私が乳がん告知されてからの
8年間。
民間療法から始まり
現在、標準治療するまでの
私の想いは、このブログで
よく話して来ましたが……
その時、私の家族はどう考えて
(うちは、母子家庭なので、私の場合
主に母との関係の話になると思います。)
どう話し合いをしてきたのか?
などは、今まで
お話ししてきませんでした

これは、この話をしたくないとかより
どうしても、この話をすると
私だけの話でなく
母の話にもなってくるかと
思うのですが……
その場合
100%、母の想いは分からないので
無責任に話せないという想いと
どうしても書き手の私目線に
なってしまうのでは??……と思い
今までは、書いてきませんでした



でも、やはりこの家族との事は
よくどうだった?と
今だから聞ける。と友人にも
聞かれる部分でもあり
たまに、私を母親目線で
見てしまうという
優しい読者の方から
ご質問を頂くこともありました



その時にやっぱり
誰もが気になりうることだし
この私たち親子の経験が
少しでも参考になるのであれば……
と、思い今回書かせて頂こうと
思います



はじめに、
書き手が私なので……
基本は、私目線になるところが
あることをご了承ください



けれど、今回この記事を書くに
あたって、改めて母にその時の
心情を確認したので
その辺も詳しく書けたらと思います



まず、大前提に
私が乳がん告知されてから
様々な治療をしてきましたが
全て、母と話し合い
互いが納得できる治療を
選んできました
ただ、この時の心情で少し違ったのは
私は、乳がん告知されて
"まず、ガンになった自分の身体を
根本から治すために
自分自身を、まず変える
根本治療をしないと。
標準治療で目に見えるガンをとっても
ガンになった私自身の身体が
そのままだったら
また、再発に怯えることになる。
それは嫌だ。それと、できるなら
乳房を切りたくない。"
と、いう想いで必死に
私なりに勉強して
納得できる治療を探していました
(8年前、私が受診した病院では、超初期の私の乳がんでも
乳房を一回り以上大きく切り、リンパも全部取り、
その後抗がん剤や化学療法もすると言われました。
今になって分かったのは、私の癌は
手術とホルモン治療だけで十分根治できたらしいのですが、、
その時の時代なのか先生の考え方の違いなのか…
そんな風に話はされませんでした

この時の心情についてはコチラの記事に書いています。)
母に、その時の心情を聞いたところ
……
標準治療の手術などが
"対処療法"であり
"根本治療"にはならない。
(目に見えるガンを取っても、免疫力を上げないと血液の全身病
と言われる、ガンは根本治療とは言えないということ。)
という事に賛同した
なので、手術したとしても
その後の身体の免疫力をあげて
再発しないことが大事と同意した
26歳の、まだ若い女性の身体に
少しの傷も嫌だと思う
本人の気持ちも理解できた。
……というのが
最初、私が乳がん告知されて
標準治療をやめ
免疫療法や食事療法で治すと
決めた私たち親子の心情でした
思い返してみて、まずは
私の決心があり
それに対して母も納得してくれ
一緒にこれだ!と思える
病院を探したところ、それが
コチラで話した
色彩療法でした



この時の話をすると
この治療法に落ち着くまで
最初は、本当に大変でした!



というのも、いきなりガンが分かり
"自分の身体は私が治す!"
と決めたものの
ガンの大した知識もなかったので

片っ端から色々な本を読んだり
……
免疫療法の病院にセカンドオピニオンして
色々な先生の話を聞いたり、、
全てが1からなので
食事療法も、厳格すぎる
ゲルソン療法からスタートして

色々試さないと善し悪しが分からない分
まずは、これかな?
と思ったのは全部試しました!
今となっては、このお店の野菜がいい
とか、これは良かったけど
これは必要ない。とか……
ちゃんと見極めて、最低限
必要なものを取り入れる。
って、できるけど……
最初は、そんな経験もないから
とにかくお金も無駄にかかったし
本当に、母の助け無しでは
出来なかったと思います



この、私たちの最初の選択が
正しかったか、間違っていたのか
は、結局のところは
分からないものですが……

それでも、この時の私の想いに
賛同して、協力してくれた
母に心から感謝しています。
今となっては、あの時
標準治療を受けていたら……
と思われるかもしれませんが、、
その後、どんどん体調が悪化しても
余命宣告されても
私は、後悔することより
今まで、納得して
自分が選んだ道だから
悔いは無い。と前を向けました
なにより、乳がん告知された時
恐怖で、死の闇しか見えなかった私が
前を向けたのは
"自分で治す"と、私が決め
それに母も協力してくれて
同じ方向を見て歩けた事によって
それまで逃げ腰だったからこそ
恐怖にのまれていた私が
……
この病に自分で立ち向かう事により
死の闇は自然になくなり
恐怖に打ち勝つ事ができました。
だから、この時もし
無理矢理、標準治療を受ける事を
選ばされていたら
……
いくら、身体からガンは無くなり
根治したと言われていても
私は変わらず死の闇から抜け出せずに
再発をただただ怯えて
その後の生涯を過ごす事に
なったかもしれないし……
そのまま健康でいれたら良いけど
もし、再発したりしたもんなら
"あの時根本治療を選ばせてもらえてたら!"
と、母や他人のせいにして
しまったかと思います。
現在、結果として私は
ステージⅣで末期の状態になったけど
それでも、前を向いて
笑顔で毎日過ごせてるのは
最後まで、私が選んだ道を
歩ませてもらえたからだと思います



私は自分が納得して選んだ道だから
どんな結果であろうと
自分の責任だと思えるし
全て無駄な事は無かったと
思っています



後悔は無いとかは言いませんが。笑
私が後悔しない事より大事なのは
悔いがない。と思える事です

ただ、この辺の心情は
私が末期になった時は
母の中で後悔や闘いがあったようです
そんな風に、私の想いを尊重して
くれたからこそ
母はそれが間違っていたのか?と
自分を責めたり……
見ていて、かなり辛そうでした。
そんな風に結果、自分を責めさせて
しまうことになったのは……
本当に申し訳なかった
と、思います





……そして、この後
30歳ぐらいの時から
私の腫瘍はどんどん大きくなり
皮膚から飛びだし、出血し始めます



この時から、また沢山の選択や
私たち親子の心情が変わってきます。
長くなったので、このお話は
に、続きます



歩くことはままならず、基本移動は車椅子で
歩く時は手を引いてもらって数歩やっと歩けるという時でした
座る事は、まだできました
)

"しかし、あわれみ豊かな神は、
私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
背きの中に死んでいた私たちを、
キリストとともに生かしてくださいました。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"
エペソ人への手紙 2:4-5
mimipopo