あの時誰にも話せなかった私の気持ち | 373

373

初めまして✨️373です

1型糖尿病、白血病を患って亡くなった母親の日記を見つけたので生きた証を残したいと、娘のわがままでブログを始めました。

まだまだ模索中ですので、温かい目で
見ていただけると幸いです



今から 約10年前…



中学2年生のとき 私は今まで仲良かった


何人かの仲良かった子にいじめられていました





いじめられていたというか 無視や陰口を


言われていました





急に始まった最悪の日々







きっかけは その当時結構仲良かった子が


私が何気なくしたことが嫌だったみたいで


それを他の子に話したら 私をハブっていく


お話に勝手になってしまったらしく


私の学校生活が灰色の景色になりました





その時には既に お母さんは入院していて


ICU(集中治療室)に入っている時でした





まだ話が出来ているときだったので


いつも学校の話や色んなことを話していたのに


気づかないうちに話さなくなっていたのかな?





お母さんから急に


「○○ちゃんとはまだ仲良くしてるの?


と聞かれた私は


「うん!仲良くしてるよ爆笑


と嘘をつきました
(これがお母さんにつく最後の嘘になります)





この時に話したことは鮮明に今でも覚えています





お母さんに何でも話せる仲ではあったんですが


病気で入院していて ICUはどんな人が


入る所か聞いていたので 分かっていたので


子供ながら今話すべきではないと


頭をフル回転していじめられている


とお母さんに言えなかった…





今思っても あの時にいじめがあったこと


言わなくて良かったと思っています


親に頼るという意味では


言うべきだったのかもやけど


それで たまたまであっても


病状が悪化してしまったら自分のせいに


してしまっていたかもしれないし


心配は今でもかけたくなかったので…





お母さんに心配をかけたくなかったので


いじめは続いていたんですが


学校にはしっかり行っていました


甘えられるところはどこにもなかったので


熱が出ただけで 1人でも行けたはずなのに


「どうしたらいいかわからない」


と泣きながらお母さんに電話をしていました泣き笑い


何であの時泣いてまで電話したかは


覚えてないけど寂しかったんだろうな


そうして電話越しに迷惑をかけていました


大人になってから日記か 誰かから


泣いて電話した話を聞いた時に


お母さんは寂しい思いをさせてしまっている


と考えこんでしまっていたみたいです
(ごめんね)






ですが そうして嘘をついて


1度だけ 熱が出て泣いてしまった


甘えた行動も 急に出来なくなってしまうんです





あまり覚えていないのですが


体は起きているんですが 目が遠いところに


向いていて 話しかけても返事が返ってこなく


なってしまったんです





自分の親のそんな姿を見て


あの時の気持ちはどの言葉にも当てはまらない


何とも言えない感情になりました





お母さんと話せなくなる少し前に


弱音を言うことがなかったお母さんから


「来れるときは病院に来てほしい」


と言うことを言われていました





お母さんが入院していた病院は


実家が田舎だったため中学生からすると


少し長い電車に乗り 降りてからも


結構な距離を歩いて行かなければ


行けなかったので少し億劫だな


と思ってしまっていました


プラス友達とも遊ぶことも優先していました





今思えば そんな言い訳並べず


会いに行け!!!!って思いますアセアセ





お母さんの病状もどんどん悪くなっていき


遂に目から黄疸も出て 目を瞑ったまま


目を覚まさなくなっていきました





気づいたときには 延命治療を


続けるかどうか 選択してくださいと


中学生の私にも問いかけられるくらい


悪くなっていました


親族や兄、ドナーの方も見つからず
(未成年はドナーになれない)


お母さんが生きていくには時間が


もうなかったんです





選択を迫られているみんなが

(・おじさん・お母さんの妹・兄)


「これ以上傷を増やしたり苦しい思いを


もうしてほしくない」


と言った様なことを言っていました





私は子供だったのでみんなの意見に


賛成して同じようなことを言いました





本当はあの時 そのまま続けてでも


お母さんは確かに苦しいかもしれないけど


お母さんの存在がなくなることの方が


私は嫌だと思っていたので延命治療してほしかった





そこからは亡くなるのを待つ?


感じだったのかな…?





いつ亡くなるかわからない状態だったので


お母さんのいとこのお家に(仲良くしてた)


何週間か泊まらせてもらい1時間くらいかけて


そこから中学校に通っていました





(亡くなった日を覚えてたくなくて)
お母さんが無くなった日を正確に


覚えてないんですが2月の中旬頃に


病院から電話が来たので


お母さんのいとこの奥さんに


病院に連れて行ってもらって


みんなでお母さんが亡くなったことを


確認しました





お母さんを担当してくれていた


看護師の方も泣いてくれていました





みんな泣いていたけど私は一滴も


涙が出ませんでした


「お母さん亡くなっちゃったんだ」 


「みんな泣いてるな」


冷たいかと思うかもですが


これしか感情がありませんでした





もっと泣けない理由があったんですが


兄が過呼吸(過呼吸持ちではない)に


なりながら号泣してたんです


それを見たらというか お兄ちゃんの方


みんな心配してって考えていたので


そのままのセリフを言ってお兄ちゃんを


冷静に心配していました


WANIMAさんの1106という
曲があるんですけど その中に
(おじいちゃんが亡くなられた曲)
『 ありふれた景色が変わった』と言う
歌詞があるんですが しばらくして
お母さんが亡くなったことをしっかりと
実感した時に 共感してジーンとなりました
大切な誰かを亡くした方に是非聴いて
見てほしい1曲です☺️




この行動がのちに大人のみんなを


心配させてしまうんですけどね…笑
(子供っぽくないから)





お母さんの死を確認したあとは


葬式をどうするか 私と兄をどうするか


そんな話が私が見えないところで話されます


聞こえない振りをしながら聞いていましたキョロキョロ





一度荷物や遺影を探したりしなきゃ


行けないことがあったので実家に戻り


戻ってる最中 私と兄の2人で帰ってたんですが


会話の1つもなかったんですが


チラッと兄を見ると ツーっと涙を


流していて 「あー本間にお母さん亡くなったんや」


とここで実感しだしていきます






私と兄が知る限りのお母さんの


仲良い人達や知り合いに


亡くなったことを2人で時間をかけてれ


電話して 泣いてくれる人もいれば


私たちを心配する言葉を掛けてくれる人も


いたりしてる中 何でこんなこと


経験しなあかんのやろと思っていました





ここでいじめがあった話に戻るんですが


お母さんの葬式の日に


私の友達のお母さんや 私の友達も


来ていた中で いじめていた人も来たんです


そしたら何て言ってきたと思いますか?





「大変やったの知らんくて


辛い思いをさせてしまってごめん」


といったようなことを言ってきたのです





うーん 大変な時じゃなかったら


いじめもいいんか?





というかお母さんの葬式でそんな


しょーもないこと言いに来んなって


思ったんですけどね


14歳でなかなか経験することのないことを


経験した私は少し大人になっていたので


私にも悪い所があったと思うし


だからいいよ 私もごめん」


と短い文ではあるが 許したくなかったけど


許す形をとったんです


いじめられたことより


 葬式にまで来て悪い事をした


自分を肯定する友達がゆるせなかったです


お母さんの葬式を謝る場所に使うなと





その後も許した自分も何か嫌になっちゃって


モヤモヤしてたんですが


友達のお母さんで 友達のお母さんとは


思えないほど良くしてくれる方がいて


仕事の都合で終わるギリギリのギリギリに


1人で来てくれたんです
(ギリギリのギリギリだったので誰も
人はいなくて 親族しかいませんでした)


その友達のお母さんはお母さんが亡くなった


私の気持ちを気にして来てくれました


だけど謝りに来た友達にモヤモヤしていたので


お母さんとは関係話をしたんです





そこで言われたのか自分で思ったことなのか


忘れてしまったんですが


お母さんが亡くなったことでいじめが


なくなったんですよね 悲しいことに


その時は気づいてなかったと思うんですけど


お母さんは最後に私に親として


子供を守るということをしてくれました


誰にも言えなかったことも


友達のお母さんに全部話して泣くことも


出来たし あの時の経験が


人間関係で大きな経験をしました






この話にオチはないんですが


ふと10年前のことを思い出して


書いてみました


多分瞬間瞬間にに書いていたら


もっとやばいこと書いてた気がするな泣き笑い





あの時は辛かったけど あの時の経験が


あるから今の私がいると思えば


何とかなりそう

あの時の私を救ってくれた阿部真央さんの
この曲も是非聴いてほしいです
何度も私の心を助けてもらいました
私の心の傷に強力な絆創膏を貼ってくれました







また 独り言であの時誰にも話せなかった


私の心の叫びをまた書くと思うので


ぜひお付き合いくださいウインク





ではまた口笛