2022年8月18日(木)
界を10時過ぎにチェックアウトして1時間半くらいで津和野に到着
津和野の街並みは本当に素敵です
息子が中1の時に巡礼で来た時も「津和野きれい」と夜景の写真が送られてきたのを思い出して、本当は日没直前くらいの時間帯に訪れたかったなと思いました
天気が不安定でしたが、何とか降られずに周れました。
津和野カトリック教会
こちらに息子が巡礼でお世話になった事があるので、神父さんにお話したかったのですが「絶対に言わないでね‼︎」と釘をさされてしまい断念
教会の中は畳敷になっています。
併設の乙女峠展示室には資料が沢山展示してありました。
重要文化財に指定されているお店など
鯉がいるお米屋さん(右上)は有名で、中も自由に見学出来ます。
多胡家老門
養老館前のあたりは殿町と呼ばれ、かつて家老屋敷が隣接していたところ。なまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉など、津和野のシンボル的スポットです。多胡家は亀井氏 11代にわたって家老職を務め、藩財政に大きく貢献した家柄。瓦葺きで、間口4m、長さ26mの立派な武家屋敷門が今も残っています。同じく家老だった大岡家が隣接しており、門を入ると古いたたずまいが印象的な町役場になっています。
大岡家(町役場)
↑の説明に出てきた太岡家は現在は町役場が入っています。修復しながら歴史ある建物を使っているのが素晴らしい
藩校養老館
藩校養老館は、津和野藩主亀井氏8代矩賢が、天明6年(1786)「下中島堀内」(現在の津和野小学校裏付近)に創設した津和野藩の藩校です。創設当初は儒学を主として漢学、医学、礼学、数学、兵学などの学科が設けられていました。その後、11代茲監は嘉永2年(1849)に新たに国学や蘭医学を設け、規模を拡大するともに人材育成に力を入れました。
西周や森鴎外もこちらで学んだそう。
昔は武士の息子でないと藩校に入校すら出来なかったそうで、身分の高い武士の家の養子になってやっと通えるようになった人もいたみたいです。
乙女峠マリア 聖堂
マリア聖堂は、その愛らしい名前とはうらはらに、キリシタン殉教の地である乙女峠に建つ聖堂。昭和26年建設。キリスト教が厳禁だった明治元年に長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンは、津和野藩の改宗のすすめに応じず、ついに拷問によって37人が殉教の道を選びました。その際、日本で唯一、聖母マリアが降臨された地といわれています。ステンドグラスにはその悲しい様子が描かれています。
この聖堂は結構な山道を登らないとたどり着けません。
その先に乙女峠もあり、殉教した信者を悼みながら息子達は峠を越えたそう。(かなりの距離だったそうなので、私達は引き返しました)
永明寺
太皷谷稲成神社
安永2年(1773)、津和野七代藩主亀井矩貞が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太鼓谷に京都伏見稲荷から斎き祀ったのが始まりです。
東北の竹駒稲荷、関東の笠間稲荷、近畿の伏見稲荷、九州の祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つに数えられています。
鳥居がずらっと連なっていて、伏見稲荷の頂上まで登ってめちゃくちゃ大変だったのを思い出しました
森鴎外記念館
森家は代々、津和野藩の藩医を務めたそう。
森鴎外の作品だけでなく、家族や人柄についても理解が深まりました
養老館では良い成績だったのに、帝大の医学部(現在の東大の理3)ではあまり成績が振るわなかったというのも親近感が‼︎
記念館の隣には旧宅があります。
森鴎外旧宅
後から再建したみたいですが、代々医師の家系にしては質素な造りでした。
16時くらいに津和野を後にして、岩国へ
お宿は宇野千代ゆかりの半月庵。
お部屋は古めでしたが、割烹旅館なので夕食は美味しい
岩国名物の岩国寿司が食べられて嬉しかったです
食後は徒歩で3分くらいの錦帯橋へ
夜間は10分ごとに4色に変わるライトアップをしています。
初めは黄色
渡っているうちに緑に
渡りきったらブルーでこれが一番綺麗
私達がいた時はこの3色で、あと1色は何色だったのかな
津和野ではかなり暑かったのですが、こちらで夕涼みしながらライトアップを楽しめて岩国泊にして良かったです