縁あって8月6日にマツダスタジアムにプロ野球を観に行った。
その日は、広島にとって原爆記念日であり、以前なら御霊に慰霊を捧げる日として広島での野球開催はあり得なかった。
カープ球団は「ピースナイター」と銘打って塩梅よく試合をすることに恵まれた。
私たちが本当に恵まれていたのは、
苦し紛れに「ピースナイター」と試合開催をイベントにしたおかげで
いつも試合観戦そっちのけで、
無理やり観衆を盛り上げようとする
笛や太鼓の、所謂、鳴り物が行われなかったからだ。
プロ野球で「鳴り物」が始まったのは、奇しくも昭和50年、1975年の広島カープの応援団が始まりだ。
その年、中学生になったばかりの私はカープ史上まれにみる快進撃に心を躍らせ、笛や太鼓で勢いをつける応援団の新鮮さと、それに応える赤ヘル打線に心を奪い取られていったものだ。
その後のカープは何度かの黄金期を迎えては弱体化し、いまでは球団経営を最優先してしまう哀しい球団に成り下がってしまった。
陥落のない大関が大手を振って試合をしているようなチームである。
勢いをそがれた、
いや、勝つことを必ずしも求められていないチームを直視したくないかのような狂気の応援風景はますます哀しい。
そして、一部のファンはいつしか
マツダスタジアムという舞台でショーを観にくるだけの集団となった。
狂喜乱舞の笛、太鼓。
いまの若者は、「投球の間合い」を愉しむということを知らない。
次はどんなボールを投げようとしているのか
バッターは何を待ってるのか
このカウントで何をベンチはし掛けたらいいのか
このシーズンに
この打席に自分の野球人生が
かかっている選手もいるのだ。
そんなことを考える前に
大声を張り上げたり
スクワットをしたりして
ただただエネルギーを発散させることにのみ充実感を覚える。
いきおい、
グッズは売れ
そこそこの選手でもスポットを当て
またグッズは売れて行く。
チームの成績低迷で入場者数が減ってもグッズ売り上げがカバーしてくれる。
そんなショーを観に行く人間だけが
チームの低迷を許して騒ぐ。
チームを思うなら
スタジアムに行かないのも
時には大事なことだ。
鳴り物のないその日のスタジアムは、
実に野球を愉しめた。
マエケンの投球術を
「間合い」で愉しめた。
大人のファンに支えられなくて
どうして球団が大人になれようか。