今まで、よくこのブログで
"余命宣告された"と話してきて
その時の心情もコチラの記事で
書かせて頂きましたがうーん
↓↓↓
その時の心情じゃなく詳しい状況
今まで、お話したことがなかったので
今回お話しさせて頂こうと
思いますニコニコ



初めに、私が余命宣告されたのは
2019年の9月末です。



その時の私の状況は
もう、身体中の骨転移
全身激痛で、椅子に座ることも
できなくなっていて……



そして、腫瘍からの
度重なる大出血の為か
息をするのもやっとで
誰かと話すのも、とてもしんどく
もう息絶えだえという感じでした
ショックショックショック



なので、自宅からストレッチャーで
救急車で病院に運ばれ
輸血をする為にも、まず原因となる
ガンの状況を知りたいからと
CTを撮り検査をすることになりました



移動も大変な私は
CTの検査も看護師さん3人がかりで
ストレッチャーから
滑らして移動し……



もう平らな所で寝れなかったので
移動した瞬間に腰とか足を
2人がかりで支えて



その間にもう1人の看護師さんが
クッションなどを素早く
私の背中と足の下に挟み
できる限り、腰に負担を与えないようにと
してもらいましたぐすん



もちろん、服は着替えれず
そのままです。
これは、今でもそうですうーん



そして、CTを取り終わり
またストレッチャーに滑らして
戻り…そのまま
またストレッチャーで
結果を待っているのですが……



場所は、外の待合室でなくて
看護師さんやドクターが行き交う
安置所?みたいな場所でした



多分これは、ストレッチャーだと
いう場所の理由と……



いつ何があってもナースコールを押せば
看護師さんやドクターが
いつでも駆けつけれるようにだと思います



そして、少しして
私と母が先生の診察室に呼ばれ
私はストレッチャーのまま押されて
行きましたぼけーぼけー



正直、この時の私は
本当にをするのも必死で
身体も自分でずらすことも出来ないくらいで
1秒も気が休まる時がなかったので
細かいことは覚えていません
ショックショックショック



けれど、まず先生は
どの部分に転移してるかと
説明してくれたのを覚えています
うーんうーんうーん



まぁ、簡単に言うと
全身で骨にも肺にも皮膚転移も
たくさんあって……
胸水もたまってて
もう、先生の表情に希望なんて
1ミリも見えませんでした



そして、余命宣告に関しては
その時に言われた訳じゃなくて



一旦、とりあえず輸血するために
時間がかかるため
ベッドのある部屋に移動しました



多分、その間に主治医の先生が
私の母に
"このままだと年は越せない"
と話したようです



なので、私のいるベッドの場所に
戻って来た母は
何とか気丈にふるまおうとしてるけど
抑えきれず泣いてしまう……



そんな状態で
何度も私の名前を呼びながら
手を握っていたのを覚えています
ぐすんぐすんぐすん



まだ、その時の私は
ドクターに余命宣告された訳でも
無かったのですが、、
なんとなく察しました



"あー多分、命を数字で
示されたんだろうなぁ。。"



と、ぼんやり
そんな事を思ったのを
覚えていますしょんぼり



その後、とにかく
ホルモン治療が効くタイプでなければ
もう、ここで出来ることはない。と言われ
(抗がん剤にはもう体力的に
耐えられないと判断されました)



その結果を後日
母が聞きに行ってくれて
幸い、私はホルモン治療が出来るタイプ
だったと分かったので
後日、治療の予約をしました



しかし、この予約日を待つ前に
3日続けて大量に腫瘍からの出血を
繰り返し……
また再び出血多量で救急車で運ばれ




その時のヘモグロビン数値が
3.6(通常は13前後)
だった為に、緊急入院で
再度、輸血する事になりました



そして、もうどうせなら
この時から治療を始めよう!となり
改めて治療を受ける前に主治医の先生
と話しましたニコ



実は、ホルモン治療が効くタイプだと
話を受けた時に
先生からの治療方針や
主治医の見解を書いた紙を
母に渡されていて……



そこに、
"このままだと2ヶ月もたない"
(すみません、キリが悪いので3ヶ月と話してましたが
実質9月末から10月頭に"年は越せない"
と言われていたので余命2ヶ月ちょいが正しいですねー)
と、記載されていました。




その紙を、再び渡されて
"最後までしっかり見たか?"
と、その余命をかかれてるところも
指をさされ確認されました



なので、余命宣告されたと言うのは
よくドラマとかであるように
主治医の先生に呼ばれて
改まってバーン!と言われる…笑



みたいのでは
私はなかったですねー



ただ、そこをちゃんと理解して。
とのように確認され
あー、いわゆる余命宣告なんだな。
と納得した次第ですイヒ



そして、私はその時から
余命宣告は、所詮統計学だ。
と、思っていたし



不思議と、こんなとこで
私は死なない。
という確信があったので……



母から言わせると
当の本人の私が1番平常で
落ち込むとかも感じなかったようです
zzzzzz



もちろん、ショックはありましたが
それでも主治医の先生に
"私はガンでは
死なないから大丈夫"
と息絶えだえ言って……笑



そんな説得力もない姿、状況の私は
先生に苦笑いされてましたねー笑笑




この後、治療方針を
先生と相談し、決めて、始めて
回復していき今に至ります
ほっこりほっこりほっこり



思い返すと
まだ8ヶ月程前の話なのに……
まるで、何年も昔のように思えるくらい
あの頃の私からしたら
奇跡と思えるくらいの状態にまで
回復できました!ゲラゲラ



まだまだ、私は回復の道のりの途中ですが
……



また、こんな風に椅子の上で
過ごす今日を
あんな日もあった…✨と
って話せると思うとワクワクします!
ウシシウシシウシシ



おかげさまで、今日も私は
痛みもなく穏やかな1日を過ごせています♡



このブログを見てくださっている
皆さまの今日が
平安でびのある1日でありますように
……ほっこり


しかし、これらすべてにおいても、
私たちを愛してくださった方によって、
私たちは圧倒的な勝利者です。

私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、
今あるものも、後に来るものも、力あるものも、

高いところにあるものも、
深いところにあるものも、
そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。

ローマ人への手紙 8:37-39


mimipopo

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