この記事は2020年の振り返りになります

(写真左:母 / 右:余命宣告される約5か月前)







34歳・余命宣告のはなし



今から約2年半前

2019年の9月末

私は 約2ヶ月の余命宣告

受けました




そして今では闘病10年目となる

私ですが…

肉体的にキツかったのは

後にも先にも

この余命宣告の頃だったように思います



 

あの頃は…ただ "きること"

に精一杯の毎日でした




(写真上:余命宣告前。もう自分の力だけでは

動けなくなってた頃

写真下:余命宣告後。ホスピスにて)







過去記事(2020/2/4)抜粋


↓↓↓


2019年9月末

"このままだと年は越せない"

と私はお医者さんに言われました





その時の私の状況は
……
身体中が痛くて
寝るのも苦痛
痛さ、しんどさで泣き叫んで
寝れない毎日



座る事も痛いし
自分で身体を動かせない
起こすこともできないから
1度座ったらポジションを変えれず
いつも痛い



ソファとか柔らかい所には
座れない
少し硬めの椅子に
クッションやタオルを置いて座る



だからリラックスなんて
24時間1秒も無い



ベッドに寝ても
寝返りできない
腰が痛くても自分で動かせない
本当に人形みたいに
ただ天井を見つめるだけ



そんな
リラックス
のできない状態だから
何かを楽しむなんてできない



元気な時は
リラックスタイムだと思えた
テレビをみたり
を読んだり
携帯見たり
友達と喋ること
……

全てが無いと出来ないものだと
この時初めて知りました



今では記憶もあいまいなぐらい
ただしんどくて
泣き叫んで
1日が終わってた



そしていつ大量出血して
を脅かしても
おかしくない状態



普通に蛇口を捻ったような勢いで
が真横に何ヶ所も吹き出して
5時間くらい止血した事もあった。

自分の周りが血だらけ
服が血だらけなんて当たり前


常にが無いから
息をするのもしんどい
少し動くだけで息切れ状態



そんな感じでしたアセアセ


更に詳しくはコチラ☟







改めて 当時を振り返って思うのは
こんな状態なのに
骨転移を疑いもせず…
そして それでも自分で何とか
治そうとしてたことが
ヤバい!!!不安



いやー…驚きです。笑驚き



でも こんな風に今思えるのは
その後 病院と再び繋がるようになって
沢山のかな
医療従事者の方々に出会って



そして みんな
何とか病をよくしようと
一生懸命に考えてしてくれてるんだ。
と知れたから✨
だと思います赤ちゃんぴえん



それまでの私は
"病院に行って助かる"とは
思ってなくて



むしろ病院に行ったら
もっとくなる!!!と
思い込んでいたから



ただ病院が嫌。とか
そんな単純な理由の為に
行きたくなかったんじゃなくて
"自分の命をるために"
必死に抵抗していました



そして同時に自分の命は
私が守らないと!!!



って必死になっていた私は
いつしか誰も頼れなくなって



今思ったら
本当…必死だったなー…



あの頃は 気力だけで
生きてたんじゃないかな?!
って思います無気力



事実 先日通院した時
整形の先生にの写真見ながら


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この状態で生きれてたことが
すごいよね。笑


ご高齢の方なら
まず生きれてないよ。
と言われた次第ですにっこり{ハイ。



​〖 【乳がん】34歳 2ヶ月の余命宣告② 〗
へ続く🤍

 
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