8月と9月。 | 台風373号。

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井上みなみのブログです。

毎日毎晩祈るとしたら。答えはすぐ出てしまって、叶わないことがあるようで凹んだ。これが2年前だったら、「身の回りの人がなるべく幸せであるように」とか、「世界の争いが減るように」とか、そういうふんわりとした祈りだったんだろうと思う。

もし、祈りの力が「叶う」という部分にあるとしたら、もうきっと世界中の戦争はなくなって、疫病は消え去って、みんな思い通りの生活を送れている。祈りは、「叶」わない。叶うためにあるんじゃない。(と思う。)

祈りの力は「祈る」ことじたいにあるんだと思う。祈ること、祈ってみること、祈っておくことが、救いになるということなんだと想像する。シンプルにアウトプットなのかもしれない。沈黙のアウトプット。日記を書くとか、そういうことに近いような気もする。演劇が祈りだという人もいる。人によるよね。(最近座右の銘は「人による」なんじゃないかと思ってきたよ)

新明解さんに「祈り」について聞いたら、「自分の身の上にはよい事が、他人には悪い事が起こることを欲したのが原義」とあってびびった。

 

8月の終わり、「わたしこのまま死ぬのかな」の経験をした(コロナじゃないよ)。こう思ったのは人生で2回目で、1回目は10年前の東日本大震災。東京にいたけど、人生最大の揺れで、自宅に一人で、「こういうときに死ぬんだ…」って思った。もちろん死ななかった。今回だって死ななかったし、元気だし、死ぬようなことではなかった。でも、まじでほんとに毎日豊かに楽しく生きなきゃよねと思ったことでした。明日死ぬかもしれないから、は綺麗事じゃない。不思議なことに、「死ぬかも」って思った瞬間は、生き延びることじゃなくて人に言い残すことを考えた。

そうそうそれに始まって、運の悪い事が重なってかなりめげていた、けど、直後からぴょんぴょんとよい事がやってきて、なんだかほんとに漫画の展開みたいだった。これまで自分が信じてきたものや、積み重ねてきたものを、ちゃんと認めてもらえる機会があるというのはやっぱりめちゃくちゃ嬉しい。すべてすべてがうまくいくわけじゃないけど、目の前にある大切がいちばん大切ですよねって思う。

 

ここ5年くらい考え続けていた自分のことの答えのようなものを発見して、少しだけ世界がきらっとした、8月と9月。