今、振り返ってみて私が
一番しんどかった時期
2019年9月末
余命宣告を受ける前の
2019年の4月頃
歩けなくなり始めた頃から
始まりました


この時の事を詳しく
今まで書かなかったのは
あえて書かなかった訳ではなく
あまりにも、その時の
もう毎日を生きるのに
大変必死
正直、記憶もあいまいで
思い出すのも少ししんどくて
……


でも、この時の事は
この経験が誰かの何かの
参考になるかもしれないし
いつか書いておきたいと
思っていたので


ようやく少し落ち着いた
、思い起こしながら
書いてみようと思います
ほっこりほっこりほっこり


↑↑↑
(この頃、腫瘍の存在感が増して、元々好きでしたが
特にユルい服を着ることが多くなっていましたうーん
飾り気のないケーキは、食事制限していた私の為ですショック)

始まりは2018年10月頃
腫瘍からの大量出血
何時間も蛇口を捻ったような勢いで
が出続け、最終的には
ソファに倒れ込み
ソファは血だらけ
体温も下がり
意識も朦朧として
救急車で近くの病院に運ばれ

"このまま輸血しないと
明日の命保証できない"

とお医者さんに言われ
緊急入院した事です。


その時の私は
まだ歩く事も出来て
腫瘍からの大量出血を除けば
普通に元気に過ごしていました


そして入院して病院
リクライニングベッド
初めて経験して
少し傾斜を付けて寝たら
を大きく開くこと無く
安心して寝れる!
と感じました


これをきっかけに
リクライニングベッド
なんて
この時は無かったので
ソファの傾斜を使って
寝るようになりました。


ベッドで寝ると
寝返りとかを自由にうてる代わりに
しょっちゅう出血して
ベッド血だらけになって
夜中に目覚める。
そんな事がよくありました
ショックショックショック


でもソファで寝るようになってから
寝返りをうてない分
腫瘍が動く事も無く
出血して起きる。という事が
ほぼ無くなりました
(この時は、寝返りをうてない辛さを
まだ分かっていませんでしたショック)


そんな事もあり
私はそのまま2019年の4月頃
まで約半年間
ソファで寝続けましたzzz
(この間の2018年12月に韓国旅行に行ったのが
海外旅行の最後です)


その結果
2019年4月頃
ある日、起きて歩こうとしたら
……
いきなり
全身筋肉が固まったような
激痛
身体をまともに立たすことも
を一歩踏み出す事も
ままならなくなっていました


そして、鍼灸の整体の先生の所に行き
"全身の筋肉カチカチ
固まってる"
と言われましたアセアセアセアセ


しまいには
"何でここまでなるまで
来なかったんだ
今日からソファ
寝るのはやめた方がいい
というより
ソファで寝るなんて
2日も続けない方が良かった"
と言われ……
笑い泣き{2日どころか半年寝ましたが…!



でも、もうその頃
いざベッドに寝ようと思ったら
筋肉が硬すぎて
自分で背中を倒すこともできない
=ベッドに寝転べない笑い泣き


だからと言って
ソファで寝ることも
痛すぎてもう無理


最終的に座って寝るしかない
と思い試してみたけど
それも結局激痛
目が覚めて寝れない


そんな風に
寝ることができなくなった
3日目、もう体力も限界で
……

たまたま近くの祖母の家に
介護用のリクライニングベッドがあり
祖母も老健に入って
居ない時期だったので


祖母の家に行き
リクライニングベッドを使い
ようやく久しぶりに
睡眠をとることができました


ただ、そんな日に限って
夜中に大出血して
何時間も寝れない
という感じでしたショックショック


それでも久しぶりに
睡眠をとることができ
もうソファも普通のベッド
使えなくなった私は
とりあえず簡易的な
リクライニングベッドを購入して
しばらく寝る事になりました
zzzzzzzzz


その時の私の身体の状態は
全身筋肉が固まって
寝返りはうてない
地べたに座る事ができない
柔らかいソファ
くつろぐ事もできない
前まで毎日していたヨガ
そんなのも当たり前でできない
笑い泣き笑い泣き笑い泣き


る時は寝返りが出来なくなり
床擦れが背中に出来て
毎回同じ場所がベッドに当たるから
痛くないポジションを探して
寝る
でも途中激痛で泣き叫んで起きて
身体を動かしてもらって
ベッドの当たる位置を変える

そんな毎日でした


もうこの頃から
寝るのが苦痛でえーんえーん
でも
起きても
自分の力では起き上がれなくて
に背中を起こしてもらう
でもその時も激痛で泣き叫ぶ
そんなんだから
ベッドからリビングに行くまでに
1時間くらいかけていたように思います

もう…起きるのも苦痛
仕方がなかったですショックショック


ソファが落ちる側だった為
左半身が入ってた為か
左足など左側が
特に痛みが酷くなっていました


それでも、この頃まだ
左足を引きずりながらも
自転車さえ乗ってしまえば
移動できたので
近くのカフェのバイトは
かがんだりは出来なくとも
運べるギリギリまで
働いていましたアセアセアセアセ



この頃の写真ですうーん
↑↑↑
もう、この頃しんどくて
写真もあまり撮ってなくて
……

どちらもピンぼけのような
写真しか無かったです
ショックショックショック


表情も心無しか
しんどそうアセアセアセアセ笑笑


移動しか無理で
歩くのは極力控えて
外出したりしていました

でも、まだ何とか自力
生活は出来ていました。


ここから、身体は更に
どんどん崩れていきます
この頃には
腫瘍もかなり大きくなっていて
今思えば、骨転移はこの頃から
始まっていたように思います
ぐすんぐすんぐすん




"神よ。私から遠く離れないでください。
わが神よ。急いで私を助けてください。

私をなじる者どもが恥を見、
消えうせますように。
私を痛めつけようとする者どもが、
そしりと侮辱で、おおわれますように。

しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、
いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。"

詩篇 71篇12~14節



mimipopo