整理術の名前 | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

うちの職場の台所には、

使わないけれど

あるのがふつうになったものが

山ほどある。

このいろんなものがたまりに溜まった台所に、

この春メスをいれた。



1週間かけてちょこちょことものを捨て、

整理を進めていった。

ものを捨てるにあたり、誰かの許可はとらなかった。

戸棚のなかにあるものは、

目に触れなければないのとおなじ。

これは捨ててもよいですかと見せれば、

その時点であることになってしまい、

捨ててはダメだと言われるだろう。

忘れているうちに亡きものにするのが幸せだろう、

ということにした。



ものが減り、空間ができ、

使い勝手がよくなるのは爽快だ。

その一方で

これだけのものが溜め込まれたことを

腹立たしく思う。



溜め込んだひとが自分で始末をつけるなら、

溜め込むのに文句はない。

でも溜め込まれたものの始末をつけるのは、

たいがい溜め込んだ本人ではない。

だとすると、溜め込むことは、

ものを管理する責任を

他の誰かに丸投げしているのと変わらない。

そう思うと、その無責任さに腹が立つ。

腹が立ったいきおいで、

ものを捨てるスピードに拍車がかかる。

こうして職場の台所はきれいになった。



世の中には、断捨離をはじめとして

数多の整理術がある。

わたしの整理術に(術なんてものではないけれど)

名前をつけるとするならば、決まっている。

「怒りの整理術」である。