ムスタンスィリーヤ学院(2)

                       アッバース朝最後の高等教育機関

 ムスタンスィリーヤ学院の構造概観

ムスタンスィリーヤ学院はカリフ・ムスタンスィルの意向により、1227年プランが練られ、同年建設が始まり、7年の歳月をかけて1233年完成した。その工費は百万ディナールを擁したが、カリフだけでなく、多くの賛同者も寄付し、工事に関与したと伝えられている。

ムスタンスィリーヤ学院から上がる経費収入は七万ディナールに上った。

 

 

上図三枚はムスタンスィリーヤ学院の見取り図。下図の向って左が一階の、右が二階の平面図。 al-A”zamii、pp.23,24より

 

 

ムスタンスィリーヤ学院のプランは基本的には南北に長い長方形であるが、方位はチグリス河に沿って造られたせいか、少し方位が西にずれ、北面は北北西に、南面は南南東に位置している。そして南面の一部だけが東南に少しはみだし、また北の縁のイーワーンの後部が継ぎたされた形での長方形となっている。

 

東西に長く縦104.8mであり、南北は南面の広い横幅が48.8mである。外壁に沿って二階建ての建物が囲み、建物の内側は中庭になっている。この中庭は大きく広く設けられており、その規模は長方形で東西面は62.4m、南北面は27.4mである。

 

2階構造の建物には、大講義室、教室、研究室、宿泊部屋、通廊(riwaaq)があり、四方いずれの校舎にも中央に一二階を突き抜ける10メートル以上に達する大きな広間(iiwaan)がある。南北の中央の大きいイーワーンは休憩室として用いられている。

ムスタンスィリーヤ学院の外壁や内壁の目立つ部分には、装飾が施され、複雑な放射状の幾何学文様とアラベスク柄花紋に飾られている。

 

   学院入口、校門(al-Madkhal)

学院入口、校門は、東側校舎の中央のイーワーンがその役目を果たしている。学院の入り口、校門も兼ねているため、床に連なる校舎よりも外壁が外部に突き出ている。外壁もまた内壁も凝った作りになっている。下図左がその入り口の断面図である(上が北)。右が東に突き出ている正面入り口の外面からの図である。

特に玄関に当たる正面入口のファサードは他の部分より一段と高くしつらえられ、入口に通ずる横及び天井にはいくつものアーチがしつらえられており、中側から外側に向かって広く大きくなってゆく。その高さおよそ16メートルに達する。その外壁面には幾何学文様、アラベスク文様に加えて、最奥部、玄関の扉に続く部分には、上に10行に渡る学院創立趣旨が記され、それと並んで、最後に学院の創設者と完成年月日がアラビア文字で刻まれている。

1行目には冒頭句、Bi-smi Llaahi r-Rahmaani r-Rahiim(大慈大愛なるアッラーにかけて)から始まり、7行目に建設者Abuu Ja“far al-Mansuur al-Mustansir bi-Laah Amiir al-Mu’miniin (アブー・ジャアファル=父称 アルマンス-ル(本名)アルムスタンシル・ビッラー(カリフ称号)アミール・アルムウミニーン(信者たちの長、カリフの別称)とあり、

10行目(最末行)には竣工年sanata thalaathiina wa-sittumiyah …(ヒジュラ暦630年) とある。