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ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症の愛娘の子育てと、シンガーソングライターとしての音楽活動を楽しんでいます。
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最近、

「家族について書く」

ということが

SNSで話題になっていた。

詳細はよく知らない。

でもその話題を見て、

あたしは少し立ち止まった。

 

 

なぜなら、

あたしも家族を書く人間だからだ。

 

 

ダウン症のある娘。

指定難病の父。

認知症だった母。

介護。

ダブルケア。

書こうと思えば

いくらでも書ける。

だからこそ

ふと考えた。

 

 

あたしは何のために

家族を書くのだろう。

 

 

家族だからといって

何を書いてもいいわけじゃない。

本当のことだからといって、

何を書いてもいいわけでもない。

 

 

プライバシー。

尊厳。

書く側には責任がある。

 

 

そんなことを考えていた時

ふと思い出した。

天国の母の言葉だ。

 

 

母はよく言っていた。

 

「自分が見ていないことは書くな」

「よそさまのことは書くな」

「人を傷つけることは書くな」

 

そして一番言っていたのは

 

「人を評価するな」

 

だった。

 

 

未来なんてわからない。

その人の人生は

その人が死ぬまで完成しない。

今、善人に見える人が

明日犯罪を犯すかもしれない。

今、極悪人に見える人が

最後に誰かを救うかもしれない。

だから簡単に人を裁くな、と。

 

 

その代わり。

自分が身を切ったこと。

自分が見たこと。

感じたこと。

それは宝物だから書きなさい。

 

 

人間ってね

本当に経験したことしか

本当の意味では語れない。

名言や正論は

世の中にいくらでもある。

でもね、

誰かが泣いて、

悩んで、

考えて、

それでも前を向こうとして

やっと見つけた言葉には、

重さがあるってもんだよ。

そういう言葉じゃないと

聞いてる方は

腹落ちしないんだよ。

だからお姉ちゃんの経験は

辛さや苦しみだけじゃない。

宝物でもあるんだよ。

 

 

そして

それを書くことで

誰かの役に立つなら。

誰かの心を温めるなら。

やさしい風を起こせるなら。

 

 

「お姉ちゃん。

 書きなよ。

 あんたは書ける子なんだから。」

 

今のあたしには

これが遺言に聞こえる。

こんなふうにな。

 

 

書いていい。

でも考えろ。

 

 

誰かを傷つけないか。

本当に見たことか。

思い込みじゃないか。

今の感情だけで

誰かを断罪していないか。

考えろ。

でも‥‥

 

 

考え抜いたなら

今度は逃げるな。

書け。

口から出た言葉。

ペンから出た言葉。

歌った言葉。

全部。

自分から出たものには

責任を持て。

 

 

天国のママの声で

今もこの耳に再生されてる。

 

 

もちろん

すべての人に

伝わる文章なんてない。

すべての人が

共感する文章もない。

そして

誰一人傷つかない文章なんて

きっと存在しない。

 

 

車に乗る人は

自転車が邪魔だと思うかもしれない。

自転車に乗る人は

車が怖いと思うかもしれない。

人は立つ場所によって

見える景色が違う。

だから

全員が納得する文章なんて

たぶん書けない。

 

 

でも、

だから考える。

配慮する。

そして、

自分が信じた言葉を書く。

 

 

あたしは完璧を目指さない。

その代わり、

考える。

配慮する。

悩む。

そして書く。

これからも、

その繰り返しなんだと思う。

 

 

 

でもまだ掘り足りないぞ。

もっと深いところに

答えがある気がする。

そんなことを考えながら

改めて自分に問いかけた。

あたしは何のために

家族を書くのだろう?

 

 

 

正直

あたしは今でも悩む。

家族とも話す。

 

「これは書いていい?」

 

と確認することもある。

消した記事もある。

ぼかした話もある。

書きかけてやめたこともある。

だから今日もまた

立ち止まった。

そして気づいた。

 

 

あたしは

家族を書いているようで

本当は違うのかもしれない、と。

 

 

認知症を

書いているんじゃない。

認知症になっても

孫の服を直したかった母を書いている。

 

 

ダウン症を

書いているんじゃない。

四年かけて

いちごのヘタを取れるようになった

娘のあーちゃんを書いている。

 

 

介護を

書いているんじゃない。

父の病状を説明するために

医師へ3分間のプレゼンを用意する

患者家族の知恵を書いている。

 

 

病名じゃない。

制度でもない。

人なんだ。

あたしは

家族を書いているのではない。

家族と生きたから見えた

景色を書いているんだな。

そのことに自分自身が気づいた。

 

 

 

そして

そこまで考えた時

ようやく答えが見えた。

あたしは何のために書くのか?

 

 

たぶん

人は誰かを忘れたくなくて書く。

母がいた。

父がいる。

あーちゃんがいる。

そして、

昔のあたしもいた。

たくさんの思い出がある。

なかったことにはしたくない。

忘れたくない。

だから書くんだ。

 

 

 

文章は

過去に戻ることはできない。

人生をやり直すこともできない。

でも、

残すことはできる。

あの日の言葉も。

笑い声も。

景色も。

温度も。

生きてきた証も。

 

 

 

ねえ?

あなたにもいませんか。

なかったことにしたくない人。

大切な友達。

愛する子ども。

お世話になった恩師。

亡くなった親。

そして、

若かった頃の自分。

 

 

時々思い出してあげてください。

その人が確かに生きていたことを。

そして、

あなた自身も

生き抜いてきたことを。

 

あたしも描き続けます。

ここにいた人たちとの日々を

なかったことにしたくないから。