先日、
ミムラの企画の取材で
岡山県の日生市を通ってきました。



ここはどうやら新鮮な魚介類の中でも
カキが町おこしのごとく燃えていて
町中がカキカキだらけである。




特に、「カキオコ」と呼ばれる
カキを入れたお好み焼きは
小さな町のあちこちにカキオコののぼりが氾濫ひしめく様相で町の景観を圧倒している。



ちょうどお昼時だったので
薄ら笑いを浮かべながら



それではひとつお手並みなど拝見しますか。お好み焼きにカキを入れたくらいで大の大人が騒ぐんじゃありません。



今日は平日のお昼前ですからな、店がやってるかどうかも怪しいもんですなぁ。

町おこしもやり方を間違えると
悲惨なことになりますからのぉ。




などと余裕をかましながらフラフラと


ネット検索で人気一番の「タマちゃん」の駐車場に着いて「タマげた」。


お昼にわずか前なのに、三カ所ある(笑)駐車場がいっぱいでになりつつあるのだ。




で、
店に行くと
順番待ちの部屋はあるは、
記入して待ちなさいとか


もう飛んでもないことに
なっておるのだ。




カキオコ、
おそるべし。



しかし、
その後に立ち寄った
漁港市場では

カキカキブームに
便乗して


カキフライソフトクリームだと。

photo:01





おいおいおい、
おばちゃん!
誰が食べるんだ
そんなものを。



と見てたら




旅行者が注文してたので


写真だけ撮らせてもらった。

photo:02






感想を聞くと


「イマイチ」



そんなもん、
分かったことだろが(笑)

僕の中でずっとずっと
違和感あることがある。



服装に緊張感と
大人のお洒落が
日本から消えつつある。


ことの始まりは夏場の
「クールビズ」だ。


ここから男はだらしなくなっていった。


ある銀行さんは
来年から試験的に年中をノーネクタイで試験的にいくらしい。


なにもかにも「カジュアル」という言葉に押し込んで大人の身だしなみの緊張感を奪って行く。


乱暴を覚悟で言えば、
銀行員にカジュアルでの緊張感を求めるのは無理な話だ。


毎日、ポケットチーフの選択でもあれば大したものだがそれは気の毒な話であろう。




ある年にウチの社員から


制服ヲ止メテ
社員ガ カジュアルナ服ニ
シテモヨロシイカ


と問い合わせがあった。
その時の私の答えは明快だ。




可ナリ。
タダシ、


一つ、
カジュアルと普段着の違いを少なくともわきまえていられること。


一つ、
男性がスーツの下に身につけるシャツは、カジュアルなデザインであるのであって、ただネクタイを外したとしか思えないシャツは不可のこと。


これには、オシャレに働きたいと最初は思ったもののすぐにギブアップしてしまった。





なにも私は制服を着ろ
と言ったのではない。


制服やネクタイを身につけない以上
服には苦労することは当たり前なのである。


大人の服装に
どんどん緊張感がなくなっているのが
日本の国である。


昔は「よそ行き」という服があった。
粋な人はどこだろうが一歩外に出るとなれば「よそ」に行く気概があった。




外国などは
普段のカジュアルでも緊張感があったり、日頃は野暮ったいやつでも
「社会的」な場には間違いのない服装でくるものだ。


往々にして
それが日本人の場合には
同じスーツだったりするが。





カジュアルが
どんどん日本人から
緊張感と文化を奪って行く。




いくら服には緊張感が見えても
生き方に緊張感のない奴も
いるが☟
photo:01


どうせ生きいくなら
なんで物ごとをいつも肯定的に
楽しく考えていかないんだろうか。


いや、
みなさんもです(笑)


どうなるか分からないことも
いつも肯定的に根っから考えてない。


私たちは
いつも恐怖から動いている。


真面目な人ほど
そうかも知れない。


責任ある立場になれば
なるほど


どこか恐怖に
突き動かされている。



過去の恐怖に
これからの不安に。


根っこを探れば
自分の意識にない
こんなことまでもか



と言ったことまでもが
深層的には
恐怖からだったりする。



ぼくらは
いつも恐怖からの根っこに
支配されやすいことに気づく。



一日60万回の思考の
70~80%はネガティブなことを
考えていると言われる。


てんつくマンの言葉が秀逸だ。




「心配するな。

いつかは死ぬんだ」


そうそう(笑)

photo:01



昨晩は、
神戸GGカレーの
山村社長と三十年ぶりに逢いました。


Facebookで僕を見つけてくださり

「おお、真ちゃんやないか!」



ということになり、お隣の尾道の福屋百貨店にお仕事にいらっしゃる機会に福山に寄ってくださったのです。



元気かぁ、ヌフヌフヌフ。


と笑いながら握手。




この方、その昔に
アメリカで宝石の鑑定士の資格を取られてまして、その鑑定士の肩書をGGと呼ぶことからご自分のカレーに命名されたのです。


で、



イラストにはご自身のヒゲの顔を採用。




そのカレーは、
お値段としても決して安くはない



百貨店でしかなかなかお目にかかれないカレーですが、かなりこだわって作られたカレーです。


photo:01





何に一番こだわったか
というのが面白い。



「出来るだけ個性を出さずに
年配の人でも気持ち良くおいしく
全部召し上がってくださる」

カレーなんだそうだ。





この「個性的な味にならないように」



というのが難しかったらしく(笑)



そんなものを作る方が
よほど易しいことなんだ



と「苦労」の話を(笑)
聞いたのです。


なんともおかしくて(笑)




どうもいまの日本の風潮として
「ヘンにこだわりの味」を言い過ぎて


普遍的な日本の
スタンダードなカレーが
忘れられているんではないか、と。


それが山村社長のこの会社の
信念。




そして、
野菜を入れてつくるのですが


野菜には旬とそうでない季節が
当然あるわけで


それを
いつの時でも同じ味にするのが
難しいんだそうです。




かなりの大きな釜でつくるので
一度に作ると3000箱分。


試行錯誤のスタート時には
納得する味になかなかならずに


それを捨ててしまうこともあり
そのこだわりは凄まじい。


ぜひとも
ホームページから取り扱いの
百貨店を見つけて
応援してあげてほしい


素敵な社長と
素敵なカレーなのだ。


http://www.kobegg.co.jp/products.html


photo:02










この前、
土をこねてお皿を焼いてもらったのです。




粘土そのままみたいな土のかたまりを
自分でこねては伸ばしお皿を作る。



本当は自分で打った蕎麦を盛るお皿を作るつもりで始めたわけだが、どんどん怪しいイメージが首をもたげ出す。



シンプルにするはずが
なんでかこんなことになる(笑)


photo:01




まだ焼く前の姿だが(笑)




それを見て一緒にこねていた友人が


「いつも僕らはやり過ぎて失敗するんだよなぁ(笑)」



そうそう、
とこっちも苦笑い。





でも、
ふと考えてみると

人には
やり過ぎてもやったことに満足する人と



つい自分が一歩踏み出せないで
物足りなさが染み付いている人と
ふた種類いるようだ。



日本人は
「過ぎたるは及ばざるが如し」




という論語を気高く押し頂いて
金科玉条のごとく価値観の象徴としている。




要するに、

「過ぎるぐらいなら
及ばない方がいい」


というそれだ。



しかし、よくよく冷静にこの言葉を読んでみると




過ぎてしまえば
及ばないことと同じことだ。



と、どちらをも同格に扱っているではないか。これを過ぎたるは間違いだと解説しているのは日本人独特の人生観であるように思えて仕方なくはないか。



要するに、中庸の大事さを説いてる話がいつの間にか変わってきている。




中庸や
手前で終わる素晴らしいさを人生の中で具現化できる人はそうは簡単にはいない。

かなりの達人だ。




手前で終われる感性は難しい。
だいたいが物足りなさや未練を持った終わり方であることの方が多い。



しかし、
その物足りなさや未練さを
自分で正当化して納得するために
いつの間にか



過ぎたるは及ばざるが如し




などという勝手な解釈にしてしまうのだ。



残念ながら
中庸の感性と到達度をなかなか
人生のバランスとして経験することは滅多にないし、身につくことがない。


ついつい
おとなしく控えめにしてしまう人こそ


及ばさると
過ぎたるは


同じレベルであるということを
もう一度考えて


人に迷惑がかからないのであれば
やり過ぎてみてはどうだろうか。


及ばざる
及ばざる


ばかりでは


人生がもったいない。