この記事は2020年ブログ

の振り返りを含みます

 

 

 

最初からっ指差し  

 

 

 

 

 

目覚めと同時に苦痛...

朝 ベッドに座るまで1時間

 

 

もう...この時を

今 思い出すだけで

顔が思わず

歪んでしまうのですが...

 

 

 

なんでって...

本当にこの朝の

起き上がるまでの時間って

 

 

 

恐ろしいくらい

大変で、、

 

 

 

もう...言葉では

説明できないぐらい真顔

 

 

 

とりあえず

朝 目が覚めてから

体を起こすのも

軽く1時間くらい

かかることもありました

 

 

 

て言うのも...

 

 

 

まず目覚めと同時に母をベルで呼ぶ

 

 

母の力では起こせないからニコを呼ぶ

(その間に私は足を動かせる範囲で動かしてストレッチ

でも体をずらしたりはできないから仰向けで足だけ

そしてトイレに行きたいのも我慢)

 

ニコ(母のパートナー)到着

 

 

母とニコと2人がかりで私の体を支え

コルセットをつける

 

 

体を2人がかりで起こしてもらう

 

 

ベッドの端に座る

(腰が自立しないから常に腰は支えてもらいながら)

 

 

 

 

当時の簡易リクライニングベッド

 

 

 

と言う流れなんですが...

この合間合間に

腫瘍からの出血があったり

 

 

 

この④のコルセットを

つけるのも

数センチの動きで私は激痛

泣き叫ぶから

 

 

 

簡単じゃなくって...

⑥に行き着くまでに

軽く30分~1時間

かかっていました

魂が抜ける魂が抜ける魂が抜ける

 

 

 

そして、、

ようやくベッドの端に

座れても

 

 

 

今度は ここから

当時の私にとって

更に大変なこと

 

 

 

ち上がり

トイレに行きリビングまで

行かなければ

いけません...真顔

 

 

 

 

今思えば車椅子に乗るなりしたら

良かったんだけど…

 

当時はまだ医療機関と繋がりもなく

しかも筋肉が原因と思って

"歩かないと"と思ってるから

そんな考えが本当に不思議なくらい

無かったです悲しい

 

そういった点からも

医療機関との繋がりとか…

第三者の介入って本当に大切だと

今となっては思います

 

 

 

 

立つ・歩く...これが出来ない...!

【骨転移で1番辛かった ⑩】

へ続く🤍

 
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