この記事は
の続きになります
時間と共に良くなると思っていた
腰。これが中々思うように
良くならず…
それに伴って、いきなり
介助が24時間必要になり
家族も大慌て。
髪の毛は洗えないまま
10日の時が過ぎました
もう、身体も、精神的にも
限界だった頃
訪問看護の方達に
来てもらう事になりました
初めて訪問看護の方に
来てもらった時
……
その時の私はしんどすぎて
腰だけじゃなく
足なんか左太もも辺りを
さすっただけで激痛で…
その時、薬とかも
一切飲んでなかった私は
24時間痛みから解放される事なく
もう、自分をコントロールするのも
そんな余裕も無くて…
それに伴い、母とかも
何が何だか分からず
皆ストレスがピークだった
ように思います
そんな時の、訪問看護の方達の
優しい気遣い、
私がどれだけ泣き叫び
人間らしい対応が出来なくても
"よく今まで1人で頑張ってきたね。
大変だったね。辛いね。"
と、ただ私に寄り添って頂いた言葉
今でも忘れられません
身体のしんどさは
とれないけど、
その瞬間、心が久しぶりに
少し落ち着けました
そして……
何よりその時の私が嬉しかった言葉
"髪の毛、ここでも洗えるよ
今日洗ってあげれるよ"
その言葉が凄く凄く、
本当に嬉しかったです!
そして、早速椅子の
リクライニングを利用して
洗髪してもらい……
もちろん身体は痛くて
ただ気持ちいい訳では無かったけど
……
その日
久々に私の笑顔を見れた!
と母が喜んでいました
髪の毛を洗えただけでも
"しんどいエネルギー"が
どっかに飛んでいったような
……
そして久しぶりに
人間らしくなれたような
……
本当に久しぶりに
嬉しい日となりました
そして、この日から
訪問看護の方に定期的に
来て貰う事になり
それに伴い
訪問のお医者さんにも
定期的に来てもらう事になりました
この時、初めて外部からの目で
私を見てもらった時に
自分が思っていた以上に
看護師さんやお医者さんから
見たら、このままだと
かなり危ない状態だった
と知りました
"歩かなくなったら歩けなくなる"
と思ってた私は
毎日"痛いよぅ痛いよぅ"
と一歩歩く度に激痛で泣き叫び
ながらも
必死でトイレに行くのに
誰かに支えてもらいながら
歩いて行ってました
そして、これを見た看護師さんに
"とりあえず、貧血が酷いから
トイレの前まで椅子で移動して
立つだけにした方が良い"
と言われ
それに従い、ようやく
トイレの苦痛から解放されました
今になって看護師さんに聞くと
"私が(看護師さん)居る時に
ミミポポさんがトイレ行くのは
無事帰ってこれるか恐くて
嫌だった"
と、言っていました笑
この頃、私の友達が
会いに来てくれる事があったのですが
しんどさで
まともに話す事もできず
痛みで泣き叫ぶだけの私を見て
ただただ涙していた友達の姿を
今でも忘れられません
そして2019年9月末
身体の痛みとは別で
腫瘍からの大出血が続き
身体の血が無さすぎて
息をするのもままならなく
寒くても顔の辺りに
扇風機の風をあてて
ようやく息ができる。
そんな状態だった私は
"とりあえず、貧血を治さないと
体力がつかないから
歩く事も回復も遅くなる
今すぐにでも輸血しないと
命の保証はできない"
と看護師さんに言われ
親にも説得され、ようやく
輸血目的でしたが
検査もすると約束し
病院に行きました
(この以前にも輸血目的で病院に行ってましたが、
標準治療しないと輸血は出来ないと帰される事があり、
余計病院に行くのが嫌になってました)
そこで、検査をうけ
急遽、輸血を2パックしてもらい
この時に余命宣告もされ
に繋がるのですが
……
この後、帰宅して
ホルモン治療が合うか
検査結果を待つことになります
その待ってる間にも
私は再び大量出血を繰り返し
血が無さすぎて
食事をとるだけでも息切れで
ほとんど食べれなくなりました
その時
ヘモグロビンが3.6まで落ちていて
(平均13くらい。7以下で輸血対象。
その半分にもならないから、
それはもうビックリされました笑)
急遽、救急車で運ばれ
輸血を4パックすることになり
緊急入院する事になりました
そして、ちょうど検査結果も出て
ホルモン治療が出来る!
