群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。




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鞄に執着があるようで、いつまでも理想の鞄を探し続けています。

 

理想の鞄といったって鞄にもTPOがあるのだから、

 

「これひとつあればエブリタイムOK!」

 

とはなりません。

 

いろんな場合に合わせて理想を追い求めることになる。

 

その結果鞄が増えていく。

 

 

 

先日電車に乗ったら、となりに座った人の膝のうえに

 

視線が釘付けになってしまった。

 

スーツを着たビジネスマン風のその人は

 

某アウトドアメーカーのロゴの入った

 

ビジネスバッグを持っていた。

 

アウトドアメーカーなのにビジネスバッグ。

 

このギャップにやられました。

 

いわゆるギャップ萌えというやつです。

 

 

 

ひと昔ふた昔前ならこれでおしまい。

 

鞄の残像を目に焼き付けていく先々で探してみても

 

決して見つからないものでした。

 

 

 

いまはAmazonに行けばたいがい見つかってしまう。

 

したがって簡単に手に入ってしまう。

 

理想の鞄は追い求めずとも検索すれば手に入る。

 

こうして鞄が増えていく。

 

 

 

増えているけれど、ちゃんとぜんぶ使ってるんです。

 

と書いて、これっていかにも片づけられない人のセリフだと気づく。

 

ものをなるべくもたない生活は遠くにありて思うものなのかもしれません。

実家に帰ると自分の乗り物がない。

 

母親の自転車を借りたところ、

 

タイヤがぺこぺこだった。

 

 

 

シュコシュコと空気を入れていて、ふと後輪に目が留まった。

 

ツルツルとして溝ひとつないタイヤで、

 

もともとこういうタイヤなのではないかと

 

騙されそうになった。

 

 

 

これは危ないということで自転車屋へ駆け込んだ。

 

後輪のタイヤ交換、5780円也。

 

自分でできないことはないが、

 

ママチャリの後輪は取り外しにくい。

 

愛知県の粘っこい暑さのなかで

 

ふうふう作業をすることを思えば、

 

修理時間30分。

 

人が代わりにやってくれるのだから

 

5780円は高くない。

 

 

 

自転車屋のまわりを30分ほっつき歩き

 

帰ってきたらできていた。

 

ビフォアとアフターだけ編集して見せられたように

 

後輪のタイヤだけ変わっていた。

 

 

 

これで十分注文通りの仕事で

 

ありがとうという気持ちはある。

 

でも「おおっ!」という驚きはない。

 

 

 

人間、おまけに弱い。

 

もし「あそこも調子よくなかったんでやっときました」

 

となっていたら、

 

帰り道の足取りはもっと軽くなっていた。

 

それを人に期待するのではなく、

 

自分が売り手であるときにそうでありたいと思う。

ちょっとよいメガネを買ったら、

 

まえに安いメガネを買ったときとお店の対応がぜんぜん違って驚いた。

 

 

 

まず、ケースがついてきた。

 

安いメガネだと布の袋がついてくる。

 

これはそのままメガネ拭きにもなるので便利便利と喜んでいた。

 

 

 

よいメガネだとケースはちゃんとした箱なので、

 

もちろんこれではメガネは拭けない。

 

かわりに専用の布が一枚ケースの中に入っていた。

 

こころなしか生地も安いメガネの袋より上品なのである。

 

 

 

メガネを受け取る場面も違った。

 

安いのはレジでお金を払ったらその場でもらえる。

 

タイムラグなし。

 

そのことになんの疑問も感じていなかった。

 

 

 

ちょっと高いメガネを買ったら、受け渡しは30分後だと言われた。

 

理由は「レンズを入れるから」。

 

わたしは目がそれほど悪くないので、レンズに度は必要ない。

 

極論すれば、透明なプラスチックの板でもいいのだ。

 

それでも「度なし」のレンズをわざわざ入れてくれた。

 

さすが高いだけのことはある。

 

 

 

時間が経って、いざメガネを受け取ろうとしたら、

 

店員さんから説明を受けた。

 

「こちらのメガネは本日より半年の保証期間にかぎり破損したレンズを2回まで無料で交換いたします」

 

 

 

何度も言うが、

 

わたしのメガネに入っているのは「度なし」のレンズである。

 

それなのに保証期間中なら2回も交換してくれると言う。

 

なぜならこれは「ちょっと高いメガネ」だから。

 

 

 

ちょっと高いといっても、そんなに高いわけじゃない。

 

ランクでいえばひとつかふたつ上くらいなものだろう。

 

もとが最低ランクだったから、ふたつランクが上がってもたいしたことはない。

 

 

 

それでも対応にここまでの違いがある。

 

「地獄の沙汰も金次第」という言葉を思い出さないわけにはいかない。

 

けっきょく世の中金か、と帰り道に思った。

 

メガネはとても調子がいい。

以前、占い師(のような人)に

 

「30%くらいの力で仕事してますね」と言われたことがある。

 

まったくそのとおりだった。

 

でも、それなら80%くらいまでがんばってみようという気にはならなかった。

 

 

 

今日目にしたプロ野球選手のイチローさんに関する記事。

 

野球だけが「自分の限界を見極めることができる、唯一の手段」と語っていた。

 

 


どれだけの力を注げるのかはその人自身の努力だけでなく、

 

力を注ぐ対象との関係にも依存する。

 

いいわけのように聞こえてしまうが、

 

わたしとわたしの仕事との関係は

 

「30%」の力しか注げない程度のものだった。

 

 

 

時間が経てばこの関係に

 

変化が現れるかもしれないと期待したこともあったが、

 

どうやらそんなことは起こらなさそうだ。

 

最近ではそう思うようになった。

 

 

 

これからの10年を考えたとき、

 

はたしてこの関係を続けることが幸せなのかどうか。

 

可もなく不可もなく。

 

安定といえば安定。

 

それを続けていくことができるのかどうか。

 

 

 

できないだろう。

 

 

 

いまが岐路と思う。

 

いままでに「いまがそうだ」と思ったときはなかった。

 

だからこれはたぶん、岐路と呼べるものだろう。

 

あとで振り返ったときに必ず思い出すであろう一時点がいまなのだ。

ものには古くさく見えるときが来る。

 

懐かしく見えると言い換えてもいい。

 

ブラウン管のテレビ。

 

CDラジカセ。

 

ファミコン。

 

マチコ巻き。

 

iPhoneの第1世代。

 

 

 

当時は最先端だったものが今は昔。

 

祇園精舎の鐘の声。

 

諸行無常の響きあり。

 

そのもの自体はなにも変わっていないのに、

 

あきらかに古く感じられる。

 

見る側が変わったのかもしれないが、どうも違う。

 

ほかに比べるものがあるのが原因と思う。

 

それしかなかったときには新しかったが、

 

次々と世に産み出されてくるものと比べてしまうことが

 

古さを感じさせる原因ではないか。

 

 

 

最近お金を払っていて、古いなと感じた。

 

ちゃりんちゃりんと財布から出して

 

レジのおばちゃんと受け渡ししているのが妙に古い光景に思えた。

 

Suicaに慣れたせいだと思う。

 

Suicaは新しい。お金は古い。

 

 

 

お金の概念はこれからも残るだろうけれど、

 

ものとしてのお金ははたしてどうか。

 

昔のお金はしっかりしていて払った感じがしただろうねと

 

懐かしく思い返す日が来るのだろう。

 

生きている間か死んでからか、それだけの違いだ。