気概の構造 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

現代に生きる人の体力は、

幕末の人のそれとくらべて

いかばかりのものだろう。



わが身を省みると、

本を座って読むのも億劫で、

寝転がって読んでいる。

毎日歩かない日はないが、

まことに些細な距離であり、

下手をすると近所の年寄りより

歩いていないかもしれない。

たまに克己心がわいてきて

長い距離を歩いたりするが、

翌日は生活に困るほど足が痛くなってしまう。



わたしは、こう書くと情けないが、

いっちょ世の中変えたるか、

という気持ちはもっていない。

坂本龍馬やその時代を生きた人の中には、

世の中を変えてやる、

という気概をもった人がどうも少なからずいた。

その気概の根っこには、

志や時代背景とはべつに、

かれらの培ってきた強い体力があったのではないかと

思えてならない。



強い体力を基礎として、

大きな志が花開く。

そういう構造があるのかどうか。

わが身をみればその構造があるように思え、

この不甲斐なさにも納得がいく。

いや、納得していてはだめなのだけれど。