迷ったときは極端に走れ | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

ロゴ作りの講座は2日間あった。

1日目はほとんど、手の絵を描いて終わった。



描いてどうなる、と思っていたわけではないけれど、

何度も何度も描いていると、

描いているものが不思議と違うものに見えてくるようで、

なんだかこれ山に似ていると気づいた。

これにより、ロゴは手と山の両方に見える形でいくことに

大筋で決まった。

が、そのままではただの手であり、

「ほら、手だけれど山に似てるでしょう」と言っているのと変わらない。

スケッチをロゴにしなければならない。

この工程はただスケッチを繰り返すだけでは出口が見えず、

先生に救いの手を求めた。



先生はこの日なにをしていたのかというと、

はじめにロゴの本を紹介した以外はずっと、パソコンでなにかを見ていた。

小さい音で音楽も流れていたから、

やっていたのは仕事ではなかったかもしれない。

いい仕事だなと思ったが、それは違っていた。

待つのも仕事という言葉があるけれど、

先生の講座における仕事はまさにそれであった。

犬が歩けば棒に当たるように、

素人がロゴをつくれば壁にあたってばかりである。

それを導くのが先生の仕事だったのだと思う。

だから音楽を流してパソコンをいじっていたのは、

いまわたしヒマですよ、というアピールだったと解釈することにしよう。



スケッチがロゴっぽくならないのですが、どうすればいいでしょうか。

「どうすればいい」という聞き方はあまり好きではない。

考えることを放棄して人任せにしているように感じられるからである。

しかし、この場合はそう聞くしかなかった。

どうしたらいいのかまったく道筋が見えていなかった。



先生はさすがプロである。

現状を聞くと、いまわたしがいる場所がどこなのかわかったらしい。

そして、軸をずらしてみてはどうですかと言った。

いま描いているスケッチをものすごく抽象的にしたら、

逆にものすごくリアルにしたらどうなるだろうか。

あるいは別の軸、たとえばポップとクールという軸を追加して、

二つの軸を二次元で交差させる。

4つに分かれた領域にはそれぞれどんな形ができるだろうか。

そんなふうに考えるのだと教えてくれた。



なるほど要は極端にするわけねと解釈して、

抽象と具体の軸で描きはじめる。

すごい人は、適切な軸を選び、

軸平面上に広がるすべての可能性を探ったうえで、

ロゴの方向性を絞っていくのだろうと想像する。

わたしはそのへんがどうもいい加減である。

抽象を描いているうちに、これは、という形を見初めてしまい、

具体を描きはじめたら面倒くさくなって、

さっきのあれでよいことにしよう、と決めてしまった。

ともあれ、ロゴの概形が見えてきた。



ここからいよいよコンピューターである。

すでに1日目は残すところ1時間。

満を持して、あの噂のソフト「Illustrator」で描きはじめたのだが、

線がどうしてもガタガタになる。

この手のソフトはおおまかに描いておいてあとで修正をするものだと聞いていたから

多少ガタガタでも構わないが、いくらなんでもガタガタ過ぎる。

どんなにがんばっても

今朝見たサングラスのおばちゃんのイラストのようにはなりそうもない。

あれはいったいどうやって描いたのだろう。



「あの、これはどうやって線を引くんでしょうか」と隣りの人に声をかけた。

この人はサングラスの人とは別の人である

(サングラスのおばちゃんは用事があって早退した)。

この人も「Illustrator」に心得があるらしく、朝からカチカチと作業をしていた。

わたしの質問を聞くなり、お隣さんは「あー」といってにやりと笑い、先生を呼んだ。

自分で教えなかったのは、あまり自信がなかったかららしい。



呼ばれて来た先生は、少々困った顔をしている。

「それはですね、千本ノックです」とわからないことをいいながら、説明をはじめた。