ゲリラ豪雨と爆弾低気圧 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

夏はゲリラという名の豪雨が襲い、

冬は爆弾という名の低気圧が大雪を降らせる。

テロは身近にないけれど、物騒な世の中のようである。

いや、物騒な言葉が身近なものに使えるということは、

世の中が物騒ではないことを逆説的に物語っているのかもしれない。



実家は中日新聞をとっている。

わたしが子どもだったころ、中日新聞の日曜版には

「元気くん」という漫画が載っていた。

4面にわたる漫画を毎週食い入るように読んでいた。

うちには漫画本がほとんどなかったので、

新聞についているような漫画でも貴重だった。



「元気くん」は、子ども二人の親になった元気くんが、

自分の幼い頃のことを思い出して

子どもたちに話して聞かせるという構成になっている。

元気くんの幼い頃とは、戦後の日本である。



その中で、縁日の夜店で元気くんの友達

(マー坊だったかター坊だったか定かでない)が、

母親に戦車のおもちゃをねだるシーンがあった。

母親はそれにいやな顔をする。

「戦争を思い出すようなものはあまり買いたくない」という理由からだった。

でも、もう戦争は終わったんだからといって

結局買ってやったんじゃなかったか。

これも定かではない。

人の心がこういうものであるとすれば、

「ゲリラ」や「爆弾」がお天気の話にのっかって飛び交うのは

平和な証拠なのではないかと思う。



いまが平和であることは疑う余地がない。

いまが戦後であるかといえば、

もはや戦後ではないと言われるかもしれない。

戦後と呼ぶには戦争は遠くなり過ぎた。

もはや戦後ではない。それならいまは戦前か? 

そんなセリフをずっとまえ、ラジオドラマで聞いた。



わたしが生まれるずっとまえに、戦争は終わった。

終わったからもうないと思い込んでいたが、歴史は繰り返すというし、

絶対にもう起こらないとは言いきれない。

だとしたら、いまは戦前であるかもしれない。



状況は思いもよらぬところからがらりと変わる。

夏の天候不順が冬のバター不足になるなんて思わなかった。

命を救ってくれると思っていたエアバッグに命を奪われることだってある。

よい国になるように投じた一票が、流れ着くのはどこだろう。

ゲリラ豪雨や爆弾低気圧が怖いのは、けっこうな話と思う。



やー、うまくいかなんだ。