(前回記事)
心の履歴(75)
バーベキューは牛の頭一つで
2023-06-30
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12809984963.html
(今回記事)
2008/05/20 著
《京都駅前の焼肉屋》
何故に元京都屠殺場職員の鈴木君の話を前回にしたかと申しますと、彼のおかげで、生まれて初めて究極の美味しさを知ったからです。
1967年(昭和42年)前後のことです。
当時、私達が度々行っていた焼肉屋と言えば、徒歩7~8分の京都駅前京都タワーの東向い側の路地。
住所で言えば、塩小路烏丸上る東入る。店の間口が三間、奥行きが半間。つまり、カウンターでの客の座る椅子は道路になるのです。
ここで一番高かったのが「テール」(牛の尻尾にタレを漬けて焼いたもの)。
握りこぶし大で500円近くしたと記憶しています。
今の貨幣価値では5000円。
このまさに軒下の店が流行っていました。
煙ボウボウの汚い店ですが。
結構焼肉好きの者にとって有名のようでした。
遠くからもわざわざ来ていましたし。
でも、屠殺場の牛の頭でのバーベキューの話しの後、暫らくは、焼肉を食べる気にはなれませんでした。
《京都の究極のホルモン焼き屋さん》
或る日、鈴木君が、焼肉ホルモンの飛び切り美味い店に行こう!と言いました。
しつこさに負け,彼をマツダファミリアトラック助手席に乗せ、夕方、彼の道案内で西院の西小路四条に行きました。
四条通りから路地を上り、左折して突き当たりを右に曲がった住宅地の中でした。
当時のデルタ自動車四条教習所(当時は四条通、今は綾小路通りに移転)の北裏手だと記憶しています。
テーブルが二つにカウンター。
小さなホルモン焼き屋さんでした。
店は母親と娘の二人で切り回ししているのでしょう。
日本語は一切無し。
全てハングル。
緊張しました。
話している言葉の意味が皆目分かりません。
この店での私は異邦人でした。
何か話し声が聞こえるだけで、私の事を話しているのでは?とおののきました。
彼は焼けた白くぶよぶよで熱々のホルモンを私の皿に乗せる。それを味噌ダレに漬けて食べよと言うのです。
https://urala.jp/gourmet/shop/detail.php?id=8130
気持ちが悪かったです。牛の腸等食べた事が無かったですから。先ずその形がグロテスク! それに白い腸はウンコが通った所!
当時、京都で焼肉と言えば、予め漬けた肉を焼く南大門(四条河原町下る)でしたから。焼いてからタレに漬けて食べる習慣は無かったですから。
一種の恐怖感に襲われながらも、箸の先っちょにつまんで口に入れました。
ワハァ~~! 美味い!!
世の中にこんな美味いものがあったのか!
心では叫びたくなる程。
でも、ここの私は異邦人。
表情は顔だけにしました。
流石、元、京都屠殺場職員。
市内各ホルモン焼き屋に直接卸していますから、美味いところを知っている!
今では、スーパーでも売っている焼肉のタレですが、当時はそのような物は皆無。
1967年頃の話しですからね。
それに、秘伝の味噌ダレ。
更にキムチ。目がくらくらする程のニンニクの香り!
毒々しい赤!
それがまたコクがあり、何とも言えない奥の深い味!
その後のある日、女性を連れてこの店に入りました。
先ずは、怪訝(けげん)そうなお店の人達の私達への眼差し。彼女の垢抜けした容姿と服装は当に場違い。
店内の会話は依然と全てハングル。
彼女の顔はひきつっていました。
青ざめ気味。軽蔑の目で私を視る。
やがて、焼けたホルモンを汚らしそうにタレに漬けて、イヤイヤながら口に運ぶ。
とたん、満願の笑みで「美味しい!!!」
◆◆◆
但し、朝鮮民族はキムチを漬ける時、ウンコを入れる習慣があるなどとは露知らずでした。
朝鮮民族のような定期的に虫下しを飲む習慣のない日本人の私の場合、これから10年後の広島時代、私の尻からミミズのような数メートルのサナダムシが出てくるのです。
医者の嫌いな私は、妻に虫下しを買ってきてもらい、指定された量の3倍を服用しました。おかげさまで、サナダムシはそれ以降、出なくなりましたが、数年間は体調が何となく良く無いこととなりました。
数mのサナダムシが私の腸にいた
2020-04-29
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12593211687.html
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心の履歴(77-1)
或る青春:蒼(あお)の放浪
2023-07-02
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12645251663.html
心の履歴:20代編 目次
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12806473286.html
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