再審の扉、開いてください | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

福島原発問題がおこったとき、「東電」とは、東北電力じゃなかったのか、「東京電力」だったのか!と言った人がいた。

そういう誤解をしていた方もいることはいるが…昔から「東京電力株式会社」は超有名な大手企業だった。


1997年、この会社の女性社員が殺害される事件が起こった。(東電OL殺人事件)

このとき東電は、「事件名に東電という会社名をいれないでほしい」と要請したそうだが、今日までずーっと「東電」という名前をつけてよばれてきた。

被害者が「東電の社員だった」ということは事件発生直後から強い印象を残した。・・・というか東電社員という要素があったから事件の注目度は大きくなったといえる。

被害者のWさんは、売春行為の現場で殺害された。

売春行為はたまたま…ではなく昼間はエリート社員、夜間は娼婦、という二重生活が長年続いていたことが明るみに出て、「一流企業のエリート社員がなぜ、売春する必要があったのか」という謎がこの事件をセンセーショナルなものにした。

職業が娼婦オンリーだったら、これほど注目されなかっただろう。


よく、事件の真相解明が被害者の無念をはらすことにつながるという考え方を聞くが、このときはちょっと、あてはまらないような感じを受けた。

事件に巻き込まれなかったら、「娼婦だった」ということは、おそらく秘密のままにすぎていったはず。

命をなくすことで、人権というものも一緒に消滅したかのように、Wさんのプライバシーは暴かれていった。

Wさんのお母さんは、「世間に顔向けできないような行為があったにしても、事件の被害者となり社会的には十分すぎるくらい十分に制裁を受けた。どうか、もうそっとしておいてほしい」という手紙をマスコミ宛てに送られた。


やがて…事件の犯人としてネパール人男性が逮捕された。

このことに対し、ジャーナリスト・作家の佐野眞一さんが早い段階で冤罪の可能性を指摘、雑誌にルポを発表された。これらは、「東電OL殺人事件」という本(新潮社)になり、この本のラストは被告ゴビンダさんが無罪判決を受けたところで終わっている。

佐野さんの本を読んで、私もゴビンダさんは無罪という印象を強くもった。


しかし、その後無罪判決は覆され、有罪(無期懲役)が確定したゴビンダさんは収監され今日に至る。


長い年月が流れた。

約3か月前、ゴビンダさん以外の人間が事件現場にいた可能性を示す証拠が出て、再審の可能性が高まるという報道があったのだが…あれから進展がない。

再審の可能性について報道されたとき、刑事法にくわしい方が「この事件(東電OL殺人事件)は足利事件とは違う」と発言された。

足利事件で長く受刑者の立場におかれた菅家さんは再審で無罪が確定した。

菅家さんのような結果になるかどうか…まず再審の扉が開くのかどうかさえ、まだわからない状態。

ただ、足利事件と東電OL殺人事件には共通点がある。

ゴビンダさんに逆転有罪判決をくだした人と菅家さんの控訴を棄却した人は同じ人である。

その人の名前は高木俊夫(当時の裁判長)。


ゴビンダさんが逆転有罪判決を受けたあと、この裁判長をおいかけて取材した人がそのやりとりを雑誌にかいていたことを私は記憶している。

いっさい取材に応じない、あるいは「判決は正当なものだと自信をもっている」と発言する、そのどちらかだろう…と予想したが違っていた。

「被告を犯人とするには決定的な証拠に欠けるのでは」という問いに…「女性の頸を強く絞めて殺害するような人が処罰されないということがありましょうか」と返答していた。

女性の頸を絞めた人がゴビンダさんだと証明できていない、という問いにこの答え。

日本語の使い方がおかしいのでなく、たぶん本音を言われたのではないかと思う。

「疑わしきは被告人の有利に」という言葉がある。

裁判は「推定無罪」を原則として進められるものだと聞いたことがある。

しかし、この人は「推定有罪」の姿勢が強い人だった。審理前から有罪の心証を固めていた人にみえる。

日本の司法には冤罪によって人の人生を狂わせても、そのことについて責任をとるシステムがない。

そのことを菅家さんは、くやしがっておられた。

菅家さんが無罪だったからといって、ゴビンダさんも同じ結果がでるかどうかは審理しないとわからないだろう。

しかし、新証拠で二審判決の根拠が崩れる可能性があるのだから、再審の扉を開くべきだと思う。

ゴビンダさんは一貫して犯行を否認していた。

あの当時、裁判員制度があったら、結果は違っていたのではないかということを何度となく思ったことがある。

どうか再審のチャンスがあたえられますように。


(記事の中に書いた高木さんという方は2008年に逝去されています)