ムスタンスィリーヤ学院(3)
アッバース朝最後の高等教育機関
学院の礼拝所(al-Musallii、al-Masjid)
入口のある東校舎、その対面の西校舎の真ん中にイーワーンが三つあり、その内部は広い空間でモスク機能を果たしている。下図はその学院の礼拝所の断面図である。
学院の関係者の日常の礼拝はここで行う。学院のモスクは、学院関係者のみの礼拝所であるため、それほど大きなものではない。横23m、縦5.9mの大きさで、こじんまりしている。断面図にはJaami” al-Madrasah (学院用礼拝所)と書き込みがある。
下の学院の礼拝所の断面図では、上が中庭に面する東側に当たる。二つの大きな凸型は両端の石柱とともに三つのイーワーンを支える。大きな石柱であり、アーチ型が三重になっているのが見て取れる。外壁を大きく取り、内に行くほど狭めのものになって、美しい形を保っている。イーワーンの間の中央奥がキブラの方角になり、小さいながらもミフラーブ(キブラを示す壁龕)が用意されている。ミフラーブに規模は横5.2m、縦1.9mある。断面図にも壁龕が読み取れ、al-Mihraabの巻き込みが施されている。ミフラーブの両横には外部に出入りできる扉があり、チグリスに通じている。
学院の施設
その他付設として、図書館、医務室、宿泊室、洗面所、浴場、厨房、食堂などからなっていた教師や学生の宿泊する部屋は、一階に40部屋、二階には36部屋がある。部屋の大きさによって、種収容人数のおおよそ決まっており、個人部屋は教師で、学生は二人か三
人が同居することになっていた。
1階から2階への階段は長方形の建物の中で、長い面の東西の校舎では、東校舎では正面の入り口(al-Madkhal)近くの両脇、向かい合う側ではモスクの近くの両脇、短い縦面には両広間(iiwaan)脇にあった。南東にある広間(南イーワーンal-Iiwaan al-Januubiiと呼ばれる)は外壁まで達する大きなもので、階段は右側に設けられている。北西にある広間(北イーワーンal-Iiwaan al-Shamaaliiと呼ばれる)は前者の半分で、その後ろにも部屋があり、その間に階段が設えてある。
ムスタンスィリーヤ学院の南東部は拡張され、長方形を崩しているが、七つの大教室がそれぞれ異なる大きさと形で設けられている。最も東から2番目と三番目の大教室の間は、壁のない通廊になっており、この通廊はそのまま東校舎の通廊となり、中庭に面している。
図書館は北東隅にあり、大量の学術書収蔵され、30万冊におよぶと言われていた。
それとは別に、各教室の図書棚には、その教室で教えられる教科の各分野の書物が収蔵され、学生の便宜に供されていた。教室によってはハディース(伝承)学教室Daar al-Hadiithとか、クルアーン学教室Daar al-Qur’aanとか呼ばれた。後者のクルアーン学とはクルアーンに関する諸学、例えばキラーア(al-Qiraa’aatクルアーン読誦学)とか聖典の形式や内容の授業である。
中庭(al-Sahan):校舎が囲む長方形の中庭は、庭園風に造られ、何本かの高木と灌木、それに草花が植樹され、中央には池があった。どの校舎の教室にも、明かりと風通し、静寂さ、健全さを提供していた。
その中央には池が掘られ、建物の横を流れるチグリス河から水が引かれていた。ナツメヤシやタマリスク(ギョリュウ)が生い茂り、学徒にも息抜きと憩い、談笑と瞑想の場所であったろう。チグリス河に沿っているので、川水が使用できるように水車によって引かれた溜池も設けられている。噴水が中央にはあったことが知られる。溜池は中庭の真ん中に設けられ、憩いの場所も提供した。一方、河の定期的氾濫や、急な洪水に備えて土手壁もまた構じられていた。
ムスタンスィリーヤ学院の教育・学問的役割
ムスタンスィリーヤ学院には、清廉潔白で、偏見がないことを条件に、多くの著名な学者が招聘され、講義を任された。学問領域は、アラビア語文法学、言語学、クルアーン諸学(“Uluum al-Qur’aan)、法学、医学、薬学などであった。在来の学だけではなく、外来のユーナーニー学(ギリシャ・ローマに由来する学)の授業科目もあって、多彩で一期の授業科目が120余りあり、その講義用テキスト名もあったことが知られている。
そしてその最大の特徴は、カリフ・ムスタンスィルの意向が強く働いた法学部の分野であった。従来の単一の法学派のための施設だったマドラサ(学院)と異なり、はじめてスンナ派4大法学派すべての講義が公平に行われた。そして特定の学派の強調は許さなかったことである。