溜まりどころ | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

職場には流しがあり、ポットと電子レンジもある。

温かいお昼ご飯が食べられるくらいの設備が揃っている。

食器棚と冷蔵庫もある。

ガス台のない台所がそのままついていると思えばいい。



毎日見ていると、それが当たり前になってしまう。

毎日見るものはいったん距離をおいて眺めてみると、

あれ、これっておかしくないか

というところが見つかる。

職場の台所はまさに、

あれ、これっておかしくないか、の宝庫であった。



もう何年も水まわりに貼り付けてあるアルミの衝立。

料理なんかしないのに、

パーティーができそうなほど積み上がっている皿の類い。

夜店で商売ができそうなほど溜め込まれている

割り箸などの使い捨て食器。

お茶やらカビやらでシミだらけになった食器棚の敷物。

数え上げればきりがない。



ちょっと片付ければ、

ちょっと工夫をすれば使い心地がずいぶんよくなるのに、

何年も誰も手をつけてこなかったのは、

ここが公共の場所であったからだろう。

公共の場所はきれいに使えと教え込まれているはずだけれど、

わざわざきれいにしようとまで思うひとは少ない。

また自分のものでないから、

果たして捨ててよいのかどうか、

片付けてよいものかどうか判断に迷う。

だから公共の場所は、気になっても手を入れにくい。



同時に自分のものではないから、

手を入れたいほどの思い入れももたれにくい。

使わせてもらっているけれど、自分のものではない。

しかも誰のものでもない。

この中途半端な位置付けのおかげで、

ほどほどにきれいにされつつも、

そのあり方に抜本的な改革はなされることがなく、

捨てられない、でも使う予定もないものが、

徐々に溜まっていき現在の姿になった、というところだろう。

続きは次回。