(前回記事)
心の履歴(76)
究極の味・ホルモン焼き
2023-07-01
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12809988642.html
(今回記事)
2008/06/07 著
2020/12/22掲載
1968年弥生3月、アルバイトで来たのが、京都大学文学部の卒業式を控えた小林君(仮称)。
私と同じ年齢という事もあり、度々、夜通し話し合いました。
彼は私と同じく西洞院のガレージの方に住んだのですが、ここには15歳と16歳のお手伝い二名がいました。
内、中学を卒業したばかりの15歳のよし子は本当に可愛いかったのです。
小林君は、このよし子や近くの喫茶店アスカ(下京区油小路五条下る)のファッション誌から抜け出してきたようなウエイトレスの洋子さん(19歳)と顔を合わせただけで真っ赤になるのです。
尚、洋子さんがウエイトレスになる契機は、アスカの店主が洋子さんの母親にお願いしたからでした。その母親と言うのは元芸妓でお妾さんでした。
洋子さんのイメージとしては井上和香のデビュー当時と結構似ています。だけどもうちょっと透き通るような清楚な色気でした。
彼女の友人の話によると、彼女の常時和服装いの奇麗なお母さんのいつもの口癖は、ファッション誌やTVを見ながら「洋子の方が遥かに美人」。それ程のレベルなのです。
☆
これだから就職試験の面接で落ちるのは当然です。
そしてそして、密かに想いを寄せていた同じ京大ゼミの女子に胸の内を伝える事無く・・・卒業式に涙したと言う。
京大を3月に卒業し、暫らく経ってからの春うららの或る日、彼は突然信州に行くと言うのです。
「社会を知らな過ぎた!修行する!」
と、リュックを背負って。
小さい時から無風の環境で育ちましたが、23歳になり、どうしようもない自己を初めて認識。
☆
彼を見送ってから半年後、彼から絵葉書が来ました。
更に半年後、今度は北海道から手紙が来ました。
なんとォ~~~!
夕張炭鉱で石炭堀をしているだとォ~!
同封写真は、地下数百㍍の坑道で、ヘルメットをかむり、石炭の粉塵で真っ黒な顔の小林君ら三名。
それから一年後、今度は網走から絵葉書が届きました。
網走で働いていると。
☆
後日談を述べますと、その後、私は、ここのアルバイトを辞め、彼とは音信不通となりました。
彼は手紙に住所を書かずに投函していましたから、こちらから連絡の仕様が無かったのです。
彼が東京・文京区のある単行本の大手出版会社に勤務しているのを知ったのは、陽春の午後、彼がリュックを背負い、はにかみながら京都を離れたあの日から十年後でした。
その時、彼の蒼(あお)き放浪の旅は既に終わっていて、良き伴侶と子供にも恵まれていました。
★★★
心の履歴(77-2)
運転免許での下らん事
!2023-07-03
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12810325548.html
心の履歴:20代編 目次
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12806473286.html
(画像)
井上和香
http://jiyuuniiki.seesaa.net/article/463351185.html
信州・地域プラットフォーム
https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/model_detail/25_naganoken.html
筑豊・最後の坑夫たち
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000012354.html
(夕張炭鉱の記事)
破綻した夕張市を他山の石へ
2013年10月03日
夕張市はかって石狩炭田の中心都市として栄えた。夕張メロンの産地などとして知られる。
炭田としては三井グループの北炭と三菱鉱業セメント(後の三菱マテリアル)の子会社であった三菱大夕張炭鉱などがあった。
全て国のエネルギー転換方針などのあおりにより、最終的には1990に閉山した。
https://coara.at.webry.info/201310/article_1.html
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