みなさまごきげんよう。
だいぶ時間が空いちゃったわ。
下界で欲を堪能しすぎてしばらくしんどかったわ~
無添加の国産小麦パンと無添加砂糖不使用のお菓子(被害を最小限に抑えるため)を
飽きるまで食べまくる生活をね、満喫していたのよ。
未練があるとどこかで一気にやってくる。何回でも。
毎度のことながら極端でしか対処できない自分の性格が未熟さを物語っているわね。
これはゆっくり修行で無くしていくしかない。そのためにも青汁と少食生活を続けている!
それでしか高みの道はなく真の幸せに到達することはできない!
―本題―
思えば、今は堕落と無知の人もどきが
人間の姿をしてこの世に生きているけど
それらは物事を深く知ろうとしない、見ようとしない、聞こうとしない。
そのまま一生を終え
成長と真の気づきの世界からほど遠いところにいく。
つぎは人生があるのだろうか?成長する機会がまた与えられるのか?
それは誰にもわからないわ。
成長が未熟な弱いエネルギー意識は、それより大きいエネルギー生命体の肥やしとして吸収され自己存在が無くなるのか?(現・物質世界でもそうなっている構図に注目。
ロボット人間・・洗脳された大多数の人・・自分の頭で考えられない人たち)
別の空間に他のエネルギーを欲してる生命エネルギーがいるなら、それに抵抗するエネルギーがないから負けて捕らわれる?
んー、確かにエネルギーの違い、強弱で世の中は動いている。
これらが少し理解できるような時期に来ている今がまさに。
自分に集中して自己を完結させるときであると感じるわ。
自己完結とは心の不幸から解放されて、土台となる叡智を得ることによって
純粋な己になり(純粋無垢)何によっても揺るがない自己を確立すること(悟り)、かしら。
そうなったときに心は真の自由となり解脱の道が開かれる・・。と今のところ考える。
なぜ解脱・または解放が重要かというと、
それを知ってしまった人間はときがきたから。氣づいてしまったから。
もう先祖の影響とか現世の影響とかを受けて生きてる今、
すべてを今にかけて浄化し消化・昇華し天(比喩表現)の慈悲を体現させて
自分を確立することが人生を使うことだと思うの。
誘惑や障害が邪魔をするけどそれはすべて修行しながら越えることで
知恵となり意識強化される。理性が魔の盾になる。
無垢な心だけが天の慈悲エネルギーを得て満たされる。
叡智が邪道から身を守る。
だから未練も情も悲しみ怒り汚れすべて浄化しなければいけない、
穢れがつく前に払い続けなければならない。浄化とは生きている以上、一生常に必要なようだわ。
怠るとすぐに足を引っ張られるような自分に堕ちる。
そういう意味でこの世はすべて氣をつけないといけないの。
絶望の経験やすべての感じたことたちが、慈悲というエネルギーに昇華され純粋な自己を体現できれば、すべてが解決するので問題や疑問はなくなる。
いつも天から自分の心に流れてくるから。すべてが。
それを大慈悲と呼んでおこうかしら。すべての相対エネルギーは慈悲というエネルギーに総合されそこで終着点となり
バランスのとれたエネルギーである慈悲に変わると。
慈悲って善いも悪いも判断せずすべてを抱擁できるエネルギーだから、最強なわけで
完成されたエネルギーと思う。(バランス・中庸そのもの)
その慈悲エネルギーの中で遊んでいるのが善悪で
自己練磨によって自己の中の善悪が叡智(氣づき)を通して姿を変えて慈悲が完成する・・と。
己に集中しなければできない完成度だわ。
近道があるとすればそれは青汁生玄米菜食がそのひとつ。生野菜や少食は心身を浄化して強化してくれる。
腸内環境を変えるためにも時間はかかるけど、続けることでしか体感は得られないから
あきらめないで続けるのみ。続けるものが習慣を得る!脱線しても
戻りたくなる!←今ここ
これだけ誘惑と堕落が多い世界でも
心を持っていかれず自己完結するにはそうとうな努力が必要ね・・。
青汁生玄米と少食は厳しいけど人間を正常にする効果絶大な食事法。
半日断食や一日断食しながらすると、じょじょに少食の道は開かれるみたい。
わたしもやっと謙虚にもどって再開する覚悟よ。
そういえば、食が乱れると自分が乱れるから
恋愛運も落ちるわね~!
美しい見た目も魅力度もガタ落ち。清いオーラもくすむ。
また食を整えて自分を整えれば、そんな恋愛ごときに囚われなくなる。