このブログをする目的でもある
今の私の想いは
"私の困難に思えた経験が
誰かの役にでも立てれば
それが私の新たな希望にもなる"
ということですが……
じゃあこんなふうに
以前から考えていたのかというと
……
全然そんなことなくて!笑

私が26歳で乳がん告知されてから
今年で約9年目
そのうちの余命宣告されるまでの
約8年弱は
{ナガッ!w

基本自分のことだけを
考えて生きてきました

ていうか、、正直
自分の事だけで精一杯でも
ありました
💦

周りの事を考える以前に
自分のことさえも
自分でもよく分からなくて
……
"誰かの為に"と言って
行動できる人を見て
凄いなぁ~とか…尊敬の眼差しは
いつもあったけど
いつまでたっても
"いつか私もそうなれたら"
という感じで
やっぱり自分でいっぱいいっぱい
でした



じゃあ、いつから私は
少しずつ変えられていったのかな?
って考えてみたら……
以前この記事でも書いた
↓↓↓

母のパートナーのニコの
クリスチャン友達で
皮膚ガンを自分で克服された
レアリーさんとの出会い
↓↓↓
以前は顔から腫瘍が飛び出して
日々痛みに耐え……
病と闘い、神さまに嘆きながらも
絶対に信じることをやめず
お医者さんに、このままいたら
"5年と生きられない"
と言われたのにも関わらず
遂に2年かけてガンを自ら克服した。
という壮絶な経験の持ち主
そんなガンの痛みや辛さ
お医者さんの言葉以上に
神さまの言葉を信じる勇気をもつ難しさ
を知っていて
誰よりもその時の私の辛さを
分かってくれたであろう
レアリーさんの言葉は
当時、自分の事しか考えられなかった
私の心を大きく動かしました
レアリーさんが教えてくれたことは
たくさんあるけれど特に
その中でも私の心に今でも残っているのは
自分が辛く困難な時こそ
"誰かの為に心から祈れること"
の大切さ
それまで私は病気になってから
誰かに祈ってもらう事はあっても
誰かのために祈るなんて
したことなくて……
それは、あえて祈らなかった。
とかじゃなくて
私がいつも周りにいた皆より
明らかに病気だったから
当たり前のように
皆が祈ってくれて
当たり前のように
それをただ受けていました
そしてどこかで
"病気の私が誰かの為に何ができるの?
まず、健康にならないと……。"
そんな想いが根底にはあったように
思います



でも、レアリーさんは
そんな私を見てこういってくれました
(上記記事から抜粋)
↓↓↓
こんなレアリーさんの言葉に
勇気をもらって
その時、私は今までいつも横で支えて
一緒に闘ってきてくれた
母の為に初めて祈りました
……すると、不思議と
涙が止まらなくて
母のことを祈りながら気づけば
号泣していました

私だけでなく母も泣いていて、、
そして自分の心が
温かく癒されるのを感じ、、その時初めて
レアリーさんの言葉を
身に染みて感じることができました。
(その後、私はこのブログを始めて、更にこの事を
身をもって知ることにもなりました
)

同時にレアリーさんが
腫瘍の痛みで心折れそうに何度もなって
"もう私のガンは癒されない"
みたいな想いが来る度に
そこが人混みであろうと
叫んだ言葉があるんだ!と笑いながら
教えてくれた聖書箇所
"私は死なない。かえって生き
主のみわざを語り告げよう。"
[詩篇 118:17]
この言葉は、そのときの私に
力強い勇気をあたえてくれました
この後、私は余命宣告されるまでに
ガンは進行していって……
もう何度も喉の途中まで
"死にたい"という言葉が出てきては
その言葉を飲み込み
"私は死なない。かえって生き
主のみわざを語り告げよう。"
と、1人何度も何度も
痛みや苦しさに負けじと泣きながら
この言葉を繰り返しました
今思えば、私が余命宣告された時に
なぜか確信があった
"私はこんなところで死なない。
まだ神さまに用いられていないから。"
という想いの根源は
この聖書箇所から来てるのかも……!
と、思ったりもします
✨

そして、あれから約1年経って
生かされてる今。
あの時に私が痛みに耐えながら
何度も祈り叫んだ言葉が
今ならできる!!✨
そう思うからこそ
私は誰かの為にも
"生きたい"
と今、強く思います



これは、自己犠牲の話じゃなくて
もちろん自分は大切!笑
でも、もう私だけの為じゃなくて
誰かの為にもなれたら嬉しいし
結果それが私の生きる希望にもなるから
……
結局、これは私のためなのかも
しれません。笑笑
でも、前と確実に違うのは
きっと神さまは今の私を見て
喜んでくれてるんじゃないかな??

って、前より
思えることです
♡✨

