※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれます
8年の間にした
主な治療と腫瘍の変化を
何日かに分けて
紹介しようと思います



まずは、乳がん発見当初
免疫療法をする!と決めて
とりあえず
ゲルソン療法をしながら
色々な免疫療法を実施してる
病院を調べて
……
とりあえず気になる所には
セカンドオピニオン
を受けに行きました
色々な免疫療法の治療の病院に
行くなかで
その時の私が"これだ!"
と納得できた治療が
色彩療法
でした
どういった治療方法かというと
東洋医学でよく使われる
Oリングテスト↓↓↓
というテストで
自分の身体の反応をみて
……
それに合わせて
色彩療法という
カラーを身体に貼る治療なんですが
……
説明が難しいので
興味ある方は調べてみて下さい
すみません

簡単に言うと
色は電磁波で
細胞も電磁波があるから
その電磁波同士を反対のものをぶつけて
プラス・マイナス0にして
病気がない状態にする
……
みたいな感じ



一見胡散臭そうですが
笑
私はその時
色の勉強をしていたので
色と電磁波
の関係を理解していたのと
なにより
それでたくさんのガン末期患者が
癒されていること
そして
1番の決め手は
その治療を開発した先生が
(愛媛の松山にその先生がいて、がん末期の患者がツアーを組んで行くぐらいで、予約も数ヶ月待ちが多いのですが、その時運良く取れました)
"こんな小さい癌ちょろい!"
と笑い飛ばしてくれたことです
笑
そこに行くまで
たくさんの病院に行ったのですが
だいたいどんな先生も
"若いからね~"
と難しい顔して
自分がしている治療に自信なさそうでした



だから
そーやって笑い飛ばしてくれた事が
嬉しくて…!

食べ物も
"ゲルソン療法なんかせんでいい!
とりあえず
肉・乳製品・砂糖
は止めて!
それ以外はできたら無農薬、
無添加ぐらいで大丈夫!"
その言葉も
なんか自信に満ち溢れていて
頼もしく思いました
笑笑



そして、愛媛の松山まで来なくても
大阪の色彩療法をしている病院
を紹介してもらって
そこで治療を受ける事になりました



それからは週に1回
色彩療法を受けて
後は普段の生活習慣を
免疫力をあげるように
食事や生活を気をつけて
……
その2年後
腫瘍が発見した時の1.5センチから
6.5ミリまで
半分以下に小さくなっていました



そこで手術することも
考えたのですが
……
"このまま消えそう"
そう思って
この治療をさらに3年近く
続けました
しかし
治療から4年後の30歳くらいの時から
腫瘍が大きくなってきて
……
気づいたら
腫瘍が皮膚から飛び出て
(この時は寝れないような激痛でよく泣き叫んでいました)
……
さらにその3年後には
こんな状態になってました
ベッド血だらけで
夜中に起きて、1人で止血して
泣きながら血を片付けて
……
そんな毎日。
血の勢いも凄くて
蛇口を捻るような
血しぶきが最高5時間止まらないことも
……
止血してるから押さえてたら
止まってるけど
手を離したら一瞬で
ガーゼは血だらけ



たまに物凄い勢いの出血を
同時に何ヶ所もして
ガーゼでは間に合わなくて
タオルで押さえても
タオルも一瞬で血だらけ
その時はさすがに
救急車で運ばれて
"輸血しないと命の保証がない"
と言われたり
……
傍から見たら
ただ
何もせずに
こんな腫瘍大きくして。
と思われたかもしれないけど
……
その間もその時の私なりに
毎日必死に戦ってました。
断食を40日間してみたり
……
他にも治療方法がないか
探していたり
……
温熱の機械に毎日入ったり
……
でも全て一進一退状態
そんな中
これなら!と思える治療方を見つけて
新たに違う治療を
試すことになります
その次の治療については
明日に続きます……



ここまで書いて
改めて振り返ると
……
毎日必死で、癌とは向き合って
恐れもなかったけど
……
でも病院の診断は避けていて
……
私には、
"事実を受け止める勇気"
これが足りなかったように思います



癒しを信じるのはいいけど
事実は事実として受け止める。
これが大事。
結局はいつも自分で頑張っていたから
……
"結局自分の力には限界がある"
それをいい意味で
しっかり受け止める。
1人で頑張りすぎない。
いい意味で周りを頼る。
お医者さんも敵では無い。
もっと周りを信じて甘えることも
大事。
今となってはそう思います



そしてそう思えた今、
周りを頼ると弱くなる。
そう思ってた以前の私より
前より楽に
前より自分に優しくなれました



mimipopo