最初からっ
イイね🤍コメントありがとうございます!
めちゃくちゃ励みになり力をもらえていますっ
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乳がん告知〜8年間
今 思えば...
そう〜この余命宣告前
訪問看護師さんに
よく今まで1人で頑張ってきたね
と言われた時
なんか本当に何とも言えない
感情が込み上げたのを
覚えています
それまで
"1人で頑張ってる!"
なんて思ってもいなくて...
それがどういうことかも
よく分からなくって
だから訪看さんに
その言葉を言われた時
頭で何かを感じる前に
思わず涙が込み上がるような
感情が出てきて...
でも心は温まって...
そんな自分を見て
自分でも戸惑う...
そんな感じでした
そんな当時
頑張ってるつもりは無かったけど
今思えば...
"1人で頑張ってたな〜!"
って思う...
乳がん告知〜8年間の私は
こんな感じでした☟
過去記事(2020/3/24)抜粋
例えば、腫瘍が皮膚から飛び出す時
激痛で朝方まで寝れない時も
母にも、事後報告で
痛い時は、ただ1人で泣いて
その痛みが無くなるまで
うずくまって耐えていたし
夜中、大出血して
ベッドが血だらけになって
目が覚めても
起こして良いよと言ってくれる
母を起こしても
ただ、迷惑かけるだけだと思い
起こすことはせずに……
今思えば、それでも辛かったのか…
1人で泣きながら
夜中に止血をして
血だらけになったベッドを
片付けて寝ていました
大量出血を常にしていた時も
母と二人暮しで
母は仕事で、私は基本
バイトが終わると夜まで1人だったので
どれだけ日中に出血して
自分の周りが血だらけで
何時間も出血が止まらなくても
……
本当に限界で
倒れて、救急車呼ぶに至らない限りは
母に助けを求めることなく
1人で何とか対処してきました
でも、この時は
これが私にとっては当たり前の事で
"私は、1人で頑張っている"
そんな事、思いもしていませんでした



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つづきーっ
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