となったので、その日から
ホルモン治療を開始しました
これが2019年10月の出来事です
この時が今までの私の人生で
ピークにしんどかった時
だと思います
入院中、もう骨が溶けて
体全体の骨が弱くなり
腰や大腿骨にはヒビが入っていて
左荷重禁止・絶対安静
だった私は
本当文字通り
完全寝たきり状態でした
身体の痛みで自分の身体を
支えることも出来なくなってるので
自分で身体を、ずらす事も
上に上がることも出来ない
服のシワも直せないから
少しシワがあるだけで痛くて…
その度に看護師さんを呼んで
2.3人の人に身体をずらしてもらったり
……
結局これも気を使い
しょっちゅう呼ぶ事は出来ない
でも身体はどんどん沈んで
どんどん痛くなって
しんどくて……
病院の天井をただ見て
涙を流すしかなかったです
そして、トイレに行くのも一苦労
ポータブルトイレを使っていたけど
リスクが大きいのと
何人もの人手が必要だから
ベッドで介助してもらい
する事もしはしば…
もう、人間らしく生活出来てないこと
本当に身体だけじゃなく
心もしんどくなって
……
この入院生活は
たった2泊3日でしたが
本当に辛かったです
……
そんなんだから、入院を経て
自宅に帰った私は、しばらく
"病院"という言葉を聞くだけで
泣いて発狂して
自分でもわけも分からないぐらい
狂ったように泣き叫んでいました
ここからの1ヶ月は
本当に毎日が戦争のようで
……
痛み止めの薬で痛みを抑えながら
それでも
しんどすぎて何もできず
ただただ、しんどさに耐えて
1日が終わってました
この頃、携帯を触ることさえ
苦痛になってしまっていたので
もちろん写真なんかは撮ることもなく
……
ようやくホルモン治療を始めて
1ヶ月が経った頃から
みるみる痛みは無くなり
少しずつ腰で自分の身体も
支えられるようになり
食欲も増え、それに伴い
腫瘍もみるみる小さくなって
……
2019年11月
約1年ぶりに友達に紹介してもらった
美容師さんに自宅に来てもらい
長く伸びきった髪を
バッサリ切ってもらいました!
{スッキリ~
この時の写真が、こんなSNOWで
撮ったような加工写真しかなくて
トップ画になるのは嫌だったので
私が個人的に大好きな、友達のペットの
写真をはさみましたあしからず笑笑)
この頃もう大分、
座ったままですが
元気になって、友達と喋ることも
携帯を触ったり、
趣味で時間を潰す事も
ようやく出来るようになりました
でも、まだ顔は痩せていて
目の二重が三重になってしまい
老けてみえて
嫌だったのを覚えています
今は普通の二重に戻りました!笑
今思い返して思うのは……
"寝たきり状態"というのは
想像も超えるくらい辛くて。
"こんな状態で生きてる意味はあるのか?"
と何度も自分に問いかけては
泣いていました
なので自分が歳いった時に
寝たきり状態にだけは
ならないように!!
歳いっても絶対ちゃんと
運動はしよう!自分のためにも
周りのためにも!
と泣きながらそんなこと
考えてました笑
そして……自分の身体を恐くても
ちゃんと知ること。
その大切さも学びました
幸いこの状態でも"諦める"
という想いは1回もよぎったことが
なくて……
それは本当に良かったと
振り返ってつくづく思います
看護師さんも
"最後は気持ちの状態が
身体に影響して
その結果が本当に変わる"
と色々な患者さんを見て思う
と言っていました
これを聞いて
本当にそうなんだろうな……
と自分の経験を通して
思いました
本当に身体がしんどい時
心まで諦めてしまっていたら
どれだけ、しんどかっただろう…と
私には想像もつきません
だからもし、
あの時諦めていたら
私の今の状態は
全く違っていたかも…
と、落ち着いた今、思う事です
何はともあれ!
私はあの頃に比べると
幸せすぎる1日を
送れています
好きな事をできる幸せ
好きな物を美味しい!と言って
食べれる幸せ
友達や人にちゃんと落ち着いて
接することが出来ること
楽しく喋れることの幸せ
ようやく、ゆっくり寝れるように
なった幸せ……
本当にまだまだあるけど
……
こうやって生かされている今。
本当にもう
感謝しかありません!
{チャンチャン!