足りない山と精度の穴 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

千本ノックですと先生が言ったのは、

以下のような意味である。



ペジェ曲線は、その名のとおり

曲線を描くことができる便利なツールである。

ただ、描き方がとても特徴的で、

コンピュータがなかったらこんなふうに曲線を描くという発想は

なかったんじゃないだろうかと思う。

そのくらい特徴的なのである。



たとえていうと、発射台と到達台をはじめにきめておいて、

その間をジャンパーが勝手にジャンプする。

ジャンパーの飛んだ軌道が曲線になるという感じ。

だから線を描くというよりも、

台の角度とジャンパーの飛び出しの速さを決めることで、

結果として曲線が描けるという仕組みになっている。



と、口でいうのは簡単だが、やってみるとこの決める作業がうまくいかない。

独特の勘がいるのである。

勘を養うには、数をこなすしかない。

ゆえに、「千本ノック」という表現になったのだろう。

「バットの振り方は教えられますけれど、

ホームランの打ち方は教えられないんですよね」と言われれば、

それもそうだと思う。

うまいことを言う。

2日目は千本ノックの日となった。



ロゴの形はだいたい決まっていた。

とにかく描くだけなら、5分で終わる。

しかしロゴにするからには、きれいだと思える形にしたい。

思うとおりのものを描くには、線の操作に慣れていなさすぎる。

だから同じものを繰り返し描く。

描きながら線の引き方を練習していた。

デザインというより、書道のようになっていた。



同じ図案を繰り返して描く。

しかも、自由にならない方法で。

こんな実りのなさそうな作業もないと思えるが、

やってみるとそうでもなかった。

うまくいかないのが幸いとなり、

あれ、これ、こっちのほうがいいんじゃない、という気付きがある。

だから繰り返し描いているのに、形が少しずつ変わっていって、

最後には朝描いていたものとは、似て非なるものができていた。



このころには、なんだかロゴができてきたなあと思えてきていた。

でも、まだ、世にあふれているようなロゴにはなっていない。

これ以上何をすれば図案がロゴに化けるのか。

と口に出したわけではないが、先生は察したらしい。

パソコンの画面をのぞき込みながら

「このへんで線を整理していきましょうか」とまたわからないことを言った。



線を整理するとはどういうことか。

無駄を省き、歪みを正す、ということだったと思う。

わたしに代わって先生が画面に向かうと、

パソコンのなかの時間の流れが変わった。

直感的に先生の手が動き、次から次へを作業が進んでいく。

きれいに描けたと思っていた線は、よく見ると少しずれていた。

何倍にも拡大しないとわからないぬり残し。

線が切れるところのちょっとした角度。

それをひとつずつしらみつぶしに直していく。



拡大しないと見えない歪みは、ないのと同じではないか。

あとから先生に聞いたら、たしかにそうです、と言った。

しかし、続きがある。

大きくしないと見えないレベルの歪みだったとしても、

それがあるとなにか事故が起こるかもしれません、だからぼくは潰します。

というお答え。



最後の見直しと手直しはわたしにでもできる。

でも先生が同じことをすると、その精度が桁違いに高くなる。

先生のフィルターを通り抜けたわたしの図案は、このときロゴになったと思った。

シンプルであり、隙がなかった。



2日かけてロゴのつくり方を学んできた。

がんばった甲斐あって、ロゴのつくり方もわかったし、実際使えるロゴもできた。

でも、同じことがひとりでできる気はしない。

いいところまではいくかもしれない。

でも最後のひと伸びが足りない。

そういうものができてしまいそうである。

ひと伸び足りない作品の山ができたら、そのすぐ横に、

深い深い精度の穴が掘れているのだと思う。