愛着と性能 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

海外用に買ったスマホがある。

どうせ海外に行く時だけだからと

スペックも値段も

ずいぶん控えめなものを選んだ。



simフリーの端末なので

どんなsimカードを入れても

使えるはずのものだった。

ところが、今年の6月にタイに行ったとき

現地のsimカードが受け付けられなかった。

おかしい。

なにが起こったのだろうと

あの手この手で調べた結果、

いつのまにかsimフリーでなくなっていたことがわかった。

どうやらOSをアップデートしたときに

ふたたびsimロックがかかってしまったらしい。

端末によってはそういうことが起きるのだそうだ。

まあ要するに出どころの怪しい代物であったわけだ。



こうしてこの端末は

Wifiの電波を拾ってのみ使えるものになったのだが、

それがわたし自身、ひどくショックだったようで

自分でもびっくりするくらい落ち込んだ。

ちょうど新しく

simカードを購入しようと思った矢先のことではあったけれど、

こんなに落ち込むのは予想外だった。



この落ち込みから脱出するべく、

お値段控えめなのにスペックは素晴らしいという

夢のような別の端末を購入し

現在はそれを運用している。

この端末は期待以上の働きをしてくれていて、

なんの不満もない。

はずなのに、この満たされない感じはなんだろう

と思う時がある。



この感情の源流を探っていくと、

どうも自分はあの低スペックなのに

おそろしくきびきび動く小さな端末が

いつのまにか好きになってしまっていたらしいことに

気づくのである。

メモリがいつあふれるかと

どぎまぎしながら使うあの端末を

かわいがっていた、と言ってもいい。

たぶんそういうことだと思う。



愛着は性能を超える。

いや、愛着も性能のうちか。

こんなすごいものをつくった

SONYに拍手を贈りたい。

まんまと、やられましたよ。