岩手③平泉(中尊寺・毛越寺) | みみうさ☆ライフ

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花巻を後にして、平泉へ。



歴史好きな主人と息子の希望で平泉中尊寺へキラキラ


(私は中学の修学旅行で来た事があります)



宝石緑中尊寺金色堂(国宝)



中尊寺境内にある、藤原氏4代の廟所。天治元年(1124)、清衡の建立と伝わる。鉄筋コンクリートの覆堂で保護された堂の内外は漆に金箔が押され、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられている。須弥壇の中には、中央に清衡、向かって左に基衡・右に秀衡の遺体を安置。秀衡の側に4代泰衡の首級を納める。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く33体の仏像が安置されている。




今年はなんと建立900年の記念の年キラキラ


しかも8月20日が記念日だそうで、その3日前の参拝。

(記念の切り絵の御朱印も頂きましたがお値段も高め汗)


中は撮影禁止ですが、金色に輝いていて34年前⁈と変わらかったです。




博物館の券も合わせて購入するのですが、そちらもお寺にしては高めあせる


博物館は涼しそうなので、その前に周辺の塔頭を巡ります走る人


宝石緑中尊寺経蔵(重文)



方5間、単層、宝形造。
金色堂の西北に隣接し、「中尊寺供養願文」によって天治3年(1126)頃の建物と推定される。
創建時は二階瓦葺であったが、建武4年(1337)の火災で二階は焼失し、後、修理を重ね、現在は銅板単層となっている。
堂内三方の壁画には、黒漆の経棚が七重に設けられ、棚の上部には花形の吹き返し板を付けて宝相華を彩色している。



宝石緑金色堂覆堂



現在の鉄筋コンクリートになる前に使われていた覆堂が移築されています。




宝石緑白山神社



白山を開いた泰澄大師が、養老元年(717)に創建した古社。48社36堂の6000坊の坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院庭園[きゅうげんじょういんていえん]が残る。菩提林[ぼだいはやし]とよばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しい。



宝石緑能楽堂(重文)



存する能舞台(写真)は、1853年(嘉永6年)に旧伊達藩主・伊達慶邦によって再建・寄進されたものです。経済危機下での奉納であったため、当初、鏡板の松は描かれませんでしたが、その後1947年(昭和22年)、能画家の松野奏風により、山内円乗院の老松を写して描かれました。




他にも釈迦堂や弁財天、大日堂にお参りしてから中尊寺の宝物館へ。



宝石緑讃衡蔵



中尊寺の宝物3000点が納められています。



峯薬師堂は目にご利益があるので、お守りも購入。


宝石緑本堂




この本堂は明治42年に再建。

本尊は丈六の釈迦如来です。




敷地が広いので、全て周りきれませんでしたが暑かったのでこれで終了。


主人が不動堂に住み着いている猫にメロメロでした猫






車で5分ほど移動して毛越寺へ。



宝石緑毛越寺



嘉祥3年(850)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、嘉禄2年(1226)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立ち、浄土庭園が平安の頃と変わらぬ美しさを見せている。



宝石緑本殿



こちらで御朱印を頂きます。




お庭がとても広くて見事な造りですキラキラ





宝石緑常行堂


本尊は宝冠阿弥陀如来。

毎年1月20日には「延年の舞」が奉納されています。





青空に入道雲が映えていて、本当に素晴らしい眺めでしたおねがい