ことば貧乏 | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

二十歳くらいの世代の人と話をしていると、

これは知っているであろう

ということを知らなくて驚くことがある。

それはまあいいとしても、

絶対的に言葉を使う力が小さいと感じる。



感想は「おもしろかった」など同じ言葉で済ませてしまう。

もしくはわからない、と投げてしまう。

そして、同じ話を繰り返し話す。

楽しい話なら救われるけれど、

残念ながら聞いていてあまり心地よくないものが多い。



以前、どうにも馬が合わないひとがいた。

ひとまわり以上年下のその人は、

いつも自分の体が調子悪いと口にしていた。

口を開けば、最近風邪気味なんですよね、という話。

たまにはそういうのもいいけれど、

いつでもやられると参ってしまう。

自然とこちらの口数が減った。



彼がどうして同じ話を繰り返したのか。

話すことがなかったのかもしれない。

そして、自分の話ではひとが楽しんでくれないことを

感じ取っていたのかもしれない。

だから、自分に注意を引きつけられそうな話をしていた、

ということなのか。

これは勝手な推測です。



パネルクイズ「アタック25」の司会者、

児玉清さんのエッセイを読んでいたら、

おもしろいことが書いてあった。

むかしはクイズ番組に出てくるひとといえば、

クイズに勝つことを目標とした人たちであった。

それが児玉さんは好きではなかった。

なぜなら、そういった人たちは、

どうでもいい知識の有り無しで勝った負けたとやる。

そのわりに常識的な知識に貧しいところがあったからである。



しかし、最近は普通のひとが来てくれるようになり、

裾野が広がって来た。

これはよろこばしいことだったのだけれど、

一方で児玉さんは世代間の断絶を感じるようになった。



長くなるので、つづきは次回。