(前回記事)

心の履歴(77-1) 

或る青春:蒼(あお)の放浪
2023-07-02 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12645251663.html

 

(今回記事)

2008/06/07 著

運転免許証を取るために自動車学校に通いました。

デルタ四条教習所です。

ここに通うには、地理的には近いのですが、交通便が悪いのです。バスの乗り換えなのです。
最初の数回だけは、誰かに送ってもらい、帰りはバスを乗り継いでいました。

以後、マツダファミリア800ccの小型トラックを運転。
四条通りを一筋下った畑道に車を停めて、そこから徒歩200㍍で教習所へ。

この教習所で宇治方面に住んでいる女性と同じ時間帯でしたから親しくなりました。
26歳。落ち着いた知的な、そして化粧をしない人でした。

帰りが同じ時間になった時は色々と四方山話をしました。
ある日、教習所での仮免の頃、彼女が私に聞くのです。

「何の免許を持っているのですか?」
「何も持ってはいないですよ」
「でも、車でいつも通って来ているでしょう」

彼女は、私が畑の道に車を停める姿を何度も見たようです。
それからが冷や冷やでした。
車を停める都度、いつ密告されるかと思うと。

実は、それまでの半年間のほぼ毎日、トラックを運転していました。京都⇔北摂間往復です。
運転手岸田さんは、直ぐに半眠状態になる持病で夢遊病のような蛇行運転。
その助手席では危なく、ハンドを取り上げ、無免許の私が運転していたのです。

お陰様で、教習所からは、成績優秀で表彰状を貰い卒業。

表彰対象者は3名で、最優秀が1名、優秀が2名なのです。

私より優秀な者がいると言うことは、私よりも長期間、無免許運転をしていたことになるのかも。



免許の交付を受けたのが、5月29日。
それから四日後の出町柳で、一時停止違反で赤紙。

(当時、違反は全て赤紙)
免停30日の一日講習。

それから一ヵ月後、スピード違反二回にセンターラインオーバー違反一回。
つまり、同時に、免停30日の赤紙を三枚もらいました。

講習は一週間に三回。
講習中に如何に上手に眠るかの技法を編み出しました。
その後、一カ月おきに講習を受けるのが習慣になってしまいました。

ようやく沈静化したのが、それまでの罰金合計が六万円になってからです。

昭和40年(1965)代早々の頃ですから、貨幣価値では少なくともこの十倍(60万円)はあったでしょう。

くだらん話しでした。

 

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心の履歴(78) 
ミイラ男の東映スタントマン
2023-07-04 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12810530110.html

 

 

心の履歴:20代編 目次
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