尺八は穴が5つしかない。
5つの音しか出ないなら、ジャズやクラシックは弾けない。
というのは早合点だった。
あるとき尺八の動画を見たら、
「りんご追分」を弾いている人がいる。
いったいどういうことだろうと、
手もとの尺八を吹いてみたが、
どうがんばったってそんなにたくさんの音は出ない。
じつは、口で音の高さを変えている。
指でも細かいことをやっている。
口で手で細かいことをしながらも、同じ音色の音が出せる。
「りんご追分」は高等技術の結晶なのだった。
自分で弾いてみると、これがいかにすごいことかわかる。
ただ音を出すことが、
尺八を弾くならこれだけできればいいというほどに
大事なことであると思う。
まえにもちょっと使った話だが、
みのもんたさんが、
「ラジオパーソナリティーの仕事とは、いい声を聞かせることだ」
と言っていた。
とかく話す内容であるとか、語り口であるとか、
そういうところに目が向きがちであり、
真似もしやすい。
でも、大事なのは声、と言われると、
たしかにそうだとうなずける。
小学校のときを思い出す。
校長先生はいい話をしていたかもしれないが、
「いい話だ」と思って聞いていたことはない。
話の内容はなにも覚えていないが、
朝礼台に立つ姿と、
太くて皮膚に染み込むような厚い声は、おぼろげに残っている。
だから、声を聞いていたのだと思う。
小学校のときの校長先生は小湊さんと言った。
人の声も、尺八の音も、音色が大事なのである。
昨日今日尺八をはじめた未熟者の言うことだから信用ならないが、
たぶん当たっている。