「音痴」にもいろいろあるのだが、
私が閉口するのことのもうひとつが
「騒音音痴」
である。
どういうことかというと、
会議中に隣の人と
-本人は小声のつもりで-喋る人。
大勢に影響ないつもりだろうし、
本人は至って真面目な話をしているつもりらしいが、会議中にコソコソと隣と喋る。
周りの人からは気になって仕方ない。
そこに気づかない。
何がいけないんだ、と。
そういう御仁に限って、
携帯電話がなるとその場で出てしまう。
もちろん、本人のみは小さな声で喋っているつもりなのだが、
またここで「大勢には影響ない」という音痴さが顔を出すのである。
不思議なことに、
女性が会議中に隣の人と喋る様子にあまり出くわすことはない。
これは、女性が一つのことにしか気持ちが集中できないという素晴らしさなのか
そのあたりの「音」に対する注意力が繊細なのかもしれない。
しかし、
これが複数でのお喋りとなると、
女性は圧倒的に、いや男性も我を忘れて大きな声で話し出す。
この空間はどれぐらいの広さで、
かつ周りには誰がいるのかいないのか、まったく関係なくなる。
これは昨日書いた
「空間音痴」と「騒音音痴」の
複合技なのである。
では、他人がそうだと許すのか、
というと
中国人あたりが大きな声で周り構わず話していると、これがムッとしたりしている。
自分たちが世界の中心、
というのが国の名前であるからにして
これほど几帳面に生きているのも素晴らしいが、そこはあくまでも「自分」なのだ。
「周り」という空間があってこそ
「自分」という中心がある。
空間に対する音痴さ。
騒音に対する音痴さは、
これから益々やっかいになりそうだ。
だから私もJAZZだけは、
周り委細、
いっこうに構わずであるのだろうか。












