この記事は2020年ブログ

の振り返りを含みます

 

 

 

最初からっ指差し 

 

 

 

 

 

1人で頑張ってたつもりは ないけど...

今 思えば張ってたな〜〜昇天

 

 

当時は...本当に

"1人で頑張ってる私!"

なんて思いもしなくて泣き笑い

 

 

 

というか...

そもそも そんなことを

考えもしないし

 

 

 

これが当たり前で

"自分の病なんだから

私が治す"

 

 

 

そう思ってるから

私の病を誰かに担ってもらう 

なんて考えない真顔

 

 

 

そんな感じで...

ちなみに当時

別に無理をしてるつもりもなく

ただそれが

”当たり前”と思ってました

 

 

 

でも今の私が見ると

私が気づいてないだけで

私の

無理をしていたんだと思います

 

 

 

だから夜中に

花咲乳がんから出血して

1人で血だらけのベッドを

片付ける時に

 

 

 

知らず知らずに

が流れたし...

 

 

 

余命宣告前に

訪看さんから言われた


サムネイル
 

今まで1人で良く頑張ってきたね


 

 

 

という言葉に

されたんだと思います

悲しい悲しい悲しい

 

 

 

そして余命宣告後...

医療を受けることになり

 

 

 

お医者さんや訪看さんなど

医療従事者の方々と

関わるようになり

 

 

 

少しづつ私は

✨誰かに助けを求める大切さ✨

を知りました

 

 

 

そんな心の変化を

次の記事では

お話ししたいと思います

 

 

 


(まだ車椅子のとき:訪看さんたちが

休みの時を利用して必要なものを買いに

ニトリに連れて行ってくれたよ~✌️愛

少しは人に頼れるようになったのかな?泣き笑い)




 

 

 

 

私 頑張りすぎてたのかも...!

 【標準治療を受けて③】

へ続く🤍

 
サムネイル