2019/7/22(月) その2
熊本: おっぱい岩(1回目)→富岡城跡→大江天主堂→﨑津集落→牛深
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前回はおっぱい岩(1回目)まで話しました。1回目と書いたのは、このあと2回目があるからです。お楽しみに。
苓北町にある富岡城跡に向かいます。
富岡城跡はこんな感じでよく整備されています。その1で島原の乱にて天草四郎が原城跡に構えたという話をしましたが、富岡城は寺沢広高によって建てられ幕府側の拠点とされ、天草四郎側の猛攻撃に耐えたとされます。島原の乱自体キリシタンの弾圧への抵抗だけでなく、寺沢広高の嫡子である寺沢堅高による重税も勃発原因とされています。そもそも天草の石高を過剰に申請していたために重税になったといい、現在のなにかに繋がりそうです。
島原の乱後、寺沢堅高は領土を没収され、のちに精神異常を来して自害してしまいます。また天草の領土自体が幕府の管轄地とされました。それを考えるとこんにちでも国が管轄しなければいけない地域が地方にある気がしますが、こちらも色々考えることがあります。
偉人の像が立っています。勝海舟の像もあります。
もちろんこの門は再建されています。
ビジターセンターがあります。富岡城の歴史や島原の乱に関する資料がありました。もう少しじっくり見たかった。
知名度はやや低いですが眺望がよく、訪問して損はないところです。城跡、ビジターセンター、駐車場、いずれも無料です。
妙見浦。ここも風光明媚なところです。
妙見浦のレヴォーグ。
大江天主堂。こちらは隠れキリシタンというか、明治になってから禁教が解けてから布教されたところのようですね。
よくある教会と変わりませんね。こちらの建物は1933年に建てられたので、昭和以降ですね。
入場無料だが、パンフを100円で購入。
今回のメインイベントの一つ、﨑津(さきつ)集落近くにある道の駅。平日だったので集落内まで車で行けましたが、休日はここに車を止めて集落に行く必要があります。
﨑津集落にある﨑津教会。ここは先程の大江天主堂とは異なり、隠れキリシタンによって布教が続けられたため、天草で唯一世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されています。建物内は撮影禁止でしたが、畳敷きになっておりなんか不思議な感覚になりました。
このときは自由に見ることができましたが、現在は事前予約が必要なようです。2024はどうするかね。見ていないのが行くんですが。
漁師町に教会があるのもなんかアンマッチですねw
杉ようかん。お菓子なのですがお菓子に見えないw
﨑津ペスカトーレのビラをもらったので、オヒルゴハンはここにしました。
建物は﨑津集落によくあるものと一緒ですが、店内は洋風になっています。
前菜₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾ あまり得意じゃない野菜ばかりだが(ヽ´ω`)
これは美味かった。
デザート₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾
締めの☕
昔のテレビはみんなこんなもんでした。
この店は店主1人で対応しているため、時間がかかります。余裕を持って利用したほうがいいでしょう。え?お前二言目に時間がないと言っているじゃないかですって?ごもっとも。ただこのときはおっぱい岩のリベンジに時間が必要だったんです。
対岸から﨑津集落を望む。やはり教会が場所違いに見えるのがいいですね。
と、ここでレヴォーグにトラブルが。シガーソケットに刺しているレーダー探知機や温度計が表示されなくなりました。幸いレヴォーグにはグローブボックス内にもう一つソケットがありそこに繋いで難を逃れました。結果的にヒューズが飛んだだけだったんですが。
天草下島南部にある牛深の道の駅。この近くから鹿児島の長島へのフェリーが出ています。先程乗った島鉄フェリーとセットで天草経由で鹿児島長崎を移動できます。
ハイヤ大橋の下。なんか芸術的な橋ですね。
それでは、北上しておっぱい岩のリベンジに向かいます。
今回はここまで。
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