1日目(2025/8/24(日)) その4
七里御浜→丸山千枚田→熊野・板屋九郎兵衛の里→入鹿温泉
おはようございます
昨日は1日だったのでおなじみの
丸亀製麺の釜揚げうどん半額の日なので、釜揚げうどん得(最大サイズ)をいただきましたと₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾
先月話したように冷ぶっかけも半額でしたが、その気分でなかったです 暑かったですが
ただ、久々に得サイズにしたら膨満感が半端なかったです 胃が小さくなったとしても体重は全く減らんのですがね
ということで三重遠征の続きです。
↓前回のお話はこちら
前回は七里御浜の道の駅の話までしました。
スポット 6 丸山千枚田
御浜町から内陸に入ってやってきたのは、熊野市紀和町にある丸山千枚田。9:30に到着しました。
日本の棚田百選の一つである、丸山千枚田。その名のとおり千枚を超える1340枚の棚田で構成されています。
この棚田の歴史は古く、関ヶ原の戦いの翌年の1601年には2240枚の棚田があったことが検地によってわかっていたようです。その後減反政策と後継者不足により平成初期には530枚にまで減ってしまいました。しかし地元住民がこの貴重な文化遺産を無くしてはならないと、丸山千枚田保存会を結成し、復興と保全を行ってきた結果、現在は上記のとおり1340枚の棚田となっています。後継者問題は今後も続くと思うのですがなんとか維持してもらいたい
なついろ
丸山千枚田の看板。上記の丸山千枚田保存会の結成時期につくられたようですね。
この風景がいつまでも続くといいのですが。
ここは国道311号から少し入ったやや狭い道沿いにあります。
スポット 7 道の駅熊野・板屋 九郎兵衛の里
10:00、丸山千枚田から比較的近くにある板屋・九郎兵衛の里の道の駅。
このあたりが旧紀和町の中心部のようです。紀和町は平成の大合併で熊野市と合併しましたが、合併時の人口が1700人に満たない小さな町でした。もともと鉱山で栄えましたが閉山してからは他と同様過疎化がすむ一方です。現在の熊野市の人口も14000人ほどで市全体が過疎化されているわけですがね。
前回書こうと思っていた熊野市について少し話すと、前回新宮の熊野速玉大社をスルーすると言った後熊野三山の話をしました。熊野三山は全て和歌山県にあるため、熊野という地名は三重和歌山に広がるわけです。三重県熊野市は当時この辺りにあった木本(きのもと)町などが合併して1954年にできた市で当時は当然ながら市名について和歌山側から反対の話があったようです。
また当時紀勢線にあった「紀伊木本駅」は熊野市発足に伴い改名されましたが、「熊野駅」だと三重和歌山にまたがる熊野地域の中心駅と取られると国鉄が判断して、「熊野市駅」となりました。
木本という名前は今年まで「三重県立木本高校」という高校名で残っていましたが、隣の御浜町にある紀南高校と今年(2025)4月に統合し、両校の校舎を残す熊野青藍高校に校名を改められました。とはいえ現在の2、3年生については卒業するまでは旧校名の木本高校、紀南高校のままとしているようです。記事のサムネにある校名が二つ並んでいるのがそれを物語っていますね
旧紀和町の中心部ですが、のどかな場所です。
370円以上と高かったがビタミンCが明らかに不足しているので、地元名産のみかんジュースを買って飲む。濃くて美味かったです
スポット 8 入鹿温泉
先ほどの道の駅から数分走ったところに、入鹿温泉ホテル瀞流荘(せいりゅうそう)があります。遠征で2泊する場合は鬼ヶ城にあった宿またはこちらに泊まるつもりでした。
10:20到着。
ここにはトロッコ列車があるのですが、この時は運休していました
6月くらいに訪問した栃木の足尾銅山のトンネルを思い出しました
このあたりは国民保養温泉地のようです。
近くを流れる北山川。
この川の向こう側は和歌山県で、その先すぐに奈良県に入ります。ここからは少し三重県を離れ、和歌山県と奈良県を走ります。
今回はここまで。