また色々混ざるんですけど、インフルエンザ初体験ですが、中々キツイですね。狭い我が家で当然純も次の日感染、インフルエンザの館にようこそ状態。(実際先程年に2回の消防査察にぶち当たり、窓全開にしてお迎え)


最近の私の気になるワードは、

「大好きだよ」

母父より娘息子へ、

何かあると、なくても、抱きしめて、

「大好きだよ」

と言う。と言う。

初めて聞いた読んだ時は何とも思わなかったが、何故か最近気に触る、すみません。

泣いてたら、「大好きだよ」と抱きしめる。

笑ってても、「大好きだよ」と抱きしめる。


おかげで?その様な家庭では、子供達も当然真似するので、お誕生日をはじめ様々な場面のお手紙に、父母、特に母親宛に「ママ大好きだよ」と記す。

他にボキャブラリー無くなる危険があると思うのですよね。日本人なんで、と言うと語弊があるかもだが、もっと深い言葉、様々なのあるはずなので、欧米の歴史ある親子アイラブユーとは意味が違うというか。

ただもし、予想外な事態が起きたらキチンと、

「大嫌いだよ」

とするならまだ分かるのだが。すごいボキャブラリーの無さだが。


気分を害した人が居たらすみませんが、わたくしのブログは今や毒舌慣れした人しか読みに来ないと思うので良かろう。(何様なのだ)


そう、母の面倒を二泊三日したのだが、

味覚が鈍感になり、話す人も居ない、そもそも末期癌だし肺苦しいしで食欲が無く、メイバランスとリポDしか摂らない、ヘルパーの作る食事は味が分からず食べられない、時々近所の仲良しが作るお稲荷さんなら一口、的に聞いていた。


私はビールさえ飲めればなんでも出来る、な感じで来た。

ヘルパーが部屋を完璧に綺麗にしてくれていた。

到着の夜は白菜鍋の素があったので、野菜と煮てシチュー皿で出してみたが、箸は進まない。

次の朝、ロールパンとコーヒー、恐ろしい程食わない。

それこそ「大嫌いだよ♡」と言いたくなるが、

野菜は台所の大きなカゴにいっぱいあったので、それを使い何品か作りながら、ふと、小皿に分けたらどうか、と。


①きゅうり、ミョウガ、大葉を細切りして冷蔵庫にあった柚ポン酢と醤油で味付け。(夏か?)

②山芋発見、トロロを作り冷蔵庫にあった麺つゆと醤油で味付け。


それをまずサラダから、刺身小皿に盛って差し出したら、ポリポリ食べ出すじゃないですか‼️

さりげなく、お代わりは?と聞くと食べると言う。

作戦成功だ。

次に、漬け物などを出す皿に、ご飯をスプーン二杯にトロロをかけて、海苔を乗せて出したら、美味しいと食べた。(しかし余りの小皿ぶりに既に御供え物みたいになるの図は避けられなかったが)

これは、漫画『美味しんぼ』で読んだ、ツワリに悩む妊婦が克服した一つの方法だ。


次の日の朝はその3倍は食べ(同じメニューニヤニヤ)、「こんなに食べたのは退院して初めて」と母。

嘘かホントか分からずも、嬉しそうだったし、便通もあり私も嬉しかった。

次にまだまだある野菜、じゃがいもを茹でてバター塩でじゃがバターミニカップ、じゃがいも皮付き輪切りをハムと炒めジャーマンポテトミニカップとまさかのダブルじゃがいもを、喜んで食っていた。


ところがこの様な、喜ばしい瞬間に、

「大好きだよ」

なんて言われたらどうします?速攻帰りますよね。。。




なんだかんだ色々あり。。

私の知らない所で妹と、その例の従姉妹と取り決めがあったらしい。契約書とか誓約書とかじゃない口約束で、

緩和ケアを退院出来たのは、医師からの勧めや指示じゃなく、同居する親族が居れば、訪問看護師とヘルパーを付ければ可能、

なだけだった。

これは、がんセンターの普通病院からもう治療不可能となる時、自宅に戻るか緩和ケア病棟に移るか、の際、

その頃は私が病院付き添いや説明を聞いていて、自宅は100%無理、緩和ケア病棟でお願いします、出来るだけ大部屋で、と言い切ったモノであります。非情ですが、姉妹共同居無理だからです。今すぐ決めずに、親族で話し合ってください、とは言われたが気持ちは変わらないだろうと思っていた。


その後、『母の世話はしない事にしました』にも買いたが『母の世話はしない事にしました』肺癌と膵臓癌のダブルが発覚し、母のワガママで25年近く前、嫁ぎ先の東京から自分の実家に父までも連れて帰った、遠い土地、県立ガンセンターで、もう手術や抗がん剤な…リンクameblo.jp

私が投げ出した為妹が始めた。

緩和ケア病棟の前に、自宅に帰したい。。そして、

これに至り従姉妹は無理だとわかり、しかし退院を延期しただけで結局、3週間程妹が同居出来た。そして呼吸がし辛くなり、緩和に入院。私も病室に泊まる頃管が抜け始め元気に。


その直後に妹から退院の知らせが来たわけだが、一番上に戻り、

従姉妹が無理なのは知っていたはずなのに、まぁこの従姉妹も従姉妹で、懲りずに自分から、

「伯母さんを退院させたい、私頑張る‼️」と自ら志願し、途中の外来も退院条件だったがそれも快諾、泊まり込みで面倒を見てくれるとの事で、妹は退院を決断したと後から聞いた。


母は実家の近くに建てた、当時別荘として使っていた家に父定年後移り住んだ為、周りには甥姪外嫁2人存命だが、私達姉妹からするとちょっとした旅行の距離と交通費になる。更に私は車が無いし、妹は車が有るが旦那の運転じゃないと来れない。

前回で従姉妹は無理、と知ったのに、やはり家で過ごさせたいと突っ走った妹。いや、彼女のその気持ち程大事なモノは無いのだが、結局、次第にに従姉妹から毎日愚痴の電話が増え、腹が立ち始めたらしい。

母もあの母なんで、更に従姉妹を怒らせ、一番大事な途中外来(本人の状態報告と薬を貰う)を、体調不良で断られる。

これは、もし私たちが自分の家から行くなら、診察券やら保険証はこの母家にあるので、自宅より電車で新宿や池袋、から電車で約2時間、在来線で30分、駅からタクシー1900円、家に着き診察券受け取る、駅までタクシー、在来線30分(1時間に2本)、がんセンターまでバス25分、診察、駅までバス25分、在来線30分、タクシーで帰宅、

となる。(ちなみにお金出せばヘルパーも使えるが、この距離だと無理なのだ、この辺に住んでるヘルパーさえそうなのだ)

薬一袋ですよ…?

いや薬大事だけど、自分達の住む環境から考えたら、もうハッキリ言うとあり得ない!

なんで従姉妹がピュッと車で行ってくれるはずだった。

その日は16日月曜日。


私はなんだかんだ、13日から2泊予定で面倒を見に来ていた。訪問看護師から薬が無いと困ると急かされる。

母と共に、行ってくれる親戚を探して電話しまくる。色々取り決めした妹になんとかしてもらいたいが、楽しみにしてた温泉旅行中で歯切れ悪し。

1人従兄弟にようやく漕ぎ着けるが、でも娘達は?と嫌味風で。まあ当然だが、2人共無理なんでなんとかお願い、謝礼もガソリン代も勿論、と決まった。


同居や色々を親戚に頼むのはやはりオカシイのだ、無理なのだ。妹よ母よ。。


私はその時母家に居たわけだから、予定よりもう一泊し、月曜日パート休んで、がんセンターまで上記の方法で行こうと思えば行けたかもしれない。

しかし、私は断固としてそれを選ばなかった。


そして、寒い、北関東なんでさすがに寒い、母は電気毛布とアンカ入りのベッドだから暑いくらいだが、こちらは慣れない家で寒い。

買い物は、自転車。コンビニが徒歩40分の為。

寒い。

次の朝日曜日、咳から始まる。熱は微熱。何年も風邪を引いてないが、声がダミ声に、これはヤバいかも。

母にうつしたらアウトであるから、本来なら夜まで予定だが、マスクをし、昼過ぎまでいておいとました。

無事帰宅して、次の朝38度超えたので、近所の病院へ。徒歩5分内にいくつも内科がある。なんて幸せなんだ、田舎にゃ住めねーよ、思いながら診察してもらった。  


「インフルエンザA型です🤗」


嘘❗️


この日は月曜日。もし日曜日も一泊して薬取り戻りしてたら一体どうなってたんだろうか。。。




長文すみませんでした。

次は、そんなん言いながらも行って良かったと思った編です知らんぷり


悲報


早く死んで欲しいリストに載る


今日昼、母から電話があった。

近所に住む従姉妹が、半同居してくれていると、妹から聞いていた。

その有り難さを忘れ、横で彼女が聞いてるのに、


「他に助っ人はいないの⁉️」

が、第一声だった。

助っ人って言葉も死語過ぎ。


ここでリスト入り決定。






松竹BSで『配達されない三通の手紙』録画観、感想書きたいけど、誰も観てなそうで。。。。

こんなブログ件名にして目を引いてみたデレデレ





引用ですみません。↓


配達されない三通の手紙」のストーリー

唐沢家は代々町の名家で、すみ江夫人との間に、麗子、紀子、恵子の美しい三姉妹がいる。次女の紀子は父の銀行に勤める藤村と結婚することになっていたが、藤村が結婚寸前に失踪し、三年間行方不明になり、その後、紀子は自室にこもり、魂のぬけたような生活をしていた。ある日、紀子の恋人、藤村が突然帰ってきた。家族は拒絶するが若い二人は抱き合い、結婚することになり、紀子に笑いがもどった。数日後、藤村の妹、智子が萩の町にやってきた。しばらくして、紀子は藤村の本の間にあった三通の封筒を見てハッとなった。それらは藤村の筆跡で、智子に宛てられていた。八月十一日付の手紙は、彼の妻が病気になった知らせ、八月二十日付の第二の手紙は妻の重態、九月一日付の第三の手紙は妻の死を伝えていた。第一の手紙の日、八月十一日がやってきた。唐沢家は恒例の土曜会が開かれ、その日、藤村の注いだワインを飲んだ紀子は嘔吐する。第二の手紙の日、八月二十日、紀子の飲んだコーヒーに砒素が仕込まれており、彼女はそれに気づいて解毒剤を飲んだ。九月一日、第三の手紙の日、藤村の誕生日が催された。藤村の作ったウィスキーを紀子が飲もうとすると、酔った智子がそれを横取りして飲んでしまった。智子はその場で死んでしまう。警察がやってきて、グラスから砒素が発見され、犯行は明らかに藤村の仕業と見なされた。三通の手紙も発見され、藤村は逮捕される。事件は解決されたかに見えたが、藤村の空白の三年間が判明して事件は意外な方向へ。紀子は自分を棄てた三年間、智子と同棲していた藤本への復讐として、手紙通り毒を飲んで藤本を殺人犯に仕立てようとしたのだ。しかし、それを偶然、実の妹と称していた昔の愛人・智子が飲んでしまい死んでしまったのだ。

続く。

この智子役が松坂慶子。北海道から山口県まで栗原小巻の新婚旦那藤村(一番上の画像の右から2番目)を追っかけて来た、現代で言うとストーカー、女ストーカーである。しかも悪質、彼の実妹を装って来た。


3年前、このストーカーをなんとかしたくて、旦那は頑張っていた。殺すつもりで、三通の手紙をアリバイ工作の為に書いた。しかし結婚後に妻紀子役栗原小巻に手紙が見つかってしまう。

栗原小巻は自分を殺そうとしている旦那とその妹にぶち切れ、逆に殺そうとする。


一番は、殺そうと思っていたのは、妻栗原小巻ではなく、妹のフリして近づいて来た松坂慶子だったという話。

二番は、もう栗原小巻と結婚出来たのに、その手紙を捨てなかった馬鹿っぷり、、笑い泣きあ、ごめんなさい、男の人ってそういう所があるとか無いとか。


手紙に、何月何日は書いてあっても何故、年が書いてないのか、年を書かないと説得力、アリバイとしての説得力が無いのではと、ワタスも引っかかった。


↑小川真由美の様な女が、ワタスの目標です


松坂慶子もホントに凄かった。

栗原小巻は、言うまでもなく。

皆、汚れ役とか思いきりが凄すぎる。

今の女優とか言われる芸能人達は、ホントつまらないし、こういう方達を日本の女優と呼んでいいのだろうか。


でも現代は、

「言ってはいけない事とか、決められていて、可哀想」とか、

自分庶民と同目線で庶民から言われたりする。

今、何にも全てにもここの所境界線が無い気がする。


で、

ようやく件名ですが、

美人に生まれたならの、生き方必須条件なんですが、


性格が悪くないといけません。

性格の良い美人は、美人資格無し。

性格の良い、と言うのは、個人的になるが、つまらないと言う事ですッ❗️ニヤニヤ



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病院売店店員です。

今までリアル医療従事者からこの様な話を聞いた事はなく、厚労省からの報告すらも全部SNSや、マイブログ読者さんからのみだったのだが、

今の職場で、話されてるの今日初めてリアルで聞いた。

話のキッカケは、

インフルワクチン打った?大丈夫だよね?皆んな、予約した?3000円代後半くらいみたい、会社からは援助?出ない、でもやっぱ打ったほうが良いよね、

と言う感じの店長からのお呼びかけからだった。


ちなみに自分前会社では、インフルは病院からなのか会社か両方からなのか、わからないがタダで打てた。2013年仕事始めた最初の3年は打った。それ以降は打っていない。

今の会社は前から自費らしい。

コロナワクチンは当時全部無料。


なんて話を聞いていたら、

パートA64歳「コロナワクチンは危険、神経とか血管とかに」


パートB56歳「帯状疱疹の痛みで困っている。入院はしなくて済んだが、薬をマメに塗らなきゃいけない、病院通いもしょっちゅうになり、小さな子供にはあまり近づかない様に、と言われている。(弱い者に遷さない為か?病院勤めは大丈夫なのだろうか)」


店長54歳「新年に知り合い一人死んでる」


でもインフルは生ワクチンだから?ほとんど危険性が言われてないからか?

皆割合積極的に受ける空気です。以上。