面倒くさがりの石橋 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

いただいた黄色い梅が、

さらに熟して

フルーティーな香りが台所に充満しはじめたころ。

梅をくれた人が

あの梅どうなった? と聞いてくれた。



のんきに、

週末にでもやろうかと思いますと答えると、

その人の表情が一瞬曇った。

その曇り方でこれはまずいと察し、

即動くことにした。



まずは漬け方を調べなければならない。

漬けるというくらいだから、

何かにつけておくだけだろう、

簡単かんたんと思っていたが、

そうではなかった。

レシピをみると水につけたり、

固いところを爪楊枝でほじったり、

やっとできあがったところで

梅を取り出して濾したりしている。

まともにやったら、とても面倒臭そうだ。



こちらとしては、

飲めるものにさえなってくれればそれでいい。

お客に出すようなものではない。

だんだん作り方を探すというより、

このくらい簡単だったらいいなという

自分の理想のレシピを探すようになっていた。



想像ではできるはずなのだが、

大丈夫だという確証がほしいのである。

なにしろ梅はもらったものだけしかなく、

失敗は許されない

(失敗してもたいしたことはないが、このときはそうは思えていない)。

しかも、梅は熟しすぎてもう待ったなし。

すでに半分くらいは失敗に

足を突っ込んでいるかもしれない。



面倒臭がりのくせに石橋を叩くのである。

こんなやり方をしているから、

どんなものを作ってもレシピのとおりできあがらない。

自分では食べられるけれど、

人に食べさせられるものがつくれないのは

こういうわけかと、ひとり合点がいった。