと棺にいれてはダメだそうだ)
六文銭をもっていないご遺体は、船に乗れないのだろうか?
そんなことないと思う。
見送る側が、納得しやすいような形をとっているだけだと思う。
つづいて葬儀社の方が、シキビ(植物)をたくさん持ってきて、「この葉っぱを枝から離して、棺の中にいれましょう」と言った。
「お金のような役目をして、故人の旅を守ってくれます」という説明があった。
「お金なんだー」と言いながら、みんな1枚でも多く棺にいれようとしていた…
わたしの子どもが、小声で「死んでもけっきょくお金なんだね」と言った。
ううっ、どう答えたらよいのやら(;^_^A
儀式だから…遺された人々(つまり、この世の人々=死後の世界を知らない人々)の感性でやってるだけなんだよ~
叔父は、自由な心でいたい人だった。
生と死の境界をこえて、叔父は、ますます自由になったんだと、私は、そう思いたい。
からだを持たなくなり、お金も不要になって、俗世間からとうとう解放されていったんだと思いたい。