2日目(2024/7/7(日)) その3
奈良: 談山神社→石舞台古墳→飛鳥寺
おはようございます
↓前回のお話はこちら
今回は奈良の飛鳥地域(明日香村)を回った話です。修学旅行のときにここに向かった人もいたらしいですが、わたしは行きませんでした。それ以降も行く機会がなかったので今回が初めてです。
明日香村は初訪問です。前回話した談山神社からは車で10分も走らずに着きました。奈良県道15号とのとこですが、そういや松阪から伊勢奥津近くまで名松線に並行する道路は三重県道15号でした。
石舞台古墳を展望台より。ここは蘇我馬子が埋葬されていると言われています。
人がいなくなってからズームで。資料集とかで見たことはありますが、生で見るのは初めてでした。やはり写真では周りのイメージがわかりませんからね。前にもいいましたが山口岩国の錦帯橋の周りは、バーベキューをよくやっている東京の秋川渓谷と風景が似ていますからね
石舞台古墳の近くまで行くと300円取られるさっき上から見たし手前に車止めてきたので入らなくていいか
近くに駐車場があり無料で止められそうでしたが、手前の空いているところに止めてきてしまったので長時間止められませんし。
飛鳥寺。長い文章だが一度読んでおく。本当に遠路ようこそですよ
駐車場は別に人はいませんが、飛鳥寺を見れば30分はただと書いてあるので問題ないでしょう。
飛鳥寺に入ります。建物の内部にある大仏を見る場合、350円かかります。
飛鳥大仏。もちろん東大寺の大仏殿にあるものに比べれば相当こじんまりしています ただ、609年に建てられた最古の大仏のようです。
阿弥陀如来像。平安の藤原時代につくられたようです。さすがに金をふんだんに使っています。
聖徳太子孝養像。これは室町時代と少し後につくられたようです。
外を見る。
庭はこんな感じ。というかこんなところにポストがあるとは
来た方と反対側に出て、寺の方を振り返る。
田んぼにポツンとあるのが、蘇我入鹿(そがのいるか)の首塚です。645年に中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足に討ち取られてしまいました。それを知った父の蘇我蝦夷(そがのえみし)も館に火をつけ自害し、蘇我氏は一度滅びてしまいます。645年の大化の改新で「虫を殺して」と語呂合わせをしていますが、日本書紀とかでは蘇我氏を一方的に悪者にしているものの、蘇我氏が真っ当なことをやってきたという話もあるんですよね。先に述べた蘇我馬子が聖徳太子だったという説もあるくらい
紫陽花も暑さでくたびれている
この日も半端なく暑かったです
ということでここで一回切ります。
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