とんだヒト | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

とうとうここまできたか、とテレビの画面を凝視した。


何組かで優勝を争う深夜のお笑い番組。


勝ったのは、一番最後に出てきたアメリカ人だった。




「日本語はまだまだです」と言いながら、


それを逆手にとって漢字のむずかしさにつっこみを入れる。


外国人だからというのではなく、掛け値なしにおもしろかった。


その他大勢の日本人とくらべても、圧倒的におもしろかった。


日本語がまだまだなどという人に、


こんなにおもしろい話をされてはかなわない。


日本語ぺらぺらなのに、いっこうにウケがとれない芸人たちは


やりきれないことだろう。


芸人でなくても、ちょっとやりきれない気持ちになったくらいである。




しかもこの人は芸歴2か月で、


本業はIT企業の役員だそうだからたまらない。


「意外デスネー」と興奮して優勝インタビューに答えるその人よりも、


まわりを囲む出演者のほうに目がいった。


カメラの前であるにもかかわらず、


何人かは暗い顔をして伏し目がちにしていたのが印象に残った。




相撲界では三横綱がすべて外国人であり、日本人の優勝は久しくない。


たまに日本人が優勝するとニュースになるくらいだが、


いまやそれも当たり前となっている。


相撲のように外国人が活躍するのが当たり前になった分野もあるいっぽうで、


日本は言語バリヤーによって守られているという話を聞いたことがある。


いわゆる「日本語の壁」。


この壁があるために外国からの人材の流入が自然に制限される。


能力はあるけれど日本語が話せない外国の人より、


能力はそこそこでも日本語に不自由しない日本人のほうが


日本では活躍しやすい。




人材からはちょっとはずれた話になるが、


この恩恵にとくにあずかっているのは日本の男たちであるらしい。


女性に猛烈にアタックする技能に長けた外国の男たちが


日本語ぺらぺらになって大挙して押し寄せてきたら、


日本の男たちはひとたまりもないであろうと推測される。




恋愛のように言葉をよく使う分野では、言語バリヤーのおかげで


外国人が台頭するのはむずかしいと思われていた。


お笑いもしかり。


それがとうとう覆された。


その瞬間を見たような気がして、衝撃を受けたのである。




が、一晩経ってよく考えてみると、


日本語ぺらぺらでおもしろいことが言える外国人は


ずっと前からいるのである。


オスマン・サンコン、デープスペクター、ケント・ギルバート、


ケント・デリカット、ダニエル・カールなどなど。


だから、日本語で笑いがとれる外国人の出現自体には


いまさら驚かなくてもいい。




じゃあなにがそんなに衝撃だったのか。


それは、跳べるかどうかも怪しいと思って見ていたのに、


ジャンプしたら高さがものすごかった、ということである。


しゃべりかたから判断して、日本語がまだまだというのは本当だろう。


だから、なんとなく芸に高をくくって見ていたと思う。


要するに見くびっていた。


そしたら、軽々と予想を跳び越えられてしまった。




半ば叫ぶように漢字につっこみまくる姿には、鬼気迫るものがあった。


お客を前にしながら、お客そっちのけで必死だった。


必死にジャンプしたら、高々と舞い上がった。


立ちはだかる壁も、一瞬で(たしかにその瞬間があった)越えてしまった。


そして、とうとうここまできたか、と壁の中の住人は驚く。


住人は久しく、必死になったことがない。