最愛の母、天国への旅立ち@あーちゃんの成人の日。 | ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

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「あーちゃんが

 二十歳の成人になるまで、

 バアバはなんとしても

 生き伸びなきゃね!」

 

が口癖だった母。

 

 

まさか本当にあーちゃんの

二十歳の成人の日に

旅立つなんて・・・。

 

 

でもね、

持病のあった母。

本当だったらもうとっくに

寿命を迎えていたのかもしれない。

そんな母をあーちゃんが

生かし続けてくれたんですよね。

 

「あーちゃんの笑顔を

 一日でも長く見ていたい」と。

 

母、頑張ってくれました。

あーちゃん、頑張らせてくれました。

二人ともあっぱれ!

こんな二人を私は

心から誇りに思います。

 

 

「葬儀は家族だけで

 ひっそりと見送ってほしい。

 だけどたくさんの

 お花に囲まれて逝きたい」

 

と言っていた母の希望を叶えるべく。

 

 

「家族しか見ないけど、

 祭壇も棺の中も、

 妻の好きだった

 ピンクの可愛いお花で

 いっぱいにしてほしい」

 

という父のお願いを

聞いてくださった葬儀屋さん。

 

 

 

あまりの祭壇の美しさに、

葬儀の最中は悲しみよりも

 

「あぁ今、ママ、

 満足してくれてるよね?」

 

とあたたかい気持ちの方の

涙が溢れました。

 

 

 

ママ、もう苦しくないね。

天国で思いっきり美味しいもの

いっぱい食べて飲んでね。

また大好きな花いじり

いくらでも楽しんでね。

 

 

 

昨年前撮りしていた写真。

この振袖はなんと

50年前に母が着たもの。

保存状態が良くなく

シワシミだらけで

捨てようかと思っていたもの。

 

この振袖が

いかにこのように蘇ったか?

その話はまた次の機会に。

 

母の認知症の進行が

思った以上に早かったため

できれば母の記憶のあるうちに

どうしてもあーちゃんに

母の着物を着せたかったのです。

 

 

この写真を見た母。

もうそれはそれはそれは

本当に喜んで。

亡くなる直前まで

この写真を見ては

喜んでいました。

 

最期の瞬間が近づく日々の中

母の記憶はほとんど

無くなっていきました。

出会ってきた人たちのことも。

 

 

だけど母は最期まで

私とあーちゃんのことだけは

決して忘れませんでした。

 

 

会話ができた最期の日の言葉。

ばあばを見舞ったあーちゃんに

 

「あぁ、最期にあーちゃんに会えて

 ばあばは幸せだわ」

 

いつも感情を出さないあーちゃんが

その言葉を聞いて思わず

ボロボロボロボロ涙を流し

私たち夫婦は

ビックリしてしまいました。

 

今まで可愛がってくれたばあば。

これが最期の時間だと

あーちゃんは感じ取ったのかも。

 

 

そして私にはこう言いました。

 

「おねえちゃん、

 あんたは歌いなさい。

 歌わなきゃだめよ。

 これからもずっと歌うのよ」

 

これが母からの最期の言葉。

 

 

親っていいもんですね。

思いっきり愛したまま

思いっきり感謝したまま

見送ることができました。

 

 

母との思い出や介護、看取り、

書きたい想いが

溢れて止まらないので

これからゆっくりでも

発信していきたいと思います。

 

 

母の死去に際し、

たくさんのお悔やみや

あたたかいお言葉、

本当に心の支えになりました。

母もきっと天国で喜んでいます。

本当にありがとうございました。

 

これからはすぐ近くで

母が応援してくれている。

私たち親子はこれからますます

強くたくましく生きていく

そう誓います。

 

 

母が主演女優のようなMVです。

もしよかったら母を偲んで

お聴きいただけたら幸せです